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センチメンタルなコミューン(fragment 2/2)

 水晶祭りがおこなわれる前日、ゲストにしてスタッフであるぼくとピーターは、コミューンの女の子との三人でローズゼラニウムの精油の瓶詰め作業をロッジでしていた。女の子が精油を瓶に注ぎ、輸出先などをピーターがスマートフォンで調べ、ぼくがその国名をラベルに書き込んでいると、慌ただしい足音がした。女の子は手元から目を離さずに、首を傾げた。扉が勢いあけられた。
 乱闘になってるぞ、それもグループ同士の大規模な乱闘が。
 扉をあけたところで堰を切ったようにそういったのはコミューン三年目の脱サラ中年男だった。彼は息巻いているが、こちらはローズゼラニウムの香りのなか、落ち着いたまま彼の興奮を聴いていた。一人でグループ同士の殴りあいを描写し始める彼はその興奮をこちらに伝染させたがるような印象だった。
 ぼくが聴いた。
 脱サラ男がこたえた。
 水晶祭りに出演する音楽グループ同士のいざこざらしい。それなら他のメンバーが対処をするはず、と女の子がローズゼラニウムの精油を瓶にそっと注ぎながらいった。日本のインディーズの音楽は世界的だから乱闘くらいあたりまえだとピーターがスマートフォンの地球儀をいじりながら笑った。世界的になると乱闘するのか、と阿呆のようなことを脱サラ男がいった。
 ジュジツは使うかな。
 ピーターがいう。
 充実?
 脱サラ男。
 柔術でしょ、武術の。
 女の子。
 大乱闘に関節技なんか使ってるひまあるの? とぼくが女の子を見ると、たしかにフットボールの方が使えそうだとピーターがスマートフォンの地球儀を転がした。
 脱サラ男は依然と息を荒げていた。彼はコミューン三年目にしてそれくらいの問題に落ち着きを奪われて対処もできない、できない人だと新入りであるぼくとピーターに読みとられ、笑われた。笑われている彼は、差し迫った問題をなぜ笑うのかと話をずらし、さらに笑われた。差し迫った問題を笑っているのではなく、そんな彼を笑っていたわけだから。
 もう一人、髪の長い青年が木箱を抱えながら扉を入ってきた。脱サラ男が彼に乱闘のことを聴くと、もう終わってたよ、ノンアルコールビールを飲み交わしてる、暴動の予行練習だったみたい、といった。
 予行練習で本気で殴るのか? と脱サラ男。本気ではないでしょ。とは青年。
 そんなことに気をとられているうちにこのコミューンは静かに終わりを迎えてしまいます。
 女の子が伏し目がちにいった。
 みな無言になって、青年も加わり、作業の続きをはじめた。息が落ち着いてきた脱サラ男にピーターがローズゼラニウムの香りを与えた。
 おれ、三年目だけど、ほんとうに終わっちゃうのかな、いつまでも保たれるものじゃないなんて悲観的すぎる気がするんだ、だって都市ノイローゼは永遠だろう。
 脱サラ男が独りごちた。
 永遠じゃ困るでしょ、でもさ、あんたもセンチメンタルが好きそうな顔してるよね。
 青年が真顔で長い髪をかき上げながらいった。ほかのみなが笑って、脱サラ男も釣られて笑みを浮かべた。青年が木箱をあけた。明日の水晶祭り用のキノコ類が入っていた。それは他のメンバーが採取した、この土地に万延元年から伝わるものの一部である。
 木箱のなかを見つめるピーターの表情がきらきらしてきた。幻のような時間軸に遡る菌類と、その時間軸にルーツを持つらしきユダヤ系の彼との出会いによるそのきらきらは、彼からあふれてまもなく、全員の表情へ伝染していった。魔法の指先が地球儀を廻した。

 了

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