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ライトワーカーとして

幼いころから「人と争う」ことや「ケンカ」がほとんど無かった。

一人でいるほうが気楽だったし、「観察」するほうが好きだった。自分といるのが一番リラックスしたし、楽しかった。

小学校のころ仲間外れにされた時も不思議と悩まなかった。もちろん嫌だなぁ・・の感情はあるが、それよりも相手の子のエネルギーに驚いていた。

誰もがそれは「良くない」と知っていることを、「誰も見ていない」と思い、してしまえることへの「驚き」だった。私にとっては「見えない」ことなんてないと「知って」いたから、「え?それまずくない?全部視えてるよ?」なんて思って、衝撃だった。

たぶん「宇宙の法則」で生きていたから(自分がしたことは自分に返ってくる)、そっちのほうが心配だったのだ。

そして相手を気の毒に思ったりして、「短めに終わらせるほうがいいよ」なんて心の中で呟いていた。そのうちあまりにも反応が薄く、怖がりもしないので「仲間外れ」というゲームは何度もただ通り過ぎて行った。

こんな風変りな子どもだったので、特別仲の良い友達はいなかった。今思い出しても、子ども時代をどう過ごしたのかあまり記憶にない。家庭環境も複雑で、実の親に縁が薄く厳しい継母に育てられた。

けれど、ここまで「まっとう」に(自分で言う!)生きてこれたのは、やはりスピリットや見えない存在達にかなり助けられてきたからだ。

物理的にいつもすごいタイミングで助け舟が来たし、道に迷いそうなときは「本」(読むのが好きだったから)で導いてくれた。

心細いときは「自然」が慰めてくれたし、パワーも元気も「自然」がくれた。

私にとって「人間」がいちばん面倒くさくて苦手だったのかもしれない。

「何のために生きるのだろう?」小さなころから、「誰かのために」というのだけはギュッと握りしめていたような気がする。

「ライトワーカー」という言葉は知っていたけれど、自分が名乗るにはおこがましいと感じていた。

けれど、やはり何かしら「光」の仕事をしたいと望んでここに来たと感じるのでそれが自分の満足につながるのだ・・と分かった。

ならば、「ひとのため」でなく「自分の満足」のためなのだ。

みなが光の下に笑顔でいるのを見ることが「自分の満足」なのだ。

まずは自分が「笑顔」でご機嫌でいることが何よりも大切で、それが「光」を大きくすることじゃないかと感じる。光のピースを大きくつなげて、よりみなが楽しく生きる世の中を創造しよう。


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