『やりたいことで社会にコミット!(キラキラと輝く眼差しで)』〜私なりの就活論〜

大学生活3年目ともなると、就活の話がそこかしこから聞こえてくる、あゝ気が狂いそうだ。やだやだ

今日も今日とてハナクソでもほじくりつつキャンパスを歩いておりますれば…ほうら居ましたよ、『やりたいことを生かして社会で輝きたい!』と潤む瞳で熱弁する学生。

『やりたいことを生かして社会で活躍』…何度聞いても乾いた笑いしか出て来んフレーズですよ、はい。

包み隠さず言えば、やりたいことを仕事にして人生がバラ色のまんまの奴なんかほんの一握りでしょうに。多分これ、YouTuberとかが似たようなこと喧伝しまくったせいで、それが人口に膾炙しちゃって今この現状があるのかな、と。それに関して言いたいことは山ほどあるけど、本筋を離れるのもアレなので程々にしておこう。とりあえず『好きなことで、生きていく』とかいうキャッチコピーを考えついたやつは出てこい。顔面がYouTubeのアイコンの形になるまでぶん殴ってやる。

まず『やりたいこと』ベースで労働を考える奴、人間の心の流動性をナメてるとしか思えんのです。

ある日突然オマエの『やりたいこと』が『やりたくないこと』に化ける可能性をちょっとでも考えたことあんのかよ、そう問いたいわけでさ。

『もう飽きたししんどいしやりたくない、でも"これが俺のやりたいこと"っつって飛びついた手前今更どうしようもない』ってなる可能性。


というか『やりたいこと』を『やりたいこと』として考えられるの、それを言ってる人間が現状何の責任も負ってない状態だからこそじゃないですか?(e.g.学生)

労働としてそこに責任負い始めたら、少なくとも気が重くなるくらいはあると思うんすけどね。

元来、労働という営為の主眼は『相手のニーズに応えるべく生産をする』ことであり、『やりたいことをする』のなんかその副産物でしかないんだから。

そんな状況なら、『やりたい』が揺らいで『やりたくない』に転ずるのなんか、ごく自然なことでしょう。それがないほど強い人間もまあ居ることにゃ居るんでしょうけど、生憎私ゃそんなにデキた人間じゃないわけで…


ってな訳で、就職の文脈において『自分のやりたいこと』なんか考えなくなっちゃいました。それが今後どう作用するのかは未知数ですけど、とにかくすっぱり切り捨てちまったのが現状です。

まあ面接とかで上部を取り繕う程度には練らなきゃな、とは思う訳ですが、心根じゃそんなことなんざもうどーーーーーーーーーーーーーでも良いことになっちまいましたよ。

少なくとも、例えば就活にまつわる雑談とかで『君って好きなこととかやりたいこととかある?』と聞かれたら、『あることにはあるが、それを仕事にしたら嫌いになる恐れがあるので、もう考えないようにしている』と答えるようにしてます。

ううむ、嫌味ったらしいかも知れない。
こんなことしてちゃいつか友達無くしちゃうかもしれんわ、くわばらくわばら…

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