【もう一度みたいもの】 スリランカの石窟寺院の入り口にいた僧の目。泣き出しそうなうるんだ瞳で、手首に守りの糸を結んでくれました。あまりに綺麗な瞳で、息をのみました。遠く離れた道から振り返ると、向こうから手を合わせてこちらを見ている。震えるように揺れていた瞳が忘れられません。
JUST ACCEPTED (弱い自分を隠さず)ただ受け入れる。僧名・明玄ことF・キリンガー氏の悟りの言葉だ(先日の『何も求めず ただ座るだけ_自給自足の禅寺 安泰寺の1年』)。ドイツの裕福な家庭で育ったが世俗的な成功に疑問を感じていた。悩みの深さは違う。しかし私も受け入れる。
分かったつもりは外道の見解。 僧たちによる問答「首座法戦式」でこの言葉を聞く(先日の『永平寺 禅の世界』)。「悟りとか迷いとか色分けできない真実がある」が、もちろん真実は彼らにも分からない。それを求めて「乱れては整え、乱れては整え」る修行があるか。俗世界に生きる私も背筋を正す。