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終点までバスに乗って


ゴトゴトとバスは揺れながら曲がりくねる山道を走り抜けていく。


麓の駅からこのバスに乗り込んだ乗客は私だけだった。温泉旅館のある終点の停留所までは1時間くらいかかるだろうか。人里に最も近いのが駅の周辺なのだけど、このあと誰か乗って来るのか不安になるような細い道をバスはのんびりと登っていく。経営的には大丈夫なのだろうかと他人事ながら心配になってくる。
一番後ろの長座席に一人腰かけて、私は初夏の瑞々しい日差しが降り注ぐ車窓の風景をぼんやりと眺めていた。


最初の停留所が近づくと、バスは速度を落とし、ゆっくりと停車した。おかしいな、窓から見る限り停留所には誰もいないはずなのに。

プシュ―、と音を立ててバス後方のドアが開く。

するといつの間にやってきたのか、道の端からひょいと三毛猫が乗りこんできた。そのまま何事もなかったかのようにドアは閉まり、のろのろと加速しながらバスは発車する。

猫はバスに乗りこんだ後、慣れたように通路を歩き、ぴょんと数人掛けの座席に飛び乗る。目をまるくして見ている私をちらりと見ると、文句でもあるのか、と言いたげににゃあと一言鳴くと、そのままくるんと丸くなって目を閉じてくつろぎはじめた。

次の停留所でも人の姿は見当たらないにも関わらず、再びバスは停車した。
次に乗り込んできたのは……タヌキ?こちらも慣れたように揺れる車内の通路を進むと猫とは別の座席にちょこんと座る。まるでそこが彼の指定席であるかのような自然な動作だった。


その後も停留所のたびに次々と動物が乗り込んできた。キツネ、サル、イタチがそれぞれ喧嘩もせずに大人しくバスの座席に座っていく。

私はその不思議な光景を見つめながら、だんだんと不安になってくる。
次はクマでも乗りこんでくるのではないのだろうか。

私の心配をよそにその後は停留所に止まることなくバスは山道をひいこらと進んでいった。心地よい揺れと不思議な静寂にいつの間にか私の意識は遠くなる。

終点は山の頂上近く、一軒だけの温泉旅館がある停留所だ。バスが終点に止まり、前方のドアが開くと、動物たちは行儀よく並んで次々と降りていった。最後に降りるのが私となったけれど、降りる前にバスの運転手さんをちらりと横目で見る。良く見ると、運転手さんがクマだった。

『終点、終点です。お客様はバスをお降りください』

アナウンスの声に私は目を覚ます。どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。慌てて座席の横に放り出していた鞄をつかんでバスを降りる。
降りる際にちらりと見ると、運転手さんは思いのほか大柄ではあったけれどもちゃんと人間だった。

そりゃそうだよね。

一人で頷きながら、誰もいない停留所からしばらく歩く。10分ほど歩いただろうか。ほどなく目的地の旅館にたどり着いた。
手早くチェックインを済ませてから、さっそく浴衣に着替えて露天風呂に向かう。

本館からは露天風呂までは少し離れており、山の斜面に設えられた渡り廊下を歩きながらお風呂へ向かう。敷かれたすのこが足の裏にひんやりと心地よい。

まだ時間が早いからか、それとも今日のお客は私だけなのか、露天風呂には先客はおらず、独り占めの空間だった。
山の斜面の岩肌に刻まれたように露天風呂がある。斜面を吹き抜けていく風はひんやりとしており、少し肌寒いくらいだった。
そそくさと体を流してから、お湯に足をつける。ちょっと熱いくらいの温度だけれど、なんだか柔らかくて肌に沁みとおってくる感じだ。
引き込まれるかのようにお湯に身を沈める。長時間バスに揺られて凝り固まった体中の筋肉が一気にほぐれていく。体中にじわりと温度が染み渡っていく。

目を閉じると遠くで鳥の声が聞こえる。風に揺らされて木々がざわめく。まるで山に抱かれているみたいだった。

至福の時間。

ふと、近くの茂みががさがさと揺れる。そちらを見ると、茂みの奥から一匹の三毛猫が現れた。その模様はバスの中で見た猫とそっくり。
その猫はお風呂の端まで来るとちょんちょん、とお湯に前足をつけると顔を洗い出した。

その様子にぷっ、と思わず吹き出してしまう。猫も露天風呂に入るんだ。その猫は私をちらりと見ると、文句でもあるのか、と言いたげににゃあと一言鳴いた。私は顔の前で手を合わせて、ごめんごめんとお詫びする。

少し名残惜しいけど、早めにお風呂を上がることにした。また夜にでも浸かりにこよう。私がいると、他の子たちも入りづらいもんね。

脱衣所に入ってドアを閉める直前に、再び背後でがさがさと茂みが揺れる音がした。私はあえて振り向かずにそのままドアを閉める。

露天風呂につかりに来た、タヌキやキツネやサル、イタチを想像して、私は思わず顔がほころぶのだった。

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