ゲームきっかけで共通の友人の友情がぶっ壊れた話

ゲームは友情を育むツールにもなれば、それをぶち壊すツールにもなる。

マリオブラザーズを遊んだことのある方ならお分かりいただけるだろう。
ヘマをした友人に腹を立て、いつしかクッパ城の攻略そっちのけで目の前の人間とボコスカド突きあっていた、といった具合だ。

人と人との間に勝ち負けが生まれるゲームなら尚更だろう。
私の高校時代の恩師曰く『スマブラでネスを使う奴とは絶交しろ』とのことである。
彼はそれきっかけで友達を一人無くしたらしい。


幸いにも、私はそのようにゲームで友人と仲違いしたことはない。
しかしながら、それが起きる様を、それも一部始終を目撃する羽目になったことがある。
高校生時代の半ばあたりのことである。


バトルロワイヤル系のシューティングゲームがある。

丸腰の状態でゲームフィールドに上陸し、足元に散らばるアイテムをかき集めて自身を強化、多数(だいたい100人程度)との戦いを経て最後の一人(あるいは一チーム)となった者が勝者となる、といったものがゲームの基本ルールである。

当時のeスポーツブームの中にあって、このようなゲームは数多のタイトルがリリースされ、盛り上がりを見せていた。
そんな中、私はスマートフォンアプリとして出回るそれを盛んにプレイし、中学同期の所属するプレイチーム(所謂クラン)の仲間入りをした。


先述の通り、そのゲームはグローバルな競技の舞台としても賑わっており、私もその流れの中に取り込まれていくようになった。

当時の日本人プレイヤーたちの関心事はだいたい『アジアで一番強いクランは何か』『アジア最強のプレイヤーになりたい』といったものである。
私のチームはそんな夢溢れる世界に挑むべく、アジア規模のとある大会、その予選にエントリーした。

これが全ての始まりだった。


中盤までは概ね順調だったものの、チームメイトの1人(以降C)のボイスチャットが不調を来たしはじめた。

音声はやがて無くなり、ついには彼との意思疎通ができない状態となった。


チーム競技全てに通ずることではあるが、試合においては仲間とのコミュニケーション、それに基づく連携こそが勝利に必要なことは論を俟たない。
裏を返せば、コミュニケーションに支障を抱え、連携が崩れたチームから先に脱落してゆく訳だ。


チームの会話の輪から弾き出された彼は、果たして単独行動を始めた。
隊伍を整え直すよう彼に求めるも、彼にそのメッセージは届かず、彼の思惑も我々には分からない。
両者共にどうにもできない状態と相なった。


この状況が続けば、今連携が取れている残りのメンバーまでもが危険にさらされるかもしれない。
チームリーダー(以降A)は泣く泣くアサルトライフルで取り残されたCの車を銃撃。
車は爆発炎上し、彼は死亡退場となった。


その状況に腹を立てたのが、もう1人のメンバーBである。
状況の復旧を試みることもなく強引な対策をとったことに怒りを抱いたのか、彼はゲームをネットワークから切断、離脱する。

チームメンバーの半数を失った状態で士気は保たれるわけもなく、取り残されたAと私は呆気もなく他のチームの銃弾を浴び、ゲームオーバーとなった。


私のチームは試合終了後、続く第二試合、第三試合の出場を辞退することになる。
一挙にメンバーが2人も欠けるという致命的な事態に、これ以上の続行は絶望的だと考えた上での判断のようであった。

Aは主催者から、辞退の上で運営に発生した支障の尻拭いを要求された。
そのストレスと憤りは、Bの方面へと矛先を向けることになる。

怒りの込められた言葉の応酬は、まるで先ほどまでフィールドを飛び交っていた弾丸のようであった。

ひとしきりの言い争いの後互いが怒りに任せてLINEをブロックしたため、私はその2人を取り持つ役回りを担った。

言い分は幾度となくぶつかり合い、最後にはBがレポート用紙表裏はありそうな三行半をAに投げつけ、以降チームとの関係を完全に絶った。

一つの友情が崩落する瞬間だった。


私はどちらの肩を持つ気分にもならなかった。
というのも、Bは私をチームに招き入れたその人であり、そのおかげでAとの親交も生まれたからである。
両者共に、私にとり極めて思い入れの深い人物であったが故に、その仲違いにただただ悲しみを覚えた。


亀裂は断裂へと進展し、今日までついに再接合されることはなかった。

今ではAは『まあそんなこともあったね』と笑うほどには吹っ切れていたが、Bはというと、Aの名前を引き合いに出すと『そんな奴いたっけ?』と、完全に彼のことを頭の中から追い払っていた様子であった。

彼らと共に仮想世界のドンパチに励んだ日々は、すっかり過去のものとなった。



血道を上げる何かを持つことは、豊かな人生のしるしとしてしばしば語られる。
メシ・クソ・布団といった生理的生活をも忘れさせる程にのめり込む何かがあれば、少なからぬ人生の充足が得られることだろう。

しかしその熱中は、過ぎれば悲劇や損失をも産む。
ゲームが元での喧嘩・絶交が、その一つである。

此度、友情─作り難く壊れやすいものが目の前で崩れ去っていった。
それも、友情の育成具ともなり得るゲームが要因となって…


これを読んでいる皆さんに対しては、"ゲームは節度を守って楽しく遊びましょう"、これ以上に訴えられることは私にはない。

そしてもし、それがきっかけで人間関係の危機を覚えるようになったら…ひとまずコントローラーを置いて外にタバコでも吸いに行きましょう。

月並みな提言ですが、ぜひともそういたしましょう。

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