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センチメンタルなコミューン(fragment 1/2)

 千葉の南にある太平洋に面した土地で、そのコミューンはできた。若者から中年まで二〇人ほどで組織されていた。
 その共同生活のコンセプトは、自然との共存が希薄になって精神の均衡を欠いた人、すなわち都市ノイローゼになった人間の快復を目標に、晴耕雨読の精神を養うこと。らしい。
 都市ノイローゼといっても色々だが、とにかく都会の生活で気が変になった人がついでに町おこしも兼ねて共同生活を営むのだった。アメリカ西海岸のヘイト・アシュベリーにおけるヒッピーカルチャー、そのはじまりだった若者や大人たちからもヒントを得ていたこのコミューンでは、作用のある植物やキノコ系菌類も育てられている。
 このコミューンには大江健三郎の小説に出てくるような精神異常者はいないが、特異なこともあるにはあった。それは、《コミューンというものはいつまでも保たれるものではない》というセンチメンタルな思考をメンバーみなが持っていることだ。
 コミューンのメンバーはそのセンチメンタルなかんがえを忘れないように森林や海辺で働いた。
 共同生活にありがちな恋愛は禁止されていない。そんなことは禁じることなど不可能だし、それが理由で叩き出されることを覚悟の上なら勝手にすればよい、という会議決定だった。とはいえ、まだそのような問題が起こっていないからその問題はそのまま適当な問題にされたままであるという。
 ゲストとして海外から期間限定で参加しにくる者もいる。西欧からのゲストが大半だった。彼らはこのコミューンの海外向けホームページを読み、申し込んでくるのだがしかし、日本人は募集していない。《コミューンというものはいつまでも保たれるものではない》という理念によるらしい。
 したがって国内からは、それなりのコネクションがある人間に限って、それもゲストというかたちに限って参加できる。それがぼくだ。ぼくはピーター・ローゼンタールというユダヤ系フランス人と一緒にゲストとして参加することになっていた。
 ピーター・ローゼンタールはよく本を読み、日本語も読めて、ある程度の日本人よりもずっと読書を大切にする。
──なぜ日本人は電車のなか平然とマンガなど読めるのだ? それもポルノのマンガを、しかも満員電車のなかで! 
 そのようにピーターはいった。聴かれたぼくは、自分はそんなことをする人間ではないからわかりません、というか、知りません、と答えておいた。
 ローゼンタールの名前のルーツは時間軸においては日本の歴史における万延元年にまで遡り、具体的には薔薇である、しかしながらフランスの家系図によっても日本の万延元年以上遡ることはできず、それがまた日本の万延元年のみなもに浮かぶ薔薇の花のようで「粋」ではないかと彼は得意げに話した。
 ぼくとピーターはコミューンのコロニー近くにあるゲストハウスに寝床を持ち、ゲストとしてのその目的は、盆まえにおこなわれる《水晶祭り》のスタッフにあずかることにあった。祭りというよりほとんどフェスなのだが、そのスタッフ側の人間として、《水晶祭り》に向けて色々手伝っているわけだった。

 (fragment2/2)へ続く

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