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おじいちゃん、あの時お見舞いに行かなくて本当にごめん。

中学3年の3月初旬、高校受験を無事に終えたその次の日、父方のおじいちゃんが肺炎で入院した。もう11年も前のことだ。

まさか受験の翌日にこんな知らせを聞くことになるとは思わなかったので、正直びっくりした。
もし受験前日や当日に聞いていたら、大丈夫だろうかと気が気でなく、おそらく試験に集中できなかっただろう。

心配だったが、それほど危険な状態ではないという話を両親から聞いた。
そうこうしているうちに、私は晴れて第一志望の高校に合格し、中学の卒業式を経て、4月に高校の入学式を迎えた。

しばらくは新しい環境に馴染むのに必死でバタバタしていたが、授業や部活にも少しずつ慣れてきた5月頃、おじいちゃんの容態がいよいよ怪しくなってきた。

両親は「高校入学の報告も兼ねて、一度お見舞いに行こうか」と誘ってくれたものの、この頃私は初めての中間テストに向けた勉強に追われており、「それどころじゃない」と提案を突っぱねてしまった。

結局、5月下旬におじいちゃんが亡くなるまで、私は一度も見舞いに行くことはなかった。
孫の制服姿を一度も生で目にすることのないまま、おじいちゃんは天国へと旅立ってしまったのだ。

訃報を聞いた時、私はテスト勉強の忙しさにかまけて見舞いに行かなかったことを心底後悔した。

「人生の中で最も後悔していることは何ですか」と聞かれたら、「亡くなる前に、祖父の見舞いに行かなかったことです」と答えるくらいには、あれからずっと後悔している。

おじいちゃん、あの時お見舞いに行かなくて本当にごめん。
写真で私の制服姿を見たとは聞いているけど、きっと目の前で直接ちゃんと見たかったよね。
両親について、素直にお見舞いに行けばよかった。
行って、入学したばかりの高校の制服姿を見せてあげればよかった。

・・・今さら言っても、もう遅いのだが。

ああ、葬式の時に触れたおじいちゃんのゾッとするような遺体の冷たさが、10年以上経った今でも忘れられない。

* * *

おじいちゃんはいつだって優しくて穏やかだった。
もう顔もおぼろげだが、記憶にあるおじいちゃんはいつもニコニコしていたように思う。

おじいちゃんとは、五並べでよく遊んだ。
五並べとは、正式名称を「五目並べ(ごもくならべ)」と言い、2人で行うボードゲームの一種である。
盤上に黒・白の石を交互に置いていき、タテでもヨコでもナナメでも、先に自分側の石を直線状に5つ並べた方の勝ち、というゲームだ。
囲碁に似ているけど、ちょっと違う。

ルール上は黒が先攻で、黒の方が圧倒的に有利なのだが、私は白の石が好きだったので、やるとなったらいつも白色の石を使いたがった。
おじいちゃんは何度やっても強くて、私は全然勝てなかったが、それでも五並べで遊ぶのは楽しかった。

正月に親戚が集まった際、3つ上の従姉と紫色の毬(まり)で遊んでいて、勢い余って和室の障子を破ってしまったことがある。
従姉と2人、慌てて家主のおじいちゃんに謝ったけど、おじいちゃんは私たちをそんなに強く𠮟らなかった。おじいちゃんが本気で怒っているところをついぞ見たことがない。
ちなみに、その毬は今もおばあちゃん家のリビングにある収納棚にひっそりと保管されている。

・・・ここまでおじいちゃんのことを思い出していたら、急に目の奥がツンとして、涙があふれ出てきた。なんでだろう、不思議だ。

* * *

きっかけは何だったか、ある日おじいちゃんから、小さな青いポーチみたいなものをもらった。

もらった当初は使い道がよく分からなかったが、いつからか鍵入れとして使い始め、今では家の鍵と会社のロッカーの鍵を入れるための袋として使い続けている。

ストラップは後付け

朝に家を出る時、出社してロッカーを開ける時、帰り際にロッカーを閉める時、夜に家へ到着した時、このポーチを手に持ち、チャックを開けて、鍵を取り出し、用が済んだら鍵をしまい込み、チャックを閉じる。
この動作をほぼ1年中ずっと繰り返している。

もらってからゆうに10年以上は経ち、今も毎日のように使い続けているので、だいぶ薄汚れてしまっている。
母から何度も「汚いから、もう捨てたほうがいいんじゃない?」と言われても、どうしても捨てる気にはなれなかった。
これはいわばおじいちゃんの「形見」のようなものであり、捨ててしまえばおじいちゃんとの思い出も一緒に消えてなくなりそうな気がしたから。

この小さな青いポーチを見ていれば、おじいちゃんと過ごした日々は確かにそこにあったのだと、いつでも思い返すことができる。

私は、身内である祖父の見舞いよりも、学校のテスト勉強を優先させた薄情者だ。
その罪を忘れないように、何年経ってもおじいちゃんとの思い出を心の中に残しておけるように、これからも私はおじいちゃんが生前にくれた小さな青いポーチを持ち続ける。

人間って、死後は生前の姿をなりたい年齢に合わせて自由に変えられるとかあるんだろうか。
もしそんなことができるのなら、いつか私も高校の制服姿をおじいちゃんに見せてあげられるだろうか。できたらいいな。


そして、ここまで読んでくださったあなたへ。

意地を張らずに、会いたい人には会えるうちに会っておこう。
なんでもない日々の幸せを嚙みしめよう。

お節介かもしれないけど、身近な人が亡くなって私みたいに後悔しないためにも、どうか頭の片隅に入れておいてもらえると嬉しい。



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