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「絶望」というクッション
真っ暗な闇があるから、小さな小さな光が分かる
世界が薄暗く、グレイな感じの昨今・・
ふと目にしたSNSのことばに光を見出す
「希望」だ
自分が感じていたのは無意識の「絶望」だった。
はっきりと認識した。
あまりにも疲れ、あまりにも呆れ、あまりにも暗い人の目にいつの間にか「希望」を失っていた。
が、一筋の「希望」の光に救われた
自分が絶望していたことさえ分からずにいた
「絶望という
世の中の喧騒に思うこと・・
世の中の喧騒を横目にぼーっと思うこと・・。
「みんな自分の頭で考えようよ‥国はあなたを救ってなんかくれないよ・・見りゃあ分かるでしょうよ。菅さんの頼りなげな表情、自分たちの利権しか頭にないお爺さんたちの集まり・・人の上げ足ばかり取ろうとして何かにつけ反対ばかりしている野党・・いったいどこを見て何をしようとしているのか?誰も一般に生活している普通の人の生活に興味もないし、実際の生活も知らない。知っ
これからの師は自分の感覚
探求・学び・・・の時期が過ぎ
いよいよ本当の人生が始まる。世間、親、社会、権威、支配、コントロール、先入観、価値観、様々なフィルターを取っ払って
ただ自分に正直に生きる
これからの師は自分の感覚
それを疑わずに生きる
どうなるのかと・・期待もせずに
毎日が練習の日々だろう
今まで「脳」が勝手にリアクションしていたことに、気づく必要がある
からだの感じは? 胃のあたり、みぞおちの
新しい扉の向こうへ冒険しよう
夢が叶う怖さってある
あんなに夢見たのに いざ叶う・・となると後ずさりしてしまう
あの感じ
でも勇気を振り絞って こわごわ一歩を踏み出すと
「へ?」
なんだ・・こんなに簡単なんだ・・と拍子抜けする
あの最初の一歩を踏み出す「勇気」それだけが必要
慣れ親しんだ所から、未知のどうなるか分からない世界への一歩
その一歩をたくさんたくさん経験したくて ここへ来たのだ
最初の一歩の「勇気」
生活のために働かなくてよいのならあなたは何をしているだろうか?
子どもの頃何をしていただろうか?
暮らしの心配(衣食住)などしなくてよい頃にしていたことが、本当にしたいことだ。
興味のあること、面白そうなことしか(やらされる勉強は除く)してなかった。
何のフィルターもないから。
たくさん本を読み、絵を描き、外国に憧れ、空想ばかりしていた
それはそれはワクワクすることだった
いつの間にか「わくわく」が無くなり、生活は「しなければならないこと」で埋め尽
全ての経験は間違いではない
どんな悲惨な経験であっても
どんな苦しくつらい経験であっても
それは間違いではない
間違いで経験が起きる・・ほど宇宙はおまぬけではない
人間の領域なんて軽く超えた存在からの視点は
「人間」である私たちに分かるはずがない
であるならば・・「理由」なんて本当は誰にもわからない
物事がなぜ起きるのか、どうなるかなんて本当に
「神のみぞ知る」・・だ。
知りたがりの私の脳は、長年探求を続け
「かわいそう」を手放す
誰かの経験を見て「かわいそうだな」と思うのは感情移入している
宇宙から見れば、またハイヤーから見れば、その人に必要な経験しか与えない。またその人に耐えられない経験を与えない。
客観的な愛は それを知って余計なことをしない・・こと。
そしてもっと言うと「どうでもいい」と心底知ること。
本当に人のことは「どうでもいい」のだ
したければできることをすればいい
どのひとも責任をとれるのは「自分
「自由」とは自分を創造することだ
朝目が覚めるとき、一瞬「あれ?」
「姉弟がいない 何で?」
脳が働き始めるとともに記憶が再生される。
「ああ・・私はもう結婚してて子どもがいるのだった・・」
夢の中で過去にいたので、実家にいる子どもの頃の自分だったのだ
不思議な感じだった。そうかやはり時間は脳で作り出されるもので、実際はないのだ。
一瞬一瞬ちがうのだ。シフトしているのを脳がつなぎ合わせて「記憶」としているのだ。
本当