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大学の入学式で貰ったパキラが枯れた

大学入ってから私の学生生活を見守り続けてくれていた鉢植えのパキラが枯れた。
入学式の時に大学から貰ったやつだ。

何気なく本棚の上を見やると、茶色く変色してカリカリに干からびた彼の姿があった。

もういくら水をやっても、息を吹き返すことはない。


ああパキラ。私の学生生活のそばにいつも居てくれたパキラ。


友達を下宿に呼んで騒ぎ明かした夜。
訳のない希死念慮の海に溺れた夕暮れ。
免許試験に落ちて泣きながら発狂した昼下がり。

いつでも彼は私を無言で見守り続けてくれた。


コロナ禍による遠隔授業期間中、実家に帰って2ヶ月ほど放ったらかしても生きていたあたり、彼の生命力には目を見張るものがあった。
しかし私はそれを丸きり過信していたようだった。


やはりというべきか、どんな命にも終焉の時はやって来る。
それはうん十年後かもしれないし、明日かもしれない。

しかしそれがいつやって来ようとも、『なんで今なんだよ、早すぎるよ』という悔やみ悲しみは避けられない。
赤子が産道をくぐってすぐの死だろうとも、1世紀近く生きた人間に訪れたそれだろうとも、この情動は平等である。

こうなった責任の一端、というより全責任は、水やりをサボった私にある。自ら台所へ行き、蛇口を捻って水を飲むことなど、彼には出来やしないからだ。

しかしながら、私のこの怠惰を裁き得る罪状も権力も、目下この国にはない。

ならばせめて、私は彼と過ごした日々を胸に抱きしめ、これからの人生を送っていきたいと思う。
月並みな臭い事を言ってしまったが、それが彼への最たる供養であり、最たる懺悔であると思う。


パキラくんよ、ありがとう 安らかに眠りたまえ










というのは8割がた冗談である。

ぶっちゃけた話、このパキラの鉢植えは非常に邪魔であった。

地面に置けば蹴り倒してしまいそうなほど小さく、かといって植え替えをできる場所もない、そんな彼の置き場所は本棚の上と相成った訳だが、地震が起きるたびに倒れて落ちてきそうなそれにはヒヤヒヤとさせられてきた。 

罷り間違って頭に落ちてくれば怪我をするだろうし、土を被って惨めな思いをすることになる。
そうでなくとも下に並べられた本が土を被り、これまた惨めなザマになる。


しかし枯れてくれたおかげで、その場所からどかすきっかけができた。
これで私の部屋はほんの少しだけ衛生的で安全になる筈だ。

カピカピに干からびたパキラは鉢ごとビニール袋に捩じ込み、下宿のゴミ捨て場に放り込んで来た。
彼の立っていた場所はハンディーモップで拭われた後、高木さんのぬいぐるみのディスプレイになっている。


ああスッキリした。

弊学は、今後はもっと嵩張らず衛生的なプレゼントを新入生にするべきだと思う。

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