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発動医療拒否

宮若市行政に対して抗議する為に命をかけて俺は発動させるかもしれません

それは医療への拒否です

もし医療に通院しなければ薬はもらえません

それは死ぬを意味します

精神障害者が薬を飲まなくなるのは死ぬです

でもこのままでも危険な状況です

ならば闘って死ぬのもいい

死ぬかはわかりませんが闘いたいのです

それが精神病という、病気で生きている人間の宿命です

牧梨菜さんは俺を助けてくれた人です

彼女との約束に死ななでくださいという約束があります

死ぬがよぎった時、必ず蘇る言葉です

今日も弱気になった時に、どうすればいいか考えてた時、死ななでくださいが蘇っえ来ました

むざむざと死ぬわけにはいかんなとは思いました

宮若市行政は精神障害者を放置してます

ただ逆に俺がこの宮若市行政を放置してむざむざ、うち死んでは許せない

それは出来ないから抗議をして医療拒否をしたいと思います

薬を飲まないと危険だと思います

危険すぎるでしょう

それでも宮若市行政は放置できるのか?

それを見てみたいと思います

それでも宮若市行政が放置した場合はみなさんの力を貸していただけるとありがたいです

なんとか死なないで生還します

もう少しお会いしましょう

この声なき声を多くの人に聞いてもらいたいです

フィルムフォトグラファー山川博士

一つだけ、既に段階としてカメラ機材も売ってしまいました

事実、生活保護の返還も願い出ました

ただそれはあり得ないだろうと、保護課のケースワーカーには言われてます

カメラ機材、保護返還に動いたのも宮若市行政の別の係の対応による抗議です

その抗議すら、通用しないので医療の拒否を発動をさせるかもしれません

命を張る

大変危険なやり方です

でも無駄に死にたくはありません

俺が自害して死んだら、牧梨菜さんは苦しむでしょう

彼女は今も俺をストーカー規制法で訴えた事で苦しんでいるでしょう

彼女を責めないで下さい

彼女は悪くないのです

俺が梨菜が楽になる事を望みたいのです

彼女は俺に死ななで下さいと言ってくれた初めての人です

約束は守りたい
約束を守るが俺のポリシーだからです

どいつもいこいつも旨い飯食っているな

いずれ冷や飯、いやそれ以上のドブ飯食わしてやるよ

宮若市行政の人間をサイコキラーと呼ぶ

この宮若市行政の人間に善悪はない

だからサイコキラー

完全に狂っている人間です

生還する事を誓いたい

さあ始めようか?

医療拒否を発動させるかは宮若市行政次第です

ただ発動した場合、それは既に殺人に等しい

精神障害としての既に過酷な状況、状態で生きている人間を追い込む事が出来る人間たちもいるのです

これは実話です

今、現実に起こっています

フィクションじゃありません

ただいずれこの事実は世間に認知されるはずです

この現状がまかり通っていたら日本は人の国じゃなくなります

鬼の国

鬼ヶ島です

いずれ鬼ヶ島なら桃太郎現れます

当たり前に人を苦しめてはいけません

そんな時代ではいけません

人を当たり前のように苦しめる時代なら、この先の子供たちの未来に光がなくなります

子供たちに多くの夢と愛を与えてやるのが大人の義務

その大人が人を苦しめるのです

子供たちは何をみて育つのか?

大人を見て育ちます

日本は先進国でありながらやはり封鎖感は否めません

それは男女問題にしても封鎖的です

結論から言わせてもらえれば女性の考え方も捉え方がおかしな考え方になってしまっています

言わせてもらえれば家事、育児は女性がやるものだと思っている女性がいるのです

ではなく男性にも家事、育児をやる理由はあるのです

それは男性側の考え方も家事、育児は女性がやるものだと思っている男性も未だにいます

でも自分は結婚してませんが考え方によっては楽しくなりませんか?

だって一生のうちに子供を育てる、育児が出来るとはいい経験です

子供が赤ちゃんと呼ばれるのはちょっとの時期です

俺はそれがやれると思うだけでもやってみたいと思いはあります

それに子供が大きくなって、お父さんがご飯を作ってあげたら子供は喜ぶと思います

確かに家事も育児も自分はやったことはありません

でも介護だけは誰よりもやって来ました

介護で食事を作り家事をして世話をするのは本当に楽しかった

ご飯を作っておいしいと言ってもらえるだけでまた作ろと思いました

介護とは介護をやるからではなく、命あるから介護するが本当だと思います

介護の為の介護ではすぐに疲れてしまいます

やっぱりなんでも楽しくなくてはやれないものです

そこに命が存在します

家事も育児も介護も命の存在があります

だから出来るのです

この命を見る事が出来れば家事も育児も介護も出来るはずです

仕事としても適用できるはずです

でも命の現場で命を見れているかは疑問です?

ただの医療の為の医療、そして介護の為の介護になっている事もあります

この命を見るとは経験によるところも大きいのです

自分は精神病という病気で命を確実に知りました

なかなか経験で命なんて知る機会が少ないのもなかなか考えが浸透しない結果なのだと思います

でもそういう、自分が経験した事を少しでも広めたいとは自分は思っています

精神障害者で芸術家として知名度が上がれば自分の話を聞いてくれる人たちも多くなると思います

精神病で芸術をやるのがいかに難しのか、そして精神障害者に対して芸術の楽しさで発散という楽しさを伝えたいのです

ただ自分は自分の芸術への芸術革新がありますから、それへの精進にも力は注ぎますが、この国の新しい形も作りたい思いまはあります

逆に精神障害者が時代の先頭に立てば確実に世の中は動いてくると思っているからです

だからここで負けるわけにはいかないわけです

宮若市行政に抗議する為の発動権、医療拒否を使うのか?

危険な処置です

でもそれが志士の闘い方だと思います

じゃ行って来ます

人間にとって何が一番しあわせなのかもう一度考える時代なのでしょう

人が人である為には思いやりは必要です

心優しい人

でもその心が今、自分は消失してしまいました

優しいフランケンシュタインです

長くなりましたが読んで頂きありがとうございます

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