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音楽と、音楽以外の要素との関係

バンドマンやミュージシャンのスキャンダルが定期的に話題になりますが、昨今ではキャンセルカルチャーがブームになっていたり、それに対して「作品に罪はない」という意見が出たりして、ますます議論が絶えませんよね。

様々な意見があって当然であり、どちらの立場も一理ある(正解は無い)とは思いますが、自分の聴いている音楽や応援しているバンドがそのような状況になり、自分なりに納得できる答えを出さなければならない辛い状況に置かれることもあります。

僕はもともとピアノやエレクトーンを習っており、絶対音感がありました。もともとは歌詞やメッセージ性で音楽を聴くことはなく、音そのもので音楽を聴取していました。なので、作った人たちがどのような人であろうと、「音楽は音楽」「作品に罪はない」という立場でした(過去形)。

しかし、バンドのストーリーや、作曲者・演奏者の人となり、ビジュアル面の演出やスタッフチームのはたらき、販売戦略など、「音そのもの以外の要素も含めて表現であり、音楽以外の部分も含めて音楽なのだ」という発信をするバンドに出会い、圧倒的説得力を持ってそれを体現していくさまを目の当たりにしたことで、僕は音そのもの以外の部分も表現として受け止めることができるようになりました。

そのときそのときのバンドの状況や作曲者の感情、意図などと音楽は不可分で、密接に関連しているのがその音楽だ。と言っていたのに、そのバンドにスキャンダルなどが起こって都合の良いときだけ「音楽そのものは関係ない」「作品に罪はない」とするのは矛盾してしまうと思うのです。

もちろん、他人様のプライベートを勝手にほじくって金にする企業は誰も幸せにしないクズだと思うし、当事者でもなく迷惑も被っていないのにキャンセルカルチャーを闇雲に推進するのは違うとは思いますが、だからといって「音楽は別」という形で擁護するのもまた違うと思うのです。

不倫などの事実が露呈したりした地点で、作品にはそういった背景との関連性やイメージが嫌でも付いてしまう。

ミュージシャンも品行方正であるべき、とか、逆にミュージシャンは品行方正を求められすぎだ、とかそういう議論をしたいわけでもなく。

なんというか、こういうことを知るとただただ残念で悔しいし、色んなことを考えさせられるなあ、と感じる日々であります。

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