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旅するスナメリ


近くの川になんかいる、という知らせを受けて私は友達と一緒に自転車を漕いで川に向かった。


河川敷の土手に自転車を止めて目をこらすとたしかに何かが川の水面に見え隠れしていた。いちばん早く気がついたのが私たちだったみたいで、まだあたりには人は集まっていなかった。

あれはなんだろう。

「おっきな魚じゃないの」
「ワニとか」
「こんなところにワニなんているの?」
「あんまり近づかない方がいいんじゃない」

わちゃわちゃと騒ぐ友達を放ったらかして、私は土手を降りて川に近づいた。それは川の流れに逆らうように遡ったかと思うと、流れに乗ってするすると下るという動きを繰り返していた。

よくよく見るとその背中?には網のようなものが引っかかっている。だけどその何かはそれを気にするでもなく動き回っているように見えた。さっきからの動きも困っているというよりもどちらかというと楽しんでいるような感じを受けたのだ。

私はおそるおそる川に近づいていく。

大きさは2メートルくらいだろうか。動きはなめらかで明らかに水の生き物だと思えた。でも確かにこんな大きな魚は見たことがない。それに背びれも見当たらない。

私は好奇心に突き動かされるままにもっとよく見ようと川の端っこのぎりぎりまで近づいていく。友達は土手を降りては来たものの、遠巻きに私の方を見ているだけだった。

突然、その生き物の頭のあたりから、ぶしゅっ、と勢いよく水が噴き出された。

私はその音にびっくりして川の石につまずいてしまい、そのまま前のめりに倒れて川にばしゃんと飛び込んでしまった。とっさに手をついたので全身が川に落ちることはなかったけど、私の立てた音に反応して生き物がこちらに近づいてきた。

慌てて起き上がろうとするけど、焦っているからかごろごろと川底の石を転がすばかりで上手く立ち上がれない。

四つん這いになったままの私の正面にその生き物は近づく。
私は目を丸くしてそれを見つめることしか出来なかった。
私の目の前、2メートルも離れていないところで、その生き物は水面から顔を上げる。最初に目に入ってきたのは、頭の両脇のつぶらな瞳だった。次に笑っているかのように端っこがちょっと吊り上がった口。

―――――――イルカ?

小さくつぶやいた私の言葉に答えるかのように、その生き物は鳴いた。

キュン。

不思議そうに小首をかしげてこちらを見つめるその生き物と、私は見つめあう。私の瞳と同じくらい、その生き物は好奇心にあふれた瞳でこちらを見つめていた。

あなたはだあれ?

お互いにそう思っているのが言葉も通じないのになぜか分かった。

見つめあっている時間は、たぶんほんの少しの時間だったのだと思う。でもその時はとても長い時間お互いに見つめあっていたように感じていた。

生き物の視線が外れる。その視線を追いかけるように振り向くと、友達が慌ててこちらに駆け寄ってきていた。
私が視線をもとに戻すと、その間に生き物はまた川の真ん中くらいまで戻ってしまっていた。

うわの空で友達に助け起こされながら、私はさっきのことを思い出していた。

あなたはだあれ?

僕は旅をしてるんだ。

ここは水が流れていて楽しいね。

色んな生き物に出会えて面白いよ。

君もいつか旅に出るといいよ。

そんな会話をしたような気がする。友達に引っ張られて土手の上の自転車に戻るころには、大人の人たちも生き物に気がついたのか、だんだんと人が集まってきていた。
そんな騒ぎも気にしないように、その生き物はぐるぐると楽しそうに川を行ったり来たりしているのだった。

夜のテレビ番組でその生き物のことがニュースになっていた。

あの生き物は、スナメリ、というらしい。イルカだと思ったけど、実は世界で一番小さいクジラだという。
普段は瀬戸内海とか九州の方に住んでいるらしく、私の住んでいる町に現れるのはとても珍しいとのことだった。

―――――やっぱり旅をしてるんだ。

根拠もないけど、そう思えた。だってあんなに楽しそうにしていたもの。背中に引っかけていた網には、旅の荷物が入っているんだ。

翌日にはスナメリは川からいなくなっていた。たぶんあの川には気まぐれに遊びに来たんだと思う。

また会いたいな。そう思って両親にスナメリはどこに行けば会えるの、と聞いてみたら西の方の水族館にいるらしい。

私も旅をして、スナメリに会いに行こう。

いつかどこかの海で、またあの子に会いたいな。そうしたら、今度はもっと遊んでくれるかな。

はじける波の向こう側で、あの子がいいよ、一緒に遊ぼうね、と言ってくれた気がした。

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