「卒婚」のとき
卒婚の時期がきた
子どもが成人し、お互い諸事情(単身赴任など)で別々に暮らすようになった。
久しぶりに会うとお互いの気持ちの温度差、また会話のかみ合わなさにびっくりする。
毎日顔を合わせて生活を共にしていると、気づかないふりをしてスルーしてしまう小さな違和感が教えてくれるもの・・・それはもうエネルギーが合わないということ。
それぞれ大切に思うものが「同じ」だった時もあった
今はそれが「違う」
そして「誰かに合わせる」ことのできた特技はすでに失われつつある。もう自分に嘘はつけない。
ひとつのきっかけが話し合うチャンスをくれた。
お互いに感じていることは同じだった。嫌いになったわけじゃない。けれど、もう一緒には暮らせないね・・。と。
「卒婚」だ。
お互いそれぞれの道を行く。
「家族」であることに変わりはないし、繋がりは切れたりしない。
が、もう同じ時を刻むことはかなり少なくなるだろう。
「解散!」に意識は近いかな・・。
人生のある一定期間集まって一緒に歩き、ある地点まで来ると「じゃあまたね!元気で!」と解散し、それぞれの生きたい道へ行く。
とても自然な流れのような気がする。
三次元的なもろもろは肉体があるので、ゆっくり対処していくが、意識ははっきりと新しい道へと舵を切った。
結婚があるなら卒婚もあるだろう・・と、いままでの思い込みから解き放たれて新しい家族の在り方も、もしかしたら構築されていくのかもしれない。
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