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わたしの守り人


その人は、いつも優し気に話かけてくれた。

「今日の気分はどう?寒くはないかい」

そう言いながらわたしの体を気づかわしげにさすってくれる。
彼が優しく触れてくれるところは、そこだけぽっ、と暖かくなったように感じてわたしは嬉しくなるのだ。
わたしは、大丈夫よ、今日は天気もいいから、お日様も気持ちいいわ、と応える。わたしがそう応えると彼は穏やかな笑みを浮かべながらうんうんと嬉しそうに頷いてくれた。

わたしは生まれた時から体が弱くて、特に天候の変化に敏感だった。
気圧の変化だけで元気を無くしてしまうこともしばしばあって、その度に彼を心配させてしまった。

雨の日や、風の強く吹く日なども、細身の体には随分と堪えたもので、翌日になると彼は不安そうな顔でわたしのいるところを尋ねてくる。
そうしてわたしが前日と変わらない様子でいるのを見て、ほっとした顔をして微笑みかけてくれるのだ。

一度わたしがひどい病気に罹ってしまったことがある。
体はボロボロで、どうすることもできずに、このまま死んでしまうのかなとぼんやりと考えていたけれど、彼は諦めることをせず必死にわたしを治療してくれた。

意識も朦朧とするわたしに何本も注射を打ち、意を決して患部の悪いところを手術で取り除いてくれた。それはわたしにとってとても堪えるものだったけれど、彼は手術を行いながらも、「頑張れ、きっと良くなるから」とずっと声をかけてくれていた。辛い手術を乗り越えて、どうにか元気を取り戻したわたしを見て、彼は顔をしわくちゃにして喜んでくれたのを覚えている。


彼が語ってくれたところによると、わたしの親はわたしよりずっと健康な体だったそうだ。姉妹もたくさんいて、色んなところにもらわれていったそう。わたしは物心ついた時から彼のところにお世話になっていたから、親や兄妹のことは良く知らない。
わたしの名づけ親も彼とのことで、わたしに優香という名前をつけてくれた。この名前は自分でもとても気に入っている。


この頃は彼も随分と年を取ってしまったように見える。わたしのところに通ってくるのもしんどそうで、わたしは見ていて辛くなってしまう。無理して来なくてもいいのよ、とわたしが伝えると、彼は「年々辛くなってくるけど、君を見ていると元気になるんだ」と言ってくれた。

わたしは彼と一緒に沈む夕日を眺めるのが好きだった。
西の端に真っ赤に染まった太陽がゆっくりと沈んでいく。
さわさわと吹くそよ風を受けながら、彼と並んで立ち、西日をうけて赤く輝く彼の顔をこっそり眺めるのが楽しかった。
夕日を見つめて深く考え込んでいるその横顔。出会った頃よりすっかりおじいちゃんになってしまったようにも思えたけれど、わたしは変わらずその横顔が好きだった。ふとこちらを見てくすりと微笑んでくれるのを見ると、わたしは西日よりも赤くなってしまったような気がした。

彼はわたしを撫でながら、「君の面倒を見られるのもあとどれくらいかな」と寂しげにつぶやいたことがある。
わたしが、そんなこと言わないで、ずっと一緒にいましょう、と応えても、彼は気づかなかったように遠くを見つめている。
「次の春も、君が元気なところを見たいな」と言って静かに微笑む。ええ、もちろんよ、と私は応える。


その年の冬は例年に比べて寒さの厳しい冬だった。
気温も低く、積雪もいつもよりも多くて、彼が訪ねてくるのも難しかったのか、随分寂しい思いをしながらわたしはどうにか日々を過ごしていた。
彼に会いたい。その一心だけでわたしはつらい冬を乗り切ったのだった。
冬が過ぎ、春の息吹がそこかしこで感じられるようになっても、彼はわたしのところには来てくれなかった。
代わりに若い男性が尋ねてきた。
わたしの体の様子を伺いながらその男性が語ってくれたところによると、彼はひどい肺炎にかかってしまい、入院してしまったとのことだった。

そんな。わたしは慟哭する。せっかく春になったのに。わたしの元気なところが見たいって言ってくれたのに。

悲しみに沈むわたしを若い男性は優しくさするだけだった。

春が本格的にこの町に訪れても、わたしの心は沈んだままだった。華やかな春の景色があたり一面彩っているけれど、わたしには全てくすんだように見える。

そんなある日、車椅子に乗って彼がわたしのところへやってきてくれた。椅子を押すのはあの若い男性だ。

彼はすっかり小さくなってしまったようにも見えた。けれどわたしを一目見て、嬉しそうに微笑む。それは彼がいつもわたしに投げかけてくれた、あの優しい微笑みだった。

わたしは彼に誇るように満開の花びらを広げる。風に吹かれて桃色の花びらが舞う中、彼はゆっくりとこちらに近づいてきて、以前のようにわたしに優しく触れてくれる。

わたしは元気よ、あなたのおかげだわ。

聞こえないはずのその声が、まるで聞こえているかのように、彼はうんうんと頷きながらいつまでもわたしの幹を愛おしそうにさすっていた。


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