無知を脱しても恐怖には効かないかもしれない

恐れは常に無知から生ずるとは言うけども、それは恐怖は知があれば克服できる・あるいは無縁でいられる、というだいぶ荒唐無稽な理屈を暗に含んでるように思える
知というものをあまりにも買い被りすぎている、そう思うのは私だけか

ありとあらゆる事象をどれだけ勉強したりリサーチしたってどこかしらに得体の知れなさは残り続けるものだ それが往々にして恐怖の芽になる

人間は自分自身のことさえ完全に解き明かせないというのに、それが自分以外の何か相手ともなれば尚のことだ 恐怖をかけらも抱かずにいられようものか


知の獲得という、多分にしんどい行いをしてさえ恐怖を克服できない可能性があるのなら、結局のところ骨折り損ということになる 
だったら無知のままでいた方が幸せだったのではないか


無知のままに恐怖し続けていれば、恐怖された相手は悲しむだろうが、それで当座の身の安全が購えるのならば安いものだ

私だって人間である そりゃ我が身が可愛いものだ

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