薬と精神医学(1): 精神科薬の歴史〜近代薬物療法前夜: 古代から近世の精神科薬と治療法〜
皆様、こんにちは鹿冶梟介(かやほうすけ)です!
小生のnoteをご愛読されている方はお分かりでしょうが、小生の記事は少々マニアックであり精神学の教科書的な内容はあまり扱ってはおりません。
そもそもnoteをはじめたときのコンセプトは「精神医学のマニアックネタ」だったのですが、noteをはじめて2年半...、少し方向性を変えようかと思っております。
マニアックネタは勿論書き続けたいと思いますが、精神医学の初学者向けの内容も今年は発信できればと思っておりました。
...ということで今年もあと3ヶ月しかありませんが、精神医学を学びたい方向けシリーズとして「薬と精神医学」を立ち上げることにしました。
このシリーズを読めば、精神薬理学について概ね基礎的なことは学べるような内容にしようと思っております。
そして本シリーズの第1回目は「精神科薬の歴史〜近代的薬物療法前夜: 古代から近世の精神科薬と治療法〜」です。
何事もその歴史を学ぶことは大切と小生は思っておりますので、かなり力を入れて執筆いたしましたよ😆
それでは精神科薬の歴史の扉を開いてみましょう!
【古代から近世の精神科薬】
精神科薬の歴史...、と簡単に書きだしましたが、当時において何を持って「精神科薬」とするかは難しい話なのです。
なぜなら古代から中世*という長き間「狂気」は「病気」とは見做されず、「宗教」や「神秘」の文脈で語られていたからです。
とくにギリシャの大医学者Galenos(ガレノス:後述)の登場以降、ヒポクラテス医学#に反することはキリスト教に反する...、という考えが1000年以上続いたため、この時代は医学にとって暗黒時代でした。
とはいえ古代より「精神に作用を及ぼす物質」が現代で言う「精神神経疾患」に投与されていた記録が残っております(当時は精神疾患とは思われていない)。
このパートでは古代から近世**において使用された、精神科薬について簡単にご説明します。
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<アルコール>
歴史上記録の残らない時代からアルコールは存在していたと考えられます。このためアルコールこそが世界最古の精神科薬かも知れません。
世界最古のアルコールの痕跡は紀元前7000年の中国の賈湖(かこ)遺跡から出土した陶磁器の断片に米、果実、蜂蜜で作った醸造酒の成分だそうです。
旧約聖書(BC12世紀〜BC2世紀)の中には葡萄酒(ワイン)に関する記載があり、「詩篇」104編15節には「ぶどう酒は人の心を喜ばせる」との記述がありました。
皆様もお分かりと思いますがアルコールにはリラクゼーション効果があります。
古代の人々もこのような効果を活用し、いまでいう鎮静薬や睡眠薬のような使い方をしていたと言われております。
特に古代ローマ人はワインを医療にしばしば用いていたようで、抑鬱、記憶喪失、悲しみなどの精神障害、便秘、下痢、痛風、めまいなどの身体症状にも使ったそうです。
しかし同時に、ワインによる害に関する記述も古くからみられており、ローマ時代において「メランコリア(憂鬱)時にはワインを控えるべし...」との記述があったそうです。
<ケシの実: アヘン>
ケシの実(アヘン)から抽出されるアルカロイドはオピエートと呼ばれ、鎮痛、陶酔作用があることが知られております。
しかし、アヘンは依存性が高く濫用されることから現代ではいわゆる「麻薬」に分類されております。
アルコール同様アヘンの歴史も古く、紀元前3000年以上まえにメソポタミアに居たシュメール人はアヘンを「喜びの植物(Hul Gil)」と呼んだそうです。
ちなみにホメロスのオデュッセイア第4編に「エジプト原産の香油を飲むと鬱や悲しみが忘れられる」という話があり、おそらくこれはアヘンのことではなかったのか...と推測されました。
またローマ帝国時代の大医学者ガレノスは、アヘンは不眠症、痛み、ヒステリーなどに有効であると記載したそうです。
余談ですが中世欧州でテリアック(仏:La thériaque)という万能薬が流行しましたが、これは大量のアヘンを含んでいたそうです。
<大麻>
人類が大麻を使用し始めたのは一説によると紀元前8000年以上前と言われておりますが、薬品としてはじめて使用されたのは約4000年前の中国と言われています。
大麻の精神作用については中国の本草書(薬学書)である「神農本草経(BC206~AD220頃)」に過量摂取すると体が軽くなる(離人感)と記載されております。
また3800年前のバビロニアの粘土板にはメソポタミア地方で大麻が「てんかん」や「悲しみ」の治療薬になるとの記述があったそうです。
インドにおいてもアタルヴァ・ヴェーダ(BC1200-1000)に大麻が抗不安作用を持つということが記載されているそうです。
<漢方薬>
現在でも精神疾患に対して漢方薬を使うことがあります。
例えば認知症のBPSDに抑肝散、ヒステリー球(喉のつかえ)に対して半夏厚朴湯など、臨床経験的にいっても「効果あり」と感じるものもあります。
漢方は中国発祥の医学ですが、かつてどのような生薬が用いられたかは文献が散逸して不明な点が多いです。
日本に伝わった狂気に対する漢方薬としては、蒼朮(そうじゅつ)、当帰、柴胡(さいこ)、遠志(おんじ)、酸棗仁(さんそうにん)、甘草、陳皮、黄耆(おうぎ)、辰砂(しんしゃ)などが用いられていたそうです。
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<その他>
地中海沿岸のナス科の有毒植物コイナス(曼荼羅華)は催眠薬薬として1世紀頃に使われ、また同じくナス科の植物ベラドンナも古くより鎮痛剤、鎮痙剤として使用されました。
アメリカ大陸では、南米の先住民が使用していたコカの葉が有名であり、疲労回復、空腹感を癒し、気分の高揚をもたらしました。
メキシコのアステカではペヨーテ(サボテンの一種)を宗教儀式の際に摂取することで幻視を伴った神秘体験や恍惚状態を引き起こしました。ちなみにこれはメスカリンの作用に由来いたします。
中国では前述の神農本草経に、麻黄の効能について記載があり、風邪症状や咳などの症状のほかに覚醒作用や集中力向上など精神への作用が分かっておりました。
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【古代から近世の精神科非薬物療法】
前述のように近世まではそもそも精神疾患は病気ではなく、狂気とはみなされておりました。
そしてその狂気の原因も「神罰」「悪魔」など非医学的に説明され、それゆえ精神医学の発展はなく、薬物療法の萌芽も19世紀を待たねばなりませんでした。
当時は「狂気」に対して施されたのは、医学的治療ではなく宗教的な儀式や民間療法の類でした。
このパートでは有史から近世までの世界における、「狂気(精神疾患)」に対する非薬物料治療を俯瞰してみましょう。
<ギリシャ時代の狂気に対する治療法>
ギリシャ時代の医学といえば医学の祖「ヒポクラテス」ですが、彼の臨床経験をまとめた「ヒポクラテス全集」には狂気(現代の精神疾患)に関する記述が散見されております。
具体的にはヘレボルスという植物による催吐や瀉下(下痢をおこさせること)、洗髪(冷水を頭に浴びせる)、馬の乳、食事療法、瀉血などが有効とされていたそうです。
<ローマ時代の狂気に対する治療法>
ヒポクラテスの後の数百年はアレキサンドリア医学が隆盛を極めます。
(アレキサンドリアとはエジプトの都市の名前であり、ヘレニズム文化の中心ですよね)
アレキサンドリア医学において有名な医学者が現れますが、各医師が狂気に対してどのように治療したか簡単にご紹介します。
1.Celsus(BC25-AD45年): フレニテス(恐らく熱性せん妄)は、瀉血、浣腸、水浴、マッサージ、叱責、殴打が有効。フレニテス以外の狂気については、瀉血、瀉下、拘束、飢餓、投擲が有効。
2.Aretaios (AD50年頃?): 瀉血、吸角(カッピング療法)、沐浴、罨法(温熱・寒冷による刺激)、下剤などが有効。
3.Saranos(2世紀頃): ヒステリーに対する治療は、温かい明るい部屋に移動、体の中心部を圧迫。失声(声が出ない)の場合、腰、恥骨に吸角、温水を口に滴下、そしてハンモックで揺する。それでも改善しない場合は、二十日大根で嘔吐させ、ヘレボルスで瀉下させる。
4.Galenos(AD130-201年): てんかんを防ぐには寒、暖、激しい風、不適当な入浴、回転する車輪を避ける。規則的な生活と野菜、ひきわり麦、適度な塩漬け肉、パンは通常の3分の1程度に止める。薬剤としてはウマノスズクサ、ハラタケ、イブキボウフウ、テリアカ、焼いたロバの爪、イタチの骨が有効。またヒステリーについては、くしゃみをさせると治るとしていた。
<中世〜近世の狂気に対する治療法>
中世欧州における精神医学...、否、医学全般の発展はほとんどありませんでした。
その理由は前述のGalenos(ガレノス)の影響です。
ガレノスの考えは何故か当時のキリスト教とマッチしたため、当時のローマ帝国は聖書と同列に"ガレノス医学"を重宝します。
その結果、以後1000年以上欧州における医学は発展をしませんでした...(なんたる悲劇!)😭
従って、中世〜近世欧州における「狂気」の治療法はガレノス時代からほとんど変わりはありませんでした(つまり、瀉血、浣腸、水浴などはこの時代も続けられていました)。
そして酷いことに、中世欧州で猛威を振るった魔女狩りに精神病患者は巻き込まれていきます...。
そんな不条理な時代に行われていた治療法を簡単にご紹介いたしましょう...。
悪魔祓い: 当時狂気は"悪魔に憑かれた"故におかしくなったと解釈されたので、宗教儀式による治療が行われました。その際、「聖なる事物を洗った葡萄酒」「聖アタナシウスの遺体の断片」などが用いられたそうですが、その効果は不明です。
拷問: 昔から狂人に対して用いられていた瀉血ですが、17世紀においては治療というよりは拷問のように激しくなります。病理解剖学者Bonet Tによるとmanie(マニー: 狂気)に陥った若い女性に対して10日間で30回も瀉血され死亡した事例を報告してます。また瀉血以外には、水責め、回転椅子なども用いられ、中には回転椅子のせいで口・鼻・耳から出血する者もいたそうです。
錬金術: 16世紀の錬金術師パラケルススは「てんかん」の治療として、金と珊瑚の混合物が効くと唱えました(まったくの出鱈目ですが...)。
ショック療法: 要するに患者さんをビックリさせるさせることで狂気を治療しようとしました。例えば愚者の橋(Narrenbrücke)というショック療法がありましたが、これは精神科の患者を橋の上から水に落とす...というなんとも危ない治療法でした。ちなみに日本ではいわゆる「滝行」で狂人を治療しようとしておりました。
お灸: これは中国や日本で行われておりましたが、これも精神疾患に対してはエビデンスに乏しい治療法です。例えば現在の岡崎市にあった羽根栗の灸寺でお灸と漢方薬による狂人の治療が14世紀ごろから始まりますが、寺の3代目善祐法印が怪我をした白狐を助けたところそのお礼に灸のツボが書いてある巻物をくれたいう言い伝えがあるそうです...。
【鹿冶の考察】
新シリーズ「薬と精神医学」、いかがだったでしょうか?
古代より精神に作用する物質、すなわち精神科薬的なものは存在しておりましたが、近代になるまで「精神科治療薬」と呼べるものはほとんど存在していなかったことがわかりますね(かろうじて現代も使われているのは漢方薬ぐらいでしょう)。
そして、精神障害者(狂気)に対する治療法も全くの出鱈目で、数千年にわたり精神障害者が迫害されていたことがお分かりになったと思います。
ところでみなさまの中で"「薬と精神医学」をテーマにした記事なのに何故昔のトンデモ療法まで紹介したのか?”と疑問に持つ方もいらっしゃると思います。
それは、現代の精神薬理学が誕生してから100年も経っておらず、今日の薬理学の発展がいかに多くの精神障害者を救っているのか...、といことを理解して欲しいからです!
前述のように数千年にわたり精神障害者たちは「病気」とはみなされず、「狂気」として拷問の様な治療法を受け、社会的に隔離されてきましたが精神科薬の誕生により多くの方が社会復帰可能となったのです(これは後のシリーズでご紹介します)。
しかし残念ながら科学が発展した現代ですら「精神科の薬は毒だ」といって拒み、また精神医学自体を否定する人々がおります。
色々な考えがあってよいとは思いますが、精神科薬の発展のおかげで精神疾患が治療可能となったことを是非理解していただきたいです。
【まとめ】
【参考文献など】
1.精神医療の歴史 臨床精神医学講座S1, 浅井昌弘 ほか, 中山書店, 1999
2.臨床精神薬理学. 小林雅文, 南山堂,1997
3.Ancient Rome and wine: wikipedia
4.Greek medicine from Hippocrates to Galen: 2012, pp173-194
5.Substance abuse in ancient Rome: wikipedia
6.The Hisotry of Depression
7.History of cannbabis: wikipedia
8.Cannabis-miracle medicine or psychosisi-inducing drug?
9.Mental illness in ancient Rome: wikipedia
10.The emergence of psychiatry: 1650-1850, Kendler KS et al., Am J Psychiatry, 2022
11.Medicine and pyschiatry in western culture: anciet greek myths and modern prejudices. Fornaro M et al., Ann Gen Psychiatry, 2009