川中紀行/コピーライター

広告の文章を書く仕事をしています。仕事も趣味も書くことですが、Jリーグは3チーム(清水…

川中紀行/コピーライター

広告の文章を書く仕事をしています。仕事も趣味も書くことですが、Jリーグは3チーム(清水エスパルス・ガンバ大阪・湘南ベルマーレ)を応援し、いずれのチームでもゴール裏に立ちます。 仕事の強みと実績はWEBサイトで→https://kawanaka-copywriter.com/

マガジン

  • いいコトバ

    あらゆるメディアで(インターネットを除く)、巷の会話で、私が「いいな」と思ったコトバについて書きます。

  • noteコメントの善と悪

    noteのコメントから得られるポジティブな力と、 一方でマナー違犯とも言えるネガティブな コメントの側面について、 シリーズ化して語っていきます。

  • ソウ感ジタ。

    生活しながら感じたこと、考えたこと、体験したこと、について書きます。

  • テレビドラマの社会学

    テレビドラマの台詞をもとに、社会に表れている変化を,公開データと結び付けた独断と、私の関心が導く勝手な推論で考察します。

  • 再現批評

    古今の映画を中心に、対象となる作品のトーンや雰囲気を 「再現」するようなリズムの文体で、あるいはその他の 手法でトライします。 映画をよく観ていたころ「キネマ旬報」の「読書 の映画評」で 年間掲載回数1位(自主統計)に。

最近の記事

仏教では、自分への執着を「我執(がしゅう)」と呼ぶらしいが、話はそれで終わらない。

■よくないことだとは分かるが「仏教では、自分への執着を 『我執(がしゅう)』」と呼ぶ」 と、先日の「日本経済新聞」朝刊/春秋。 「我執」とは、 江藤智昭さんが、 著書「お寺の掲示板  諸法無我」で 紹介した言葉だそうだ。 「執着」とは、 その事ばかり心に思い、 忘れられないこと (『新明解国語辞典』〈第三版〉)。 よくないことであるとは分かるが、 この話はそれでは終わらないのだ。 ■「我」か「他」か本来の「自分」を貫く生き方を基本に置く 中国の「陰陽五行」思想を持ち出す

    • とりとめのない愚痴は、相手をゴミ箱にしているのと一緒。

      ■愚痴は大嫌いこれは、 相手の愚痴に悩む相談者に 美村里江さんが紹介した言葉だ (先日の『日本経済新聞』朝刊/なやみのとびら)。  よくぞ言ってくれた。                                                   *私は新卒入社した花王(当時、花王石鹸)の 社員食堂で愚痴を聞くのが大嫌いだった。 「そんなに嫌ならなぜ辞めないんだろう」 恐らくそれが私の社会人初日の感想だ。 私はこの会社を2.5年勤務で辞めた。 東京・五反田に夫婦で

      • あらゆる悩みや失望が、所詮は取るに足らないものだと思わせてしまう、ある一人の男の清廉な日々、映画「PERFECT DAYS」。

        ■愛おしき「平山」の日々住処がある朽ちかけたアパートを出るとき 平山は、常に変わることなく空を見上げて そして、微笑む。出勤時に例外なく微笑む ことができる者が果たして現世に存在する のだろうか。道端を掃く箒の音で目覚めて 身を起こし布団をたたみ、苗木に霧を吹き 日々清掃する現場である公共トイレの鍵を The TokyoToiletと書かれたユニフォームの ポケットに一つひとつ掴み押し込んでゆく 車を出す前に必ず缶コーヒーをひと口飲み 走り出せば気分に合わせカセットテープを

        • 「おばさん構文」「おじさん構文」というエイジハラスメント。

          ■エイジハラスメントの軽視 先日の「堀潤モーニングFLAG」で、 いわゆる「おばさん構文」「おじさん構文」の 特長を取り上げていたが、 総じて“おじさん・おばさん”世代の LINEの書き方の癖を茶化すような内容だった。 「若い世代は、そんな書き方しないよ」的に 同じレベルでコミュニケーションしたかったら直せ と言わんばかりの10代の声を興味本位で 取り上げていた印象があった。                            *もちろん出席者にそのような発言はなかったが

        仏教では、自分への執着を「我執(がしゅう)」と呼ぶらしいが、話はそれで終わらない。

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        • 古今亭志ん朝の口調で読む名作文学
          川中紀行/コピーライター

        記事

          「(私)なんて」? 気が向いたら、その言葉「なんて」を辞書で引いてみてください。

          ■「なんて」の考察 “柔軟性”を評価していた 岸辺みどり(池田エライザ)から 「そんなっ、私なんて全然」と、 自らを否定する言葉が返ってきたとき、 松本先生(柴田恭兵)は、 冒頭の言葉を投げかけたのです (『舟を編む 〜私、辞書つくります~』第1回)。                   *「新明解国語辞典」(第三版)によれば、 「なんて」は、 「その真偽について意外に思う気持ちを表わす」 とある。 「意外」は「以前に考えていたことと実際が ひどく違う様子」(同辞典)とある

          「(私)なんて」? 気が向いたら、その言葉「なんて」を辞書で引いてみてください。

          ちゃんとしたレズビアンじゃないのかなって。レズビアンって名乗っていいのかなって思ってた。

          ■女性なのに女性が好きという自分自身に戸惑う 野本さん(比嘉愛未)は、 同僚に「レズビアンの私が」と、 あっけらかんと言うのに、 SNSで知り合ったyako(ともさかりえ)には、 レズビアンとしての 自分が抱える冒頭のような 悩みを打ち明けてしまう (先週の『作りたい女と食べたい女』)。 野本さんは、性別を抜きにして 恋愛に対して慎重で、しかも 性的欲求に欠ける。 冒頭の言葉は、 それを気にして発せられたのだ。 この「作りたい女と食べたい女」 というドラマが面白いのは、

          ちゃんとしたレズビアンじゃないのかなって。レズビアンって名乗っていいのかなって思ってた。

          「ご迷惑、ご心配をおかけしておりますことを」という常套句に逃げる謝罪。

          ■「迷惑」と「心配」という血の通わない言い方「お客様をはじめステークホルダーの皆様に ご迷惑、ご心配をおかけしておりますことを、 深くお詫び申し上げます」。 日野自動車、ダイハツ工業、豊田自動織機と、 グループ内での相次ぐ不正発覚を受けて、 トヨタ自動車株式会社の豊田章男会長が謝罪会見で述べた言葉だ。 これは政治家の謝罪会見にも全く同じことが言えるのだが、 通り一遍の慣用句でおざなりに伝えた誠意のない言い回しだった。                          

          「ご迷惑、ご心配をおかけしておりますことを」という常套句に逃げる謝罪。

          田中みな実。“言いたいことしか言わない”主義がもたらす、アンバランスなエキセントリック。

          ■反“ぶりっこ”キャラ田中みな実は、 TBSアナウンサー時代に “ぶりっこ”キャラで頭角を 表したが、 漫画家の江口寿史によって 生み出されたこの“ぶりっこ”という言葉が、 「女性が男性の前で無知で か弱いふりをして甘える様子」 を指すのであれば、 ほぼ反対のキャラクターだと言える。 「with digital」のインタビュー(2023.2.8)でも、 「私、隠すことがないんですよ」と答えているが、 「あざとくて何が悪いの?」出演当時も 言いたいことははっきりと言う 姿勢を

          田中みな実。“言いたいことしか言わない”主義がもたらす、アンバランスなエキセントリック。

          個性っていうのは、好きなことを集めることからスタートするから、あなたの好きなものを探してみなさい。

          「進撃の巨人」のエンディングテーマ 「悪魔の子」がヒット中の ヒグチアイさんが22歳の時、 ボイストレーニングの先生から言われた言葉です (今週の『ACROSS THE SKY』)。 彼女は、先生に 「私、個性がないんです」と アーティストとしては 致命的とも言える告白をする。 冒頭の言葉はそれに対する答えなのだが、 「好きなこと」がもつ力を 改めて教えてくれる。  実際にヒグチさんは、この言葉で 「気持ちがラクになった」と述懐している。                

          個性っていうのは、好きなことを集めることからスタートするから、あなたの好きなものを探してみなさい。

          成功は復讐する。

          柳井 正・株式会社 ファーストリテイリング 代表取締役会長兼社長の言葉です (先日の『栗山英樹 ザ・トップインタビュー』)。 「傲慢になったり奢ったりすると、 すぐ失敗する」と、 この「復讐」の意味を説明されていました。                           * 私は、 「失敗は、(木を登りきって地面が近づき) もう大丈夫だと思ったときに、必ずしてしまう」 と説いた「木登り名人」の話を よく思い出して自らに注意を呼びかけます。 恥ずかしながら、 幾多の失敗

          古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(6)最終章。~雨降って地固まる

          人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶・内供の 顛末を描いた芥川龍之介の小説を、二代目古今亭志ん朝の口調で綴る 6回目の最終章は、ようやく鼻が短くなったかと思えば、 途端に周囲が冷ややかになるという事態に見舞われた 内供が、最後に手にした境地が明らかになります。 ■幸せの向こうにある不幸せ  さて、(普通に短くなった鼻を笑われた)内供はと言いますと、日毎に機嫌が悪くなってまいりまして。どんな者にも二言目には、意地悪そうに叱りつけたりしましてね。これは、周りの者はたま

          古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(6)最終章。~雨降って地固まる

          古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(5)。~他人の不幸が大好き

          人並み外れて長く垂れ下がった「鼻」を持った僧侶・内供の 顛末を描いた芥川龍之介の小説を、二代目古今亭志ん朝の口調で綴る 6回目は、念願かなってようやく鼻が短くなった内供に、 予想外に訪れた新たな悩みについてのお話。 人間の奥底にあるがあぶり出されます。   ■戻りたくないあの日  しかし、人間、不安というものは隠せませんな。内供も、その日は一日中、鼻がまた長くなりはしないかという不安と闘っておりまして。そこで内供は誦経するときも、食事をするときも、暇さえあれば、この手を出し

          古今亭志ん朝の口調で読む芥川龍之介「鼻」(5)。~他人の不幸が大好き

          他人を刺す棘なのか、あるいは敏感過ぎる心の震えを示すのか、鴨居玲「私の話を聞いてくれ」に感じた現代。

          ■5度結婚した藤田嗣治それは妻の父方の墓参に行ったついでの 偶然の出合いだった。 茨城県笠間市の笠間日動美術館に 足を延ばしてみたのだが、 思いもかけずそこで 「没後55年藤田嗣治展」が催されていた。 私たちが鑑賞してすぐの12月14日、 同美術館では4年ぶりの 入場者1万人突破のニュースがあった通り、 “フジタ人気”は衰えを見せないが、 改めて藤田嗣治の年譜をたどるのも 興味深かった。 そこで藤田が5度結婚したことを知って 驚いたが、 フランス留学中に 179通の手紙

          他人を刺す棘なのか、あるいは敏感過ぎる心の震えを示すのか、鴨居玲「私の話を聞いてくれ」に感じた現代。

          丸い茶碗は地球です。その中にある緑のお茶は自然を象徴しています。

          ■緑のお茶は消えゆく100歳になられる 千玄室さんの言葉です (昨年の『日本経済新聞』朝刊)。 玄室さん、 新年早々ですが、 申し訳ありません。 人類はもう、 自然を尊ぶ茶道の精神を 省みることなく、 地球を汚すのが避けられない 経済成長にしがみつき続けると 決めたようです。 自然災害がこれほどの 犠牲者を出しているというのに、 政治家は、抜本的な対策に 言及すらしません (100年前の12月の東京の平均気温 5.6℃、大晦日は氷点下5.1℃だったという 『日本経済新聞

          丸い茶碗は地球です。その中にある緑のお茶は自然を象徴しています。

          運は存在するけれど、長い目でみれば「ご破算」といえるんじゃないかな。

          56歳でなお現役のサッカー選手であり続ける 三浦知良選手は、 こう言ってから、 さらに次のように持論を展開した (先日の『日本経済新聞』朝刊)。 決まり決まったように 努力をし続けられる人が、 運も乗り越えていくんだろう。 2023年、 幸運だったと思う人も、 不運でしかなかったと言う人も、 まずは長い目で見て、 2024年は、 それぞれの「何か」に向かって 努力し続けるしかない。 私もそうしたい。

          運は存在するけれど、長い目でみれば「ご破算」といえるんじゃないかな。

          100%の障害者もおりませんし、   100%の健常者もおりません。

          「第23回ありのまま自立大賞」の 授賞式における 選考委員長の瑤子女王殿下の言葉です (先日の『皇室ご一家』)。  この賞は、障害を持つ人々が、 社会の中で自ら切り開いて 自立した生活を送り、 なお高い理想を掲げて 生きようとする活動を支援する目的で 設けられました。                              * 一応、「健常者」に入るであろう私も、 年齢と共に身体能力の衰えを実感します。 その意味では、人は皆、いつしか 「障害者」になるのであり、 極端

          100%の障害者もおりませんし、   100%の健常者もおりません。