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#おじいちゃんおばあちゃんへ

思い出のエピソード、感謝していることや伝えたい気持ちなど。おじいちゃんおばあちゃんへ、手紙を書くようにnoteを書いてみませんか?

人気の記事一覧

祖母から貰った約180年前のお金「天保通宝」。激動の歴史の中で生命のリレーのバトンとなった貨幣の魅力

今日は歴史研究家の雲です。 「天保通宝」を所有している経緯 前に記事したことがありますが、私は古銭を子供時代から集めています 小学生の時に古銭を集めていると話をすると、祖母がタンスの中に入っていたと天保通宝をくれました。 今となっては形見の品でもあります。 この貨幣は一度見たら忘れないほどインパクトあるデザインですよね。 旧500円玉はどんなデザインか忘れましたが、コイツは一度見たら忘れません。「ザ!江戸時代のお金」です。 その当時はただの古銭と思っていましたが、成長し

老人ホームでモテまくってたおじいちゃんの話

10年くらい前に死んだおじいちゃんのことを思い出した。 * 僕が中学1年生になったくらいの時、おじいちゃんが脳梗塞で倒れた。昨日まで元気だったのに倒れた。突然だった。そこから痴呆が始まり、おじいちゃんの介護生活が始まった。 当初は、在宅介護していた。これもかなり無理な状態であった。状況が好転して、おじいちゃんは老人ホームに入ることになった。入所時、すでに要介護5だった。他の親族から「老人ホームに入れるなんてよくない!」みたいなことを言われたりもした。 * 老人ホーム

はるばる筑波山神社詣で:92歳じいちゃんのこぼれ話

【内容量:6分、品質:べっこう飴レベル】 こんにちは。 駄菓子屋の日々樹です!笑 眼科のオペ以来、まだ静養期間が続いて旅行もままならないので、今日は昨秋の旅のお話を書かせて下さい。 表題のじいちゃんとは義父のことで、わたしが嫁に来て以来41年間いっしょに暮らしている。 もうじき93歳になる。 ちょうど1年前のお話になるが、じいちゃんのたっての希望で、茨城県の筑波山の中腹にある「筑波山神社」に詣でることと相成った。さらにケーブルカーに乗って山頂近くの御幸ヶ原まで登ってみた

祖父母宅とのお別れに際し。

来月、祖父母宅(母の生まれ育った家)を壊して更地にすることになった。戦後に建てたという、とても古い家だ。祖父母が亡くなり、空き家になってから久しい。 前から決まっていたことだけれども、いざ近付くと本当に寂しい。私ですらそうだから、母や叔父はもっとずっと寂しいだろうと思う。 先日、仏壇の魂抜き(遷座法要と言うらしい)のために親戚で集まり、最後に祖父母宅にお別れする事ができた。 遺品を見たり、写真を撮ったりしていると、祖父母のこと、祖父母宅で過ごした日々が、たくさん思い出さ

✅投資の基礎💚 「収入>支出」を保ち、標準的な投資へお金を回し続けるというシンプルな法則を守り続けることが重要💴 「収入≠富」であることをしっかりと肝に銘じて「収入>支出」という状態をキープし続けることが堅実な手法👍 自己の心理をコントロールし、冷静に予算管理ができる人を目指す🌈

なんだかやる気が出ないと思っていたらお年頃だったか

コーチングの先生との面談で、最近やる気が出なくってと愚痴を聞いてもらったら。(同年代の女性コーチです) もしかしたら、そういうお年頃なのかもとアドバイスを受けて、天啓を得た!!と思ったくらいに納得がいった!!! ええ、いわゆる更年期的な。 なんていうか、許された気がして。サイトを読んでいたら、そうそう、まさにこんな状態なのよってオンパレードで、自覚するのに抵抗感があったのかしら? これって性格診断で自分のこと言い当てられたときに、なんだそうだったんだ、許されたって感じたの

義母のひと言に救われた日

義母が、グループホームへ入所して1カ月ほどたつ。 その間、私たち夫婦は義母に会いに行かなかった。 山椒採りで忙しかったことが理由のひとつだが、施設に慣れようとしている時期に会いに行くと、義母の気持ちも又揺らぐかもしれないという夫の見立てからだった。 入所当初は夫に2回ほどかかってきた電話も、一切かかってこなくなった。 「季節の変わり目は、季節に合った服を持ってきてもらうことになります」とケアマネさんが仰っていたので、そろそろ連絡があるかもしれないし、山椒採りを終えるこ

施設に入所の義母を訪ねて

先日、施設に入所して1カ月以上たつ義母に会いに行ってきた。 秋冬物の着替えを持ってくるよう、ケアマネさんから、夫の電話に通達があってのことだった。 義姉や、義母の姉妹などが面会に行ったらしいが、私たち夫婦は、義母が入所して一度も顔をみせに行かなかった。 私たちはお互い予想をしていた。 義母は、私たちのことを覚えているだろうか。 家にいた頃は、一緒に住んでいる私たちのことを、別の人と見立てることもある位に、認知症は進んでいた。 私は、夫のことは覚えているけど、私のこ

地方新聞コラムから始まる豆腐屋と祖母と銭湯の記憶

先日机の本棚を整理してたら出てきた綺麗に折られた新聞のコピー。 あれっなんだっけと思い開いてみると叔母が2年ほど前に送ってくれた地方新聞のコラム欄。 今日はこの新聞コラムをきっかけにした回想について…。 地方新聞コラムに祖母のことが あーそういえば叔母が自身の母(私の祖母でもある)のことを幼なじみが寄稿してくれて嬉しかったとメモをつけて寄越したのを思い出した。そのときは目を通して本棚のファイルにしまい込んだっけ。 寄稿した方とのご縁と祖父母の商売 寄稿されたのは女優で

敬老の日 何を思う???

Nice to see you again 【無料】いつも、コメントやスキを頂きまして、ありがとうございます。 特に、コメントして頂けると励みになります。 わたしは、、、 生まれた時には、祖父1人 祖母2人でした 高校入学時は、祖父1人 社会人になる時には、祖父母いなかった 初給料で、何かをプレゼントしたり、食事したりできなかったことが残念です 敬老の日は、祖父母を思い出す日です 生きていたら、何歳だろうか?  敬老の日 敬老の日と言えば、9月15日のイメ

【料理エッセイ】入院していた祖母が無事に退院できたのでお祝いをしたよ!

 5月ごろ、祖母が緊急入院したという記事を書いた。  ずっと脚が痛いと言っていて、整形外科でレントゲンを撮ったけれどなんの問題もないということで、マッサージとか整骨とか鍼灸とか、いろいろ試したけれど効果はなし。そこで、神経に異変があるのかも? と考え、専門の病院を教えてあげたところ、診察と同時に緊急入院が決まった。  MRIで見たところ、腰のあたりがめちゃくちゃになっていることがわかった。神経が飛び出て、たぶん、それで脚に痛みがあると錯覚しているのだろう、と。  まさか

杉の記憶

 幼い頃、クリスマスイブに祖父の家へ泊まった。母はおらず自分一人だったから、妹が生まれた都合で預けられたのだろう。  自分は去年もやったクリスマスツリーの飾り付けを楽しみにしていたのだけれど、祖父の家では一向ツリーを出す気配がない。 「クリスマスツリーは?」と祖母に訊いたら「あらあら、ツリーが出したかったの? 大分奥の方に仕舞っちゃったからねぇ……」と困った顔をする。  去年使った後で、母が仕舞い込んだらしい。祖父は足が悪く、祖母一人では出せないのである。  そんな都合はわか

義母の入院と義父の体重。

今年のGW、夫の両親の金婚式をお祝いした。とても大切な思い出。 その直後。 なんと、義母に乳がんが見つかった。 幸い、かなり早期発見で、転移もなさそうとのこと。毎年検診を受けていたからこその早期発見。検診、大事。 いくつか追加の検査を受けた後、入院し、手術することが決まった。位置的に全摘が望ましいという。女性としては大切なおっぱい。もちろん命が大事とはいえ、経験者にしか分からない寂しさや辛さがあるんだろうなあと思う。もし自分だったら、と想像して胸がチクリと痛む。 義

コーギーには尻尾があるんじゃ!

病院で薬を貰ってから よぼよぼと歩いて来たが 公園のあづまやでひと休みじゃ わしゃ、今日も暑くてふらふらじゃ おや向こうの方から犬が来るぞ なんじゃ、胴が長くて短足で ずいぶんぽっちゃりとしておる 知っとるぞ、コーギーとかいう犬じゃ 毛皮を脱げないからのぅ 犬もさぞかし暑かろう あづまやの日陰でコーギーの奴は 歩くのを拒んで座り込みおった 冷たい地面に腹這いになって 平べったくなってしまいおった 「こんにちは、今日も暑いですね~」 飼い主の若者はにこにこしておる

タバコと日本酒が大好きだったよね

敬老の日なので祖父母の思い出を。 母方の祖父は七蔵(しちぞう。七番目に生まれたらしい) 祖母はキン。雷の凄い日に生まれたらしい。 じいちゃんは草食動物のようにおとなしい人だった。ほとんど声を出さず、いつも座ってテレビの野球観戦をしていた。 キンと結婚して、私の母含む三人の子供が小さい頃、家が家事になりじいちゃんは大火傷を負った。 何故だか忘れたけれど、家族に被害はなかった。 その為に、じいちゃんは仕事をやめてキンばあちゃんが代わりに会社で働くことになったらしい。 「行かな

夏の菜園:92歳じいちゃんのこぼれ話

朝の菜園からおはようございます。 noterさんの中にも、家庭菜園を楽しんでいるかたが沢山いらっしゃいます。どちら様も今が収穫のたけなわで、手塩に掛けた夏野菜をおいしく召し上がっている頃ではないでしょうか。 我が家の菜園は、92歳のじいちゃんが一人で運営しています。 農家の生まれだったので、昔は農業で生計を立てていましたが、今は庭先に畳6枚ほどの畑を作って、季節の野菜を育てています。 うちのじいちゃんは、92歳ながらおかげ様で病気も無く足腰達者で、特に夏は元気に畑の世話を

もし健康寿命を延ばせるとして寿命1年の価値にいくらの価格を付けますか?

時間というのは、私たちにとって最も貴重な資産ですよね。 でも、その時間を健康に過ごせることって、もっと大切だと思いませんか? では、もし「健康寿命」が1年延びるとしたら、その価値にあなたはどれくらいの価格を付けますか? 少し考えてみてほしいのですが、健康寿命が1年延びた場合、その1年間は病気やケガの心配が減り、もっと自由に生活を楽しむことができますよね。 家族と過ごす時間、趣味に没頭する時間、あるいは新しいことに挑戦する時間もすべて健康なカラダでいるからこそ、そういった

ばあちゃん家のサイダーは背徳の味。

私の家では、なぜか炭酸飲料が禁止されていた。 友達や周りは炭酸を飲んでても、私は飲めない。 子どもながら不条理だと思った。 でも、生真面目な私は決まりを守ってた。 母方の祖父母の家に泊まりにいったときも、同じ。従姉妹たちの中でも、炭酸禁止なのは我が家だけ。私と姉は、いつも恨めしげに従姉妹が炭酸を飲む姿をながめていた。 しかし私が9歳の夏。 祖父母の家で待望の炭酸デビューを果たした。 夏休みのある日、ばあちゃんが私と姉をこっそり台所に呼んだ。台所のテーブルに、よく冷えた

遺伝子の拡散 父の異母兄

第二次世界大戦中、父方の祖父はミクロネシアのとあるA島に派兵されていたらしい。 帰ってきてから祖母と結婚して父が生まれ、祖母が50代で亡くなったあと、周りから反対されているなか早々に再婚した祖父を許せなかった父は、祖父と絶縁した。 それから何年も経ったとき、仕事で出会った人に父は言われた。 『君によう似た男が、A島にいるんや。ポストマンの○ちゃんって呼ばれてたんやけど」 祖父は郵便局で勤めていた。祖父の名前と同じ音の○。祖父は島の人と仲良くなって皆で踊ったと話してた。

役割があると輝く高齢者

私は94歳の母と二人でSNSを使って自分たちの創作を発信しています。 そのために母はイラストと俳句を毎日懸命に作っています。 それが母の役割でありルーティーンになっています。90歳を過ぎても彼女には日々の仕事があるのです。それが母の生きがいになっています。 高齢になっても自分がやるべきことがあると言う事は、母にとって大きな刺激です。その仕事を前向きに成し遂げるために彼女は新聞を読み、テレビを見て新しい情報をキャッチしようと努力しています。 この時代や今の季節に乗り遅れ

【散文】もうすぐ祖母が亡くなる

もうすぐ、大好きな祖母が亡くなる。 昨日の朝、母から急な電話があった。普段のやり取りはLINEばかりなので、父や母から急な着信があると俺はいつもドキドキしながら瞬時に最悪なニュースを想定してしまう。その最たるトピックは祖母の死だ。今回もそうだった。 いつもと違うのは、その想定がほとんど間違っていなかったこと(いつもは、帰省の予定を聞かれたり、Wi-Fiの再起動の方法を聞かれたりするだけ)。 母の話しによれば、祖母の命はもってあと1,2ヶ月。すでに意識はないらしい。87歳なので

同居の義母の施設入所が決まってから

その日は突然やってきた。 ケアマネさんから夫への久々の電話は、施設入所が決まったことを伝える連絡だった。 最近介護度があがった義母のゆくゆくの施設入所は決まっていたが、まだ先のことで、「まずは試しにショートステイから入りましょう」とケアマネさんから聞いていた。 だのに、いきなり施設入所が決まったと、夫から聞いた瞬間・・・。 張りつめていた糸が切れたのをかんじた。 施設・・・入所・・・?! 気が付くと、涙がポロポロと溢れて止められなかった。 一番は、「安堵」する気

幸せは主観的なものだから誰でもいつでも幸福実感度を高めれば幸せになれる

敬老の日に思う、「幸福実感」を高めるヒント こんにちは!今日は敬老の日ですね。😊 敬老の日という特別な日だからこそ、幸せな老後を迎えるための「幸福実感」について考えてみたいと思います。 「幸せって、なんだっけ、何だっけ。ポン酢醤油のある家さ!」 このフレーズ、明石家さんまさんが歌っていた懐かしいCMを覚えていますか? あのユーモアたっぷりのCMソングは、まさに幸せの本質を軽やかに表現していたように思います。 でも、「幸せ」って一体なんでしょう? 人それぞれ、幸せの

ご飯の約束

友達と、ご飯を食べに行こうという約束は、よくあると思います。 大学の頃、県外生が多くて、親の食事を得る事ができない友達が多くて、よく、食事に誘われました。 私は祖母と二人暮らしでしたが、お弁当を祖母が作ってくれるのです。 どこで学んだのか、いつもとても彩りの良い、お弁当で、テッパンは甘い卵焼きでした。 大学に行き始めて、毎日作ってくれました。 しかし、友達たちとたまには食堂の食事を一緒にしたり、近所のお弁当屋さんの弁当を買ったり、ちょっと出掛けて、外食したりとそこはやはり、

短編小説:令和カラフルランドセル 〜かつてピンクでいじめられた私のカタルシス〜

 かつてランドセルが赤と黒だけだった時代、私のランドセルはピンク色でした。  平成初期の話です。あの時代、あの頃の私は、たかがランドセルの色がピンクというだけでいじめられました。年号が令和に変わり、世の中もまたずいぶん変わるものですね。  今の子ども達はピンクはもちろん、水色や茶色、青やオレンジといった自分好みの色を背負うようになりました。そうした色とりどりのランドセルを背負った子ども達を見ると、大人になりすっかりモノクロになった私の心にも色彩が蘇ります。  私が子ども

私とnote86 都々逸と絵

三羽烏さんの、「都々逸と絵」に参加します=^_^= 娘が、去年の誕生日に描いてくれたこの絵。 このシステムだと、今年私は26。 でも、数年経てば、逆さにした方が年を取ることになってしまう…。 やはり、ひとつずつ若返るシステムの方が、優れもの。 わたしゃ御年 38だ。 #都々逸と絵 #ドドイツトエ #Doudoitu_to_e #おじいちゃんおばあちゃんへ #やってみた #三羽烏 さん

夏休みの季節になると思い出すこと。

先日ある過去記事にいただいたコメントに 「いろさんの毎日投稿が大好きで、 毎日の楽しみのひとつになっています」 と書いてあり、涙が溢れそうになるくらい とっても嬉しかったんです。 なので、嬉しかった気持ちを 記事の中にも残しておきたくて こうして冒頭に書いています。 本当に嬉しい、ありがとうございます。 ところで今年は、 お盆休みが長すぎるくらいなのですが 用事(遊びや予定ではない笑)がある日以外は お家で猫さんとゴロゴロして 読書に明け暮れるのではないか という気がしてお

¥300

私の茶色い瞳

田中 青葉(2001年生まれ 浦添市城間出身)  自分の瞳を見ると、おばあを思い出す。私の瞳の色はこげ茶色で、自分で言うのも変だけど、綺麗な色をしていると思う。私は自分の瞳の色が好きだ。だから私は、シャワーを浴びる時、メイクをする時、朝起きて寮の洗面所で顔を洗う時、鏡を見るたびに自分の瞳を見ては、良い色をしているな、自分らしい色だなと思う。それと同時に、いつも宜野湾のおばあと同じ色だと懐かしくなる。  私のおばあは、1937年生まれで、末っ子で甘えん坊だった(と、いつも母

ミルクセーキの思い出

「電動ミキサー」は国内ではナショナル(現パナソニック)が1952年に初めて発売したそうです。 発売するや国内で、流行り瞬く間に家庭に浸透していったとか、、、 御多分に洩れず、我が家も祖母が購入していました。 祖母はおやつを手作りする人で、その為「ミキサー」も必要だったと思われます。 3歳の時、郊外の新興住宅地に引っ越しをして、記憶がある頃には、電化製品が一通りは揃っていました。『三種の神器』と呼ばれるものです。 両親が共働きだった事もあるでしょうが、生まれた1962年(昭

【Zatsu】ぞくっとした想い出 10

6月くらいからずっと朝も夜もなく、平日も土日もなく、ひたすら仕事仕事でした。生活もすさんでいて、心身ともにかなりすり減ってて。んで、先週末は頭が重たく気分も憂鬱だったんですが、週末の夜に発熱(39.5℃)、翌朝に病院いったら「ハイ、コロナ」認定という。 この連休中は行きたいところがたくさんあって、8/12は五反田TOCビルというレトロビルでのフリマイベントに行く予定だったのに、あえなくキャンセル。薬をのんでひたすら安静にしているという、なんとも残念な週末になったのでした🥴

私にはおばあちゃんがもうひとりいた

母が見せてくれた写真は、何十年も前のものでセピア調だった。私が知らない女の人が、母を抱いていた。その女の人は、私にも母にも似た顔をしていた。 私、18歳。写真を見せられたのは、高校を卒業して、大学も決まってのんびりと過ごしていた春休みの昼下がりのことだった。4月から家を出てひとり暮らしが始まろうとしていた。 写真の中で、母を抱いている女性は、私の知っているおばあちゃんじゃなかった。私の知っているおばあちゃんは、くっきり二重で小顔。その女性も私も、奥二重で決して顔は小さくな

家の中の何か

 祖父母の家は戦前からあった日本家屋で、今思い出すと随分趣があったように感ぜられる。  玄関から入って正面が居間、右が大広間、左に祖父の書斎があった。  小学校に上がる前、呼ばれて書斎に行くと、祖父が机に向かって鼻毛を抜いていた。 「この毛抜でね、こうやるんだよ」と説明しながら抜いて見せ、「やってみるか?」と問うて来たが、痛そうだったから「やらない」と答えておいた。  祖父はそれから抽斗を開けて、何かの小箱を出した。箱の中には鉛筆を半分に割ったような形の透明な棒が何本か入って

解体前の不思議😮

遠方に住むわたしの小さい頃からの友人が、御実家を解体処分することにしたんです。 その御実家の解体前に思い出一杯の家の中を案内してもらうと、昨日まで住んでいたかのように家財道具はそのまま。 かつての友人の部屋は、昔の儘のように趣味のレコードや本で埋め尽くされていた。 それに、床の間にはご先祖様とご家族を祀る立派な仏壇がある。 しかし、その仏壇を移設する場所もないため、友人は已む無く魂抜きをして処分することに決定。 そして、後日御実家を解体することになった。 解体開始して

おじいちゃん、あの時お見舞いに行かなくて本当にごめん。

中学3年の3月初旬、高校受験を無事に終えたその次の日、父方のおじいちゃんが肺炎で入院した。もう11年も前のことだ。 まさか受験の翌日にこんな知らせを聞くことになるとは思わなかったので、正直びっくりした。 もし受験前日や当日に聞いていたら、大丈夫だろうかと気が気でなく、おそらく試験に集中できなかっただろう。 心配だったが、それほど危険な状態ではないという話を両親から聞いた。 そうこうしているうちに、私は晴れて第一志望の高校に合格し、中学の卒業式を経て、4月に高校の入学式を迎

人間の寿命が科学の進歩でマックス150歳まで生きられそうな時代になるかも!

もし150歳まで生きられるとしたら? こんにちは、やらぽんです! 今日はちょっとワクワクする話題をお届けします。 「私たち人間は150歳まで生きられるかも?」 という未来のお話です。 えっ、150歳まで生きられるの? って驚く人が多いと思うけど・・・・・・え? タイトルで読んだから、驚かない?? まぁ、そうでしょうね。 タイトルの話はなんだかSFみたいですが 実は科学の進歩がこの夢に近づいています。 2021年に発表された研究によると 人間の寿命の上限は120歳から

94歳◇紅葉を描く

94歳の母が幸せそうに紅葉を描いています。 カラーの筆ペンを使ってリズミカルに筆を走らせ、とても楽しそうです。 きっと今年もまた紅葉が描ける幸せを噛みしめているのでしょう。 母は記憶の中の紅葉シーンを思い出しながら描いています。 今年の紅葉は柔らかな作品になりました。 「お母さん、紅葉を描くのは楽しい」と聞くと 「やっぱり色々な色が使えろ、ワクワクするよ」と答えました。 「同じ木でもいろんな色を使うんよ、心のままに色を加えるんよ」 「ホントじゃ、何色も使ことるねー」 母

娘や息子は、義父母のことをどう思っているのだろうか

娘や息子は、私が結婚と同時に義両親と完全同居が始まったが故に、当たり前のように、生まれた時から祖父母の居る生活をしてきた。 私は、時代の流れにのって、核家族の生まれで、年に数回、父方、母方の両祖母に会いにいくだけだった。 父方の祖父は戦死していなかったし、母方の祖父は5歳のときに、癌でなくなったから、想像できなかった。 自分で納得して選んだといえども、義両親との同居という環境は私にとって厳しいと感じたことは多々あったが、長く生活を続けていると、より多くの大人に囲まれて育つ

おばあちゃんはすぐに捨てる |エッセイ

よく、母が 「え!?ここに入ってた漫画どこ!? 捨てた!?」 などと言っている姿をよく見る。 「そこに入ってない?」 などとすっとぼけているが、捨てているのだ。 最近では、終活終活♪という感じで ますます、どんどん、捨てている気がする。 私の持ってるキャリーバッグは全部大きすぎて 旅行1泊用にちょうどいいサイズがないので、 買おうかな〜〜と悩んでいると、 「ママのヴィトンのボストンバッグあるから あげるよ。ファスナーがちょっとダメになってるけどまだ全然綺麗だし使えるよ

祖母の認知症

明治生まれの祖母がおかしくなったのは、両親が定年後、大分に帰ってきた頃からです。 それまで、一人で、家の事をこなしてきて気が張った生活をしていたのがプツンと切れたのか 家の事を何もしなくなり、ボーっとする事が増えていったのです。 80歳前でした。 1985年ごろで、まだ、今の様な介護の仕組みがなくて、ヘルパーさんもいないし、地域包括支援センターなんてありませんでした。 症状としては、よくあるパターンで、「お金が無くなった❗️」と騒ぎだしたんです。 その次に、「泥棒が入ったか

「あの紀州梅」とは、まだ再会できていない

私は、紀州梅がすきです。厳密には、7歳頃におばあちゃんと一緒に食べた「あの紀州梅」がすきです。            * 子どもの頃、冬になると親戚がよく「こだわりの逸品」みたいなお歳暮をくれました。毎年内容は変わります。 7歳頃、お歳暮で紀州梅をいただきました。 両親はそんなに梅を食べないので、私と、同居している祖母で食べることにしました。 私はおばあちゃん子で、よく2人で色々な話をしました。午後のおやつタイムには、おばあちゃんが「一緒に食べようや~」と食べ物を用意

鼠と土竜

 母方の墓は、広島でも島根との県境に近い山中へ先祖代々のが揃っている。自分の実家からはいささか距離があるから、帰省時に行くつもりでいても、ちょうど大雨が降ったり、何かの弾みで都合が悪くなったりして、なかなか行けずにいた。  たから今回の帰省ではきっと行くつもりでいたら、「熊が出るからやめておきなさい」と母が言う。最近そういうニュースをテレビでよく流しているし、実際これまで熊に墓を壊されたこともあったから心配しているのだろうけれど、そんな事を云い出したらもう未来永劫あそこの墓に

子供たちへ贈る、さいごのアルバム

パソコンのなかの写真を、断捨離することにした。 子供たちが中学を卒業した頃に、ために溜め込んだ写真を整理し、BOX型のポケットアルバム数セット分にして、息子と娘にそれぞれ渡した。 それ以上は写真を撮ることはないだろうと踏んだのだ。 その時、実両親、義両親と、当時まだ生きていた母方の祖母にも写真を整理したポケットアルバムを渡した。 特に祖母と実両親は、めったに会わないひ孫、孫の姿に喜んでくれた。 あれから七年ほどたつが、意外にもそれからも写真は増えていった。 スマホ

孫・息子の誕生日に思うこと

6月。 5日に孫が2才になった。10日、息子は30才になりました。 ■孫が2才になって思うこと おじいちゃんになってからもう2年。「孫パワー」をたくさんもらっている。孫パワーは凄い! きっと妻はもっとパワーをもらっている。 「おじいちゃん、やりたいことしてね!」と教えてもらった。 もちろん、2才の孫はまだ言葉にできない。 一緒に遊んでいるときの孫はやりたいことをしているときはご機嫌だが、そうでないときはグズり、泣く。 30年以上会社勤めをした私は、「やりたいことをしたい」

祖母の戒名

この時期一番の楽しみといえば、なんといってもスーパーや図書館に飾られた七夕飾りの短冊だろう。 雨にも暑さにもめげず、短冊が飾られていそうな場所には積極的に出かけて行くし、短冊が飾られている場所を待ち合わせに指定してしまう。 私は嬉々として、なるたけ多くの人間の欲望を啜るように覗き見ている。なんだか新手の妖怪みたいだ。 今年の当たりは、図書館の児童階に飾られていた短冊だった。 私の近所の図書館は大人の階と児童の階が分かれているため、「世界平和」「家族がみな健康でありますように

盆踊りと縁日もどき

旅行がてら、父の里の盆踊りを見に行った。 ネットで検索しても出てこない地元の人だけの盆踊り。歌。独特の踊り。紙?の灯篭。記憶よりも辺りが明るい。明かりがLEDに変わってる。もっと薄暗い中で真ん中の舞台の周りを皆が歌に合わせて踊っていた記憶だ。笛名人だった大叔父がしていた笛の伴奏ももうない。人ももっと多かった。時代の移り変わり。 3人の息子たちは踊りには興味なさそう。でも、なんだか初めて見る盆踊りに戸惑ってるみたい。まぁ、そうだね。私も子どもの頃、何とも言えない気持ちになっ

親の援助~子育て~

毎週火曜日に私の親が子どもたちを保育園に迎えに行ってくれます。 ※妻の両親は遠方に住んでおりなかなか来れません。 子どもたちはじいじとばあばが来るのがとても楽しみで、いつも待ち遠しいようで、「今日はじいじが迎えに来るの?」としょっちゅう言っています。 お迎えに行ってもらえるだけでなく、子どもたちに夜ご飯まで食べさせてくれて、本当に頭が上がらないです。 特に私と妻はフルタイムで働いており、仕事から帰ってきてご飯の準備をして、お風呂入れて、、、となると疲労が溜まってしまいソフ

日々記:今日の親切

こんばんは。 今日は偶然「良い行い」をするチャンスに巡りあったので、1日の終わりに書き残して置こうと思います。 ◇◇◇ いつものように夫と2人で散歩をしていた。買い物がてらではあったが、今日も暑くて、実はもう疲れてクタクタになってた時のことだった。 ふと見ると、通りの向こう側にある自動販売機のところに、腰の曲がったおじいさんがいた。 本当はおじいさんが「立っていた」と書きたいところだが、おじいさんの腰は90度、いや100度以上も曲がってしまっていて、まるで落とし物でも拾

おじいちゃんはカレンダーが好き|エッセイ

おじいちゃんはカレンダーが好きだ。 カレンダーが好きって何?という感じだが、 実際、家の至る所に さまざまな種類のカレンダーを飾っていた。 一番のお気に入りは ビックカメラのカレンダー。 年末から正月にかけて ビックカメラで無料配布される、 1mほどある巨大カレンダーだ。 昔はどこのビックカメラに行っても 配布していたのだが、 最近では新宿店でしか 見かけなくなってしまった ちょっとしたレアアイテムだ。 (他に配ってるところあるのかしら…) 私は、家族の中で一番新宿に行

母が嬉しい夏メニュー

「今日は何が食べたい」と母に昼食のリクエストを聞くと、母は暫く考えて「あんたは何を作るつもり」と逆に質問してくる。 「私は特に考えてないよ、お母さんが食べたいものは・・・」と言うと5回に一度は「あんたは、めんどくさいかも知れんけど、素麺がええねー」と答える。 そうなのだ。母にとって素麺は食べやすく、また栄養も取れる夏に嬉しい食べ物なのだ。何よりのど越しがいいのが母にはありがたいらしい。 94歳の母は最近少し食が細くなり、なおかつ物も噛みづらく、呑み込みが悪くなっている。そ

歴史の中の美術品:近世日本の銀貨に龍が舞っていた

明治時代の一圓銀貨についてのお話です。 この一圓銀貨の裏側には龍が掘られています。 見事な龍が舞っている硬貨です。 まず龍とドラゴンは別物です。 日英翻訳で直訳すると同じになりますが別物です。 龍 龍とは東アジアで神聖な存在です。神様と言っても過言ではないです。 私の学生時代のノートを読み返すと、紀元前2000年頃に中国の夏王朝(かおうちょう)にて初めて龍の伝説があったと書いてました。 当時、質問攻めにしていた歴史の先生の情報では、夏王朝そのものに存在の証拠がなく