「彼女」の憂鬱

7月も半ばを過ぎると、そろそろ夏も近づいてきたな、という気になる。
昔は夏といえば心霊特番をテレビでやっていたものだったけれど、最近はあまり見た覚えがない。

どうしてだろう。ノストラダムスが盛大にやらかしたからだろうか。
1999年の7月が過ぎても何も起こらないことがなんとなく分かってからオカルトブームの熱も冷めていったようにも思う。
一部では「原文を読み解くと、実は1999年の7月ではなかったのだ!」と引き延ばしというか悪あがきをしていた気もするのだけれど、それも西暦2000年という節目のお祝いムードに押し流されていったように記憶している。

昔の画素の荒いブラウン管テレビは心霊特番の怖さを引き立てていたようにも思う。深夜の放送終了後の砂嵐の画面も怖かったけど、今のテストパターンになってからはそんなこともなくなった。

子供の時は怖いもの見たさで心霊特番が放送されるときは目隠し用のクッションを抱えながらテレビの前に陣どっていたものだけど、最近の子どもはあんまりそういうのに興味がないのだろうか。
というような話を隣を歩いている旦那に聞いてみた。

「どうなんですか、先生」
「なんだ急に先生って、まあ先生だけどさ」

旦那は小学校の先生である。

「そうだな、いまだにそういう話は子供たちの間で話題にはなってるみたいだよ」
「怪談話が持てはやされるのは変わらないのね」

まあ、だいぶ昔とは違ったものもあるけどね、と旦那は続けてきた。

「へー、例えば?」
「例えば二宮金次郎が夜中に動く、といった話は聞かないかな。そもそもうちの学校もそうだけど、金次郎の像が無いし」
「あ、無いんだ?」

無いよ、と旦那は答える。歩きスマホが禁止されているご時世で、本を読みながら歩いている像は教育に良くないのではないかという意見もあり、老朽化した金次郎像の撤去が進む一方で、新しく金次郎像を作る動きが鈍くなったのだそうだ。
あの像をみて、よし、自分も頑張ろう、と思う人間がどれだけいるのかは置いておいて、それはそれで寂しいものがある。

「だから座っている金次郎像もあるみたいだけどね」
「それもうただの勉強熱心な子じゃん」

確かに、と言って旦那が笑う。なんにせよ、時代の流れには逆らえないものだ。ああいったお化けたちも、時代の流れに応じて消えていったり、新たに生まれたりしているのだろうか。

「そういえば口裂け女とかもいたよね。ポマードって3回唱えるといいんだっけ?」
「そうそう、そういえばいたよね」

旦那はあたりを見回す。私たちも含めて、周りの人たちもみな一様にマスクを身に着けている。

「でも今もいたとして、これだけ皆がマスクを着けていると誰だかわからないんじゃないかな」

その言葉に二人で笑う。まさか彼女も世の中の皆がマスクをつける時代になるとは思わなかったんじゃないだろうか。


若い夫婦とすれ違った「彼女」はマスクの下でため息をついた。

ええその通りよ、おかげでやりにくいったらありゃしないわ。
昔はマスクを着けているだけでちょっと人目を引いたものだけど、これじゃすっかり普通の人じゃない。
しかも定番の「わたし、キレイ?」をマスクを外して言おうとしたら、近づいてマスクを外す素振りだけでそそくさと逃げられちゃうし。
何がソーシャルディスタンスよ。お化けは近づいてなんぼの商売なのよ。

あーあ、早く皆がマスクを付けなくてもいい状況になってほしいものだわ。

「彼女」はマスクを付けたまま小さくそう呟いたのだった。


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