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会話の健全性アセスメント概論
はじめに
もはや言うまでもないことだが、会話は対人コミュニケーションの中核をなす営みである。
したがって、自分が相手に好印象を与えるか、または悪印象を与えて嫌悪されるかは、その時の会話がどれほど相手にとって好意的で健全なものであったか、といったことに帰着する。
とはいえ、その答え合わせがいつも即座になされるものとは限らない。
この世界には社交辞令というものがある。
つまり、たとえ相手が自分の
無知を脱しても恐怖には効かないかもしれない
恐れは常に無知から生ずるとは言うけども、それは恐怖は知があれば克服できる・あるいは無縁でいられる、というだいぶ荒唐無稽な理屈を暗に含んでるように思える
知というものをあまりにも買い被りすぎている、そう思うのは私だけか
ありとあらゆる事象をどれだけ勉強したりリサーチしたってどこかしらに得体の知れなさは残り続けるものだ それが往々にして恐怖の芽になる
人間は自分自身のことさえ完全に解き明かせないと
猫ミームが嫌いな理由を言語化する
最近流行っている猫ミームだが、嫌いなのでなるべく目に入れないようにしている。
何となくで流行りに逆らう逆張りキショ野郎の謗りを受けるのは本意ではないので、その嫌悪感の理由を言語化しておきたい。
都合よく解釈される猫たち
このミームの登場人物としての猫は、実際に存在する動物の映像からの切り抜きである。
それにダンスをさせたり喋らせて寸劇を演じさせたり、といったものがミームの基本様式になる。
『やりたいことで社会にコミット!(キラキラと輝く眼差しで)』〜私なりの就活論〜
大学生活3年目ともなると、就活の話がそこかしこから聞こえてくる、あゝ気が狂いそうだ。やだやだ
今日も今日とてハナクソでもほじくりつつキャンパスを歩いておりますれば…ほうら居ましたよ、『やりたいことを生かして社会で輝きたい!』と潤む瞳で熱弁する学生。
『やりたいことを生かして社会で活躍』…何度聞いても乾いた笑いしか出て来んフレーズですよ、はい。
包み隠さず言えば、やりたいことを仕事にして人生が
Y字ドライバーを買え、そんでもって壊れたSwitchを分解しろ
『剥がすと保証対象外になります』と書かれたステッカーをカバーに貼る、普通の家では見つからないような形状のネジを使う、接着剤や溶接での接合など、デバイスを破壊せずには分解できないようにする…
このように、内部構造へユーザーがアクセスすることを拒む製品はままある。
分解したら不利益があるぞ、物理的に分解させないぞ、使い続けたいならお客様サポートセンターに電話しろ、それが手間取るなら新品を買え…とい
『赤ちゃんは親を選んで産まれてくるんだよっ♡』
親に熱湯を浴びせられて火傷を負い、苦しんでいる妹のために5歳の兄が近所に助けを求めに走った、というニュースを耳にした。
このような胸糞悪い虐待事案・毒親との確執のエピソードを聞くにつけ考えることだが、『赤ちゃんは親を選んで産まれてくるんだよ✨』といった言説は、クソ益体もないまやかしに過ぎない。
仮にそれが本当ならば、その虐待親は今頃不妊症に苦しみ、イーロンマスクは一億つ子くらいの子宝に恵まれた
大学の入学式で貰ったパキラが枯れた
大学入ってから私の学生生活を見守り続けてくれていた鉢植えのパキラが枯れた。
入学式の時に大学から貰ったやつだ。
何気なく本棚の上を見やると、茶色く変色してカリカリに干からびた彼の姿があった。
もういくら水をやっても、息を吹き返すことはない。
ああパキラ。私の学生生活のそばにいつも居てくれたパキラ。
友達を下宿に呼んで騒ぎ明かした夜。
訳のない希死念慮の海に溺れた夕暮れ。
免許試験に落ちて泣
STRONG ZERO
酒は人を詩人に変える
酒に逃げた人間は逃避元の憂世に
そして逃避先の桃源郷に詩を寄せる
飲んだ酒は喉から胃へと下る
しかし悲喜交々は喉をせり上がり
溢れ出すその出口は唄うたいの口である
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また至らぬことを口にしたのではないか
目も当てられぬ醜態を晒したのではないか
もはや取り返しは付かぬのではないか
ならばもう死ぬしかないのでは
後悔と自己批判の
『いぃ〜!!にぃ〜!!りぃ〜!!ひぃ〜!!みぃ〜!!』
阪急電車の車内での私の気持ちのいい午睡は、突如子供が上げた、上記のような奇声によってぶち切りとなった。
『にぃ〜!!ちぃ〜!!いぃ〜!!』
頑なにイ段に執着する子供の奇声は、治るどころか一層激しさを増していく。
電車は丁度西京極を発車したところで、私が降りる駅は京都河原町。
周囲の状況や残り時間からして、二度寝は絶望的だ。
『みぃ〜!ぢぃ〜!きぃ〜!』
肝心の親はというと、この小さきシャウ
自分の人生を生きることなんて出来んよ
「他人の人生生きるなんてもったいない!みんな自分の人生を生きなよ!そしたら充実するよ!」
何とまあ鼻につく、歯の浮くような文言であることよ。
自分の人生を生きるということはすなわち「誰かの評価を気にしない」ということなのだろうが、そんなやり方を私は知らないし、実際問題不可能だとさえ思う。
承認欲求は人間に自然と備わる欲求であり、それを満たすために行動した人間は有史以来ごまんと居るのだろうが、S