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夏安居に、僧伽を思う

先週土曜日は満月でしたので、ツォク供養を執り行ないました。

じつはこの日から、チベットの僧院では「夏安居」(げあんご)という、毎年恒例の「おこもり期間」に突入したのでした。1ヶ月半の「おこもり」(Retreat)の始まりです。チベット語で「ヤルネー」と言います。

夏安居(安居)は、現代の日本社会では馴染のない言葉かもしれませんが、釈迦牟尼仏がご在世の頃から連綿と受け継がれている重要なイベントです。仏教徒にとっては本来、忘れてはならないイベントのはずです。よって今回は、夏安居について少しだけ取り上げます。

とはいっても、このイベントの参加者は、僧侶だけ。

僧伽(そうぎゃ)とは、完璧な僧侶の戒(具足戒)を持つ者(比丘・比丘尼)たちの集団ですが、月に2回(新月と満月)は僧院に集合して、お互いに戒が護れたかを振り返りつつ、戒を修復して浄化しなくてはなりません。

さらに比丘・比丘尼が護るべき義務の1つに、この夏安居があります。

釈迦牟尼仏が定めた僧侶の規範が説かれている『律頌』(ヴィナヤ・カーリカー;根本説一切有部毘奈耶頌)には「前の夏安居」「後の夏安居」の2つが規定されていて、「前の夏安居」はチベット暦六月十五日~七月三十日と定められています。「後の夏安居」のほうはチベット暦七月十五日~八月三十日とされます。

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この期間、比丘・比丘尼と沙弥(比丘見習い)の僧侶は、「律」の規則に沿って、僧院の敷地から外に出ることを禁じられます。

「おこもり」の期間中、僧たちは1日2回(朝と昼)集合します。
朝は布薩で用いる「三常念」が唱えられ、昼は「三宝憶念経」や「廻向文」が唱えられます。
夕方にはインド・チベットの諸師の典籍を学び、多くの祈願文を詠唱します。

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大僧院にはたいてい、僧院大学(シェタ)が併設されています。僧院大学では夏安居の期間に「集中講義」があり、ケンポ(仏教学博士)やロプン(阿闍梨)が生徒に経典の講義を行ないます。またこの時期、仏教知識を駆使した「問答」(上の写真)や、試験もあります。

夏安居の期間には、下の写真のような祭壇が特設され、釈尊の像と経巻(おそらく律部経典)が置かれます。僧院の内部も人数が増え、雰囲気が引き締まってきます。

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私が居た僧院はニンマ派最高レベルの僧院大学があり、しかも比丘が最も多い寺でした。昔から「比丘至上主義」の風潮が強く、在家の私が居づらかったのは確かです。それだけ真面目な僧が多く戒律も厳しかったため、夏安居もちゃんとしていたようです。それもすべて、座主のペノル・リンポチェのご指導の賜物でしょう。

そして在家の私たちはこの期間、僧院に供養をしたり寄進をすることで、福徳を積みます。僧が集中的に経文を読んで祈祷する期間ですから、いろんな祈願をしたり、供養をしてもらいます。

夏安居は「雨安居」とも呼ばれます。釈尊がいらしたインドの地域は、雨期には川が氾濫し、雨が止むと虫などの小動物もたくさん出没したために、外出しづらかったのかもしれません。同じインドでも南部のデカン高原にあった僧院は、カラッとした気候と、時折やって来る激しいスコール。僧院の周囲に広がる、豊かなトウモロコシ畑。暑いけれど、豊かな自然が広がっていました。

雨期はこうして国や地域によって様々ですが、今では「旧暦」で夏安居を共有することができます。そしてなにより、釈尊が規定した僧戒(比丘戒・沙弥戒)、「律」の法脈が続いているからこそ、夏安居は成立するのです。

この時期は、それを現代に継承している僧院と僧伽に対して礼拝し、改めて敬意を表わしたいものです。

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※写真はすべて筆者(気吹乃宮)が夏安居の期間に撮影したもの。
上から順に:
写真1(見出し):南インドの密林に建つ僧院の敷地内を散歩する僧。
写真2:勤行が終わって一斉に本堂から退出する僧。
写真3:僧院大学の生徒たちが一対一で「問答」をしている。
写真4:本堂の正面に設置された、特設の祭壇。
写真5:僧院の周囲に広がる、トウモロコシ畑。

サポートは、気吹乃宮の御祭神および御本尊への御供物や供養に充てさせていただきます。またツォク供養や個別の祈願のときも、こちらをご利用ください。