『赤ちゃんは親を選んで産まれてくるんだよっ♡』
親に熱湯を浴びせられて火傷を負い、苦しんでいる妹のために5歳の兄が近所に助けを求めに走った、というニュースを耳にした。
このような胸糞悪い虐待事案・毒親との確執のエピソードを聞くにつけ考えることだが、『赤ちゃんは親を選んで産まれてくるんだよ✨』といった言説は、クソ益体もないまやかしに過ぎない。
仮にそれが本当ならば、その虐待親は今頃不妊症に苦しみ、イーロンマスクは一億つ子くらいの子宝に恵まれた暮らしを送っているはずだろうが、当然のことながらそうはなっていない。
理不尽な痛みを与え、ありとあらゆる自由を奪い、権利を踏み躙る、そんな低劣極まりない親の元に生まれる子供は一体なんなのだろうか?
そう問われた『赤ちゃん親選択論』者は、何の臆面もなく次のような返答をよこした。
『赤ちゃんはそのような親をも選んで産まれてくる。彼らは苦難に耐えることで魂をレベルアップさせるべく、修行をしている。または、命の大切さや慈しみの心をを自らの身をもって親に教え、成長させようとするがために、虐待親のもとに生を享けるのだ』
聞いて私はその日食った飯を全て嘔吐しそうになり、何とかそれを堪えた。
何というグロテスクな理屈だろうか。
魂のレベルアップ?
親の気の慰みや悪意の発露から来る、理不尽な暴力やハラスメントを経て子供が掴みとるものといえば、せいぜい厭世観や自己否定、人間不信などといった、毒にこそなれ栄養など含まぬ苦い果実ばかりである。
それは食べた者を徒に苦しめ、時に葬りさえする。
『魂のレベルアップ』などの役に立つはずがない。
そのようなものを好き好んで喰らうような倒錯した感覚を、凡ての魂が持ち合わせているとでも思ったのだろうか。
『赤ちゃん親選択論』者は彼らを『高邁な修行者』とでも看做したかったのだろうが、御生憎様だ。
親を成長させるため、だ?
誰彼構わず股を開いて公園トイレの和式便器に赤ん坊を産み落とし、挙句腹が凹めばまた穴を見せつける相手を探しに行く、そんな母親ならどうするか?
そしてそのような不幸な子供を世に在らしめた責任や咎を背負うこともなしに、夜のネオンの街を練り歩いては大勢の異性にイチモツを振り回して刹那の快楽を貪る、コンドームのコの字も頭にない。そんな父親ならどうするか?
暴力と遺棄の果てに子供を殺し、捕まった後でも考えることはといえば『かったりいな、いつ出られるんだ』といったことばかり、そんな両親ならどうするか?
何をどうひっくり返しても成長する気配がない、いくら尻を叩かれてもモノを学ぼうともしない、そんな親元に生まれ、その無学と悪意と狂気に殺された子供がいる訳だが、彼らは無駄死にだということになってしまう。そのことについて、『赤ちゃん親選択論』者はどのような考えを持つのだろうか?
どうせ『人の魂は十人十色だから』などといったご都合主義に走るのが関の山だが。
(そもそも、ここまで挙げられてきた『魂』というフレーズ自体が多分に胡散臭さを含むものであるが、そこへの掘り下げは割愛する)
『赤ちゃんは親を選んで産まれてくる』といった神話が幸せにするものといえば、せいぜいそれを提唱し始めた本人くらいのものである。
親からの謂れなき暴力に苦しむ子供に与えていいものではない。
そのような子供に聞こえるような場所で唱えるべきものではない。
さもなくば、それは彼らの足枷となり、時に凶器となるのだ。
そこまで意識が回らぬというのならば、海底の二枚貝のように口を噤んでいて欲しい。黙ってろ。
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