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がん4年後の僧籍取得から続く、僕の道②

5.緩和ケア病棟で見えたもの

翌年に教師資格を取りました。教育するための資格というよりも、敢えて言うとお葬式を丁寧に上げられる、つまり住職になるのに必要な資格です。将来住職になる目標は持っていなかったのですが、「とりあえず教師まで」と思っていた道が<次の橋>へと繋がりました。

翌年、西本願寺が持っている緩和ケア病棟(あそかビハーラ病院)で、宗教家としてがん患者さんに接する僧侶(ビハーラ僧)の第一期研修生募集が行われ、受験資格に教師取得が必要だったのです。

春に受けた研修生試験に合格し、病院の当直明けや有給休暇を使って緩和ケア病棟に足を運ぶ中で見えてきたもの・・・それは<人は死ぬという現実>でした。

がんで亡くなっていく入院患者さんが自分に見えてきます。「同じガンだ。次は自分の番だ。そうだ、もうすぐだ。もうすぐだ」・・・そんな思いがどんどん強くなるのです。でも不思議なことに、そう思えば思うほどラクになってきたのです。私の中に浮かんできた思いは・・・

「大丈夫だ、死ねる。これまで失敗した人は誰もいないのだ」

6.しなやかに生きる

家族に囲まれて逝きたいとか、痛みだけは取ってほしいとか人は望むけれど、思い通りに行かない将来が待っていることを緩和ケア病棟で学びました。「人は必ず死すべきもの。その私達に出来る事は、それまでの時間をどう使うのか・・・そこしか私達に与えられた自由はない。」・・・そう思えた時、私の生きる軸が出来ました。

「幸せになるために人は生まれてきた」「命は地球より重い」・・・美しく響く言葉を人は作ります。でも、人生は私達に都合よく用意されているものではなくて、病に苦しんだり悲惨な災害にあったり、理不尽な場面に出くわしたり・・・さまざまなことが容赦なく起こります。それでも、その中を生きていく力・・・その種を育てる道が<人生と呼べるもの>であって欲しいと、心から思います。

  かつて、野田先生は私にこう話してくれていました。

『一生懸命に幹を太くして風雨に立ち向かおうとするが、どんな大木(たいぼく)も強烈な風が吹けばポキッと折れてしまう。風になびく雑草の如く、しなやかに生きなさい。強い風を受けると倒れるが、風がおさまれば元に戻り、また空に向かって伸びていく。しなやかに生きる力・・・そのために地面の中に広がる自分の根っこをしっかり張りなさい。』

野田先生は2012年に亡くなられましたが、今でも私の中に先生は生きています。先生から教えて貰った『人として生きるという事』が、がんのお陰でゆっくりと身体に入ってくるようです。

抗(あらが)うのではなく、しなやかに生きる。

7.未来に続く”種蒔き”

歩いていた道は、2016年5月25日の朝日新聞『折々のことば』に私の言葉が掲載されるという未来に繋がりました。

 《人生において、病気になったという事実を変えることはできませんが、病気になった意味を変えることはできると信じています。》(宮本直治)

これまで二冊だけ私の名前が載った本があります。どちらも数名で出した講義録で私の執筆部分は30ページほどですが、「担当の鷲田清一先生が宮本さんの文章を掲載希望されています」と朝日新聞社から突然に電話があったのです。掲載後、その部分を切り抜いてベッドに貼った入院患者さんや、大事に取っておいた患者さんもいらっしゃったと聞いています。

言葉が私を離れて、見知らぬ人の中に芽を出している・・・この事実を前にしたとき、私の中で一つの確信が生まれました。

私はがんになるために生まれてきた人間だ。

それからはずっと、『残された時間、病になった自分が果たすべき役割に向き合い、私を生きよう』・・・そう思いながら走り続けている61歳の私。

私や今を生きる人、そしてこれから生まれてくる人・・・いろんな人の未来のために、この先も自分に出来る種蒔きを続けたいと思っています。

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。


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