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【後悔】英語学科になんて、入らなきゃよかった。

私の大学にある「英語・英文学科」に入ったことへの後悔

私が所属する学科は、「英文・英語学科」みたいなところだ。大学名を隠しているので、これ以上は言いたくない。以下これを「英語学科」と書く。

こんなところに、入らなきゃよかったと最近本当に思っている。

私の大学には、ほかにもいろいろな分野の学科や学部があって、そのうちのひとつがスペイン語圏に関する、言語や文化を学べる学科だ。これを以下「スペイン語圏学科」と書く。そっちに入れば良かったと本当に後悔している。

私はこの大学を受験するとき、英語学科とスペイン語圏学科を両方受けて、両方合格した。偏差値はさほど変わらない。人気があるのは、就職がしやすく、社会に必要とされやすい英語学科のほうだが、真剣に学ぶ真面目な学生はスペイン語圏学科に多いといわれている。

なお、私の大学にはほかにも様々な分野の学部や学科があり、語学系でもほかに「グローバルコミュニケーション学部」みたいな、ビジネス要素のあるところと、ロシア語とフランス語ができる学部もそれぞれある。これ以上書くと特定されそうなので、ぼかしている。

英語学科に入った理由

私の大学の英語学科は割と有名らしい。歴史がある学科だし、卒業生に有名なひとも多いとあって、案外人気があるらしい。私は人気かどうかというより、カリキュラムの充実具合で選んだ。英語学科のほうが、語学を学ぶためのいろいろなプログラムが充実していて、私の大学で国際系の学科に行くなら英語学科に入ったほうが、割といろいろ、留学にも就職にも有利とある。

また、英語学科に行ったほうがいいことはほかにもあった。応募できる留学プログラムが充実しているということだ。留学したいなら(この大学で交換留学したいなら)英語学科に行ったほうが良いというのは暗黙の了解だった。

そして、私はこの大学に来る前、イタリアの大学に正規留学していて、正規留学する前にイタリア語をCILS B2レベルまで独学で身に着けたという実績がある。だから、スペイン語くらいやろうと思えばいくらでも身に着けられるという過度な自信があった。

※正規留学/交換留学=現地の大学に入学して、現地での卒業(現地での学位取得)を目指す留学の仕方。日本の大学には籍を置かないし、一切かかわらない。相反する交換留学では、得られるのは日本の大学の学位。その代わり、日本の大学のサポートがある。

英語学科に入っても、新しいことが学べない

英語学科という名前の裏で、やっていることは実際中高で習ったことの復習にすぎない。新しいことを学ぶ機会はほとんどなく、その代わり、基礎を徹底することでTOEICやTOEFLでの点数を上げることができる、というのが弊学の教育方針らしい。

ほかの大学では、英語で論文を読んだり、IELTSなどの難しい試験の対策をじっくりやったり、英語圏の大学で非英語圏の学生に教えるようなカリキュラムで英語を学べるようなプランがあったり、シェイクスピアの文章を和訳したりといった、いかにも大学生らしいことがあるが、弊学にはそんなことはない。弊学がやるのは、ひたすら中学英語・高校英語・受験英語の復習だ。

スペイン語などの新しい言語を学ぶ学科なら、新しい単語、文法、会話表現、ほかにもそのスペイン語圏内の文化、歴史、伝統などを覚えられる機会が多い。それが英語学科には一切といっていいほど、ない。

ロシア語学科に入った学生は、4年間であの難解なキリル文字を読めるようになって、キリル文字を発音できるようになって、ロシア語のことをたくさん学んで、ロシア語とウクライナ語を見分けられるようになって、旧ソ連の文化や歴史が学べて、アネクドートが原語で読めるようになって、それらをいくらかでも身に着けたうえで、大学を卒業できる。

それなのに、「高校卒業からの伸び」が英語学科にはない。なぜなら、大学受験の問題のほうが、はるかに定期試験の問題より難しいからだ。定期試験の問題は、持ち時間を半分以上、つまり45分以上残して、98点だった。残りの2点は、単純に単語を忘れていたので答えられなかった。

英語学科に入って、英語が嫌いになった理由

英語を見ると吐き気がするとまでは言わないが、英語が嫌いになった。英語には罪はない。すべては世界中にはびこる英語帝国主義のせいだ。英語学科に来ている学生は、ほんとうにつまらないし、英語帝国主義に毒されている。

英語帝国主義とは、英語と「外国語」を同義とし、「外国語」にランク付けをして、「マイナー言語」「使えない言語」と下層にあるものを切り捨て、「英語を/さえ話せばいい」と言ってしまう暴力のことだ。

英語帝国主義は、残念ながら世界中に根付いている。ただ、弊学にはその傾向が特に強い。弊学に留学してくる学生の8割(コロナ前は9割)が英語圏出身で、弊学から海外留学する学生の8割5分が英語圏に行くというこの歪んだ仕組みの弊害が、弊学には息づいてしまっている。これは、弊学が提供しているプログラムが、英語圏の学生に有利なものになっていることと(学費が高いので、非英語圏出身の貧しい学生は払えないし、英語圏の学費よりは安いので英語圏の学生が留学しやすい)、しかも弊学から留学する学生に提供されているプログラムも、英語圏の大学に向かうものが多いので、どうしても「留学=英語圏から留学生が来て、自分たちも英語圏に行く」となってしまうのだ。

英語帝国主義に毒された学生たち

「英語を学んで、世界のひとたちと仲良くしたい」なんて言っている学生がいるが、彼はドイツのスポーツ(野球だったかサッカーだったか忘れてしまった)が好きで、ドイツに興味がある。ならなんでドイツ語を学ばないで、彼らにも彼にとっても母語ではない英語でコミュニケーションをとろうとしているのか、全く理解ができない。彼にとっての「世界」は「ドイツ」とほぼ同義で、ドイツではドイツ語が話されている以上、ドイツ語を学ばない選択肢はない。

「英語を学んで、世界のひとの架け橋になりたい」と語る学生もいる。彼女は中学生のころにマニラに住んでいて、貧困層を見てきたので、お世話になったフィリピンで国際協力に携わりたいという。ならタガログ語を学べばいい。彼女はタガログ語を学んでいない。そもそも、タガログ語とビサヤ語とセブアノ語の違いすらあんまりピンと来ていない様子だった。貧困層が英語を話すのか、それらの言語を話すのか私はあまりわかっていないが、彼女の「タガログ語なんて役に立たないじゃん」と語ったときの冷めた目は忘れられない。そんな姿勢で国際協力をしようとしたって、うまくいく気がしない。うまくいってくれればいいのだが、私には現地の文化にリスペクトをしないような彼女の夢が成功するようには見えない。

「英語を学んで、海外留学したい」と語る学生もいる。ただ、「海外」と「英語圏」は同義でないのに、彼は英語圏に留学することしか考えていない。それは彼だけのせいではなく、留学と調べると大概英語圏が出てきて、英語という言語を学ぶ語学留学が出てくる、この病み切ったGoogleを作った世界が悪い。彼はアイリッシュパブで働いているので、アイルランドに行きたいらしい。アイルランドの公用語はアイルランド語なので、最低限でもアイルランド語を学べばいいのに、結局彼はアイルランドに半年留学し、アイルランド語で「こんにちは(Dia dhuit)」さえ言えずに、IELTSのスコアを5.5から7.0に変えて帰国してきた。アイルランドではアイルランド語を話す母語話者は減っているので、彼だけを責めるわけにはいかないが、そもそもアイルランドはイギリスの植民地で、じゃがいも飢饉などにもみられるように、植民地主義の犠牲者だ。だったらなぜアイルランド語を捨て英語に染まるのか、まったく理解ができない。アイルランド語をいまさら守ろうとしても、アイルランド市民から聞かれるのは「アイルランド語なんて役に立たないからな…」といった冷めた意見だけだ。

英語学科では、英語帝国主義のほか学べるものがあるのか?

世界のひとたちと仲良くして、世界のことをもっと知りたいという思いがある学生が、弊学の国際系学部(英語学部、スペイン語学部、ロシア語学部、グローバルコミュニケーション学部、グローバルビジネス学部など。名前は特定防止のためぼかしている)に入ってくる。ただ、彼らが卒業するときには、たいがい「世界」が「欧米」に、あるいは「英語圏」に染まってしまう。

中東だって南アジアだってアフリカだって「世界」なのに、彼らは隅っこに追いやられて、リスペクトされることもなく、「使えない言語を話す貧しいひとたち」と追いやられてしまっている。

「バスク語? そんなの役に立つの?」「ラテン語なんて死語じゃん」なんて、頑張ってバスク語やラテン語を勉強している学生の前で素直に言ってしまう学生は、かなりいる。

英語帝国主義に染まらない、映画研究サークル

私は1年生のとき、偶然映画研究サークル(アカデミックさのかけらもないこんなことに「研究」なんて言葉を使わないでほしいとは思うが、40年前からあるサークルなので誰にも文句は言えない)に入った(正式には、サークルの年会費が5000円するので払えなくて体験入部だけだが)。そこで偶然見たインド映画が最高だった。インドって、とにかくすごい。それが映画からよくわかった。英語圏とも「欧米」とも日本とも違う世界がそこにはあった。恋愛とも友情とも家族愛ともとれるような複雑な要素があるため、全然薄っぺらさがない。日本映画によくあるお涙頂戴の泣ける恋愛映画とは全く違う。そこにかなり主張の強いインド、インド、インド! といった声が入る。あれはほかの国には作れない映画だ。

英語帝国主義に染まらない学生たちが、そこにはいた。彼らは隙間時間にヒンディー語やタミル語を勉強しているし、その他にも中国やアフリカや旧ソ連圏の映画も見ると語っていた。ある学生は、ロシア映画の影響でロシア語が流暢に話せる。彼はロシア語ができるからとグローバルビジネス学科に入った。ある中東の国の映画は、英語にも日本語にも翻訳されていないとのことで、映画を一時停止しながら、ある学生(アラビア語が堪能)がその場で訳しているとのことだった。このような学生が、英語帝国主義に毒されないことを願ってやまない。

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