公立中学の話

私の実家近辺にはたくさんのクリニックと法律系事務所と公立大学があり、太い県道に区切られた南側には古い団地街があった。
中学の校区はそれを跨いで広がっていたので、生徒の間では2つ以上の階級が混じり合う空間が形成された。

あえて俗な言い方で表現すれば『育ちのいい』ガキと『育ちの良くない』ガキのるつぼだった訳である。

それらが混じらう空間を統率する際の帰結としてなのだろうか、生活を縛る諸々の規則の内容や観念は『育ちの悪い』連中本位のものへと傾斜していき、先公連中はより権力を振りかざすようになっていた。

その甲斐あってか、公立中学が『荒れる』ことで知られる自治体にあって、私の母校は比較的マトモな学校として評価されていた。

しかし水面下では、少なからぬ生徒が割を食う形でそれを形成する教員の権力に怯えさせられ、そして敵意を抱いていた。

ある冬の朝だったか、メルティキッスの包み紙が下駄箱に落ちていたというだけで全校生徒が体育館に召集され、体育教師の罵声を浴びせられた。
このエピソードはいまだに記憶に残っている。

数メートル先を歩いていた知人が廊下で騒いだために先公にとっ捕まり、生徒指導を受けた時のことだ。
『近くに居ながら大事な友達の過ちを正さなかった』という理由で、バカ騒ぎに関与しなかった私までもがその先公に怒鳴られ、頭を下げさせられた。

このような理不尽な事態もそこでは発生したものだ。



『お前のような奴が集団で頑張る仲間たちを白けさせるのだ』

『集団がより良くなるために何をすべきかを考えろ』

私が敵視していたとある体育教師の、学年集会の際のセリフである。

『集団』

理不尽極まる連帯責任的な処遇は、たいていこの2文字を根拠にしていた。

『多数の人間を我々教員の思う形に、思う方向へと統率したい』という願望を『みんなこの集団で頑張りたいと思っている』『そこからはみ出すことはみんなを悲しませる』という論理で糊塗し、外観上『みんながみんなの意思で集団へと集まって奮励している』図式を成立させようとしていたのであろう。

この『集団』主義に絡め取られた一部の生徒の言動・行動にも、多分に辟易させられた。

これに関して具体的な事例は覚えてはいないが、『合唱コンクールの練習が上手くいかずにリーダーが泣き出した』時のような不愉快さを度々感じたことは記憶している。

このような生徒の発生までもが織り込み済みなのだとすれば、このグロい『集団』主義は一部分で成功していたのではないだろうか。

しかしもう一部分からは嫌悪と冷笑を買ったのであれば、マクロとしては失敗であろう。さもなくば『集団、集団』とやかましくがなり立てる意味があるまい。
前に立ってそれを叫ぶのが先公だろうとリーダー格の同級生だろうと、私は苛立ちこそすれ感動など少しも覚えなかったのだ。これによって彼(女)らの出鼻は挫かれた。


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公立中学が『お勉強やオタク行動を好む陰キャvsバカ騒ぎ万歳の陽キャ&非行に明け暮れるDQN』という単純な対立構造で論じられることはままあるが、これは少々解像度が低いものだと考えている。

実際には、先述の二者に加えて『それらを縛りつけようとする権力者=教師、その傀儡のように振る舞う一部生徒』などといった層も入り混じる、嘔気を催すようなカオスなのである。


こういった環境からは、確かに『世の中にはいろんな人がいる』という教訓を得ることができたし、何なら生涯にわたって続きそうな友人さえできた。
しかし、その時代の全てを総括した上でそれをもう一度体験したいかと言われれば、今のところは返答に困ってしまうことだろう。

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