百裕(ひゃく・ひろし)
カレーに関する記憶のまとめ。
日常を切り出して再構築したもの。
にぎやかだと思ったら近所で祭りをやっていた。この土地に住み始めて10年になるが、こんな近くで祭りをやっているなんて知らなかった。ひょっとしたら今年から祭り会場が変わったのかもしれない。 考えてみれば、地域の祭りなんて中学時代以来行っていない。ちょっと覗いてみようかと思ったけれど、たまたま長く住んでいるだけで自治会にも入っていない “よそ者” がふらりと現れて、「君ぃ、わた菓子を売ってくれたまえ。金ならあるぜ」とやった場合、「おい、あの見慣れない顔は一体どこのどいつだい?
横浜でパスタ屋の副店長をしていた頃のこと。 店を閉めた後で、バイトの田嶋をラーメンに誘った。 「いいですねぇ。どこのラーメン屋です?」 「そうだなぁ、箱根でも行こうか」 「え、箱根?」 「そうだよ」 「美味い店でもあるんですか?」 「知らん。行って探す」 「多分、着く頃には朝になってますよ」 この時点で時刻は午前三時前だった。 「まぁいいさ。行ってみようじゃないか」 箱根には四時半頃に着いた。さすがにどの店も閉まっている。そうしてラーメン屋は見当たらない。 「どうし
中学二年の時にポピュラーミュージック(ロック含む)を聴き始めて、それに纏わる雑誌も購読するようになった。 いつも『GB』という雑誌を買って、隅々まで隈なく読んでいたように思う。 それである時、読者からの投稿文を読んでいたら、「夏に手や足を布団から出して寝ていると、何だか解らない半透明のものが来て、切り取って行くから注意した方がいい」というようなのがあった。夏の号で怖い話特集をしていたのだろう。シンプルだけれど、随分怖い。 手足を切られるというだけで怖いのに、切りに来る
十数年前、ある神社にお参りした。 本殿の脇を抜けると小さな川が流れていて、それに沿って小道が続いている。 小道を歩いて少し行くと小さな橋があり、向こう側に赤い鳥居があった。鳥居の先は裏山である。 この小道はもう敷地外だと思っていたが、存外大きな神社らしい。ぜひこちらにもお参りしておこうと、橋を渡った。 鳥居をくぐった先は、曲がりくねった登り坂になっている。登って行くと蚊柱が立っていた。手で払いながら通ったら、どういうわけかずっとついて来る。顔に当たったり耳元で羽音
自分が幼い頃、祖父の家は古い日本家屋でトイレが汲取式だった。 ある時、そのトイレへ行こうとしたら、穴の底から青白い手が伸びてきて尻をツルンと撫でられる気がした。全体どうしてそんな気がしたものかはわからない。何かのテレビ番組でそういうシーンを見たの知らと思うが、もう全く覚えていない。 自分は何だか怖くなって、あのトイレは使いたくないと駄々をこねた。 手が伸びて来てお尻を撫でられそうだと云ったらきっと笑われると思い、理由は云わずにただ嫌だと云った。 祖母は困った顔をした
名古屋に来て間もない頃、ひどい風邪をひいた。どうも職場で小野さんからもらったらしい。 日中も咳とくしゃみと鼻水でつらかったが、夜中にひどい咳で目が覚めるのに大いに閉口した。単にゴホゴホ云うのでなく、コンクリートの壁に囲われた中でボールをぶつける残響音みたいな按配で、どうも人間の咳のようには聞こえない。そのうち喀血するんじゃないか知らと、随分不安になった。 その時分にはまだ若くて体力もあったから、そんなにひどくたって医者に診てもらうでもなく、仕事へも普通に行っていた。職
ある時、庭の草取りをしていたら嘉村さんの勝手口から猫が出て来た。 「おや、嘉村さんは猫を飼っているのか」 すると妻が「あらこんにちは」と、フェンス越しに言った。 知り合いみたいな調子だったが、相手は猫だから答えるわけもない。ただじっとこちらの様子を窺い、じきにどこかへ消えた。 茶色のトラ猫だった。ジャッキー・チェンの『スネーキーモンキー蛇拳』に出てきた猫もあんな色柄だったように思う。その猫が蛇を退治するのを見て、主人公が猫爪拳を編み出すので、猫とはいっても重要な役柄で
パスタ屋の店長をしていた頃、仕事中に雪が降り始め、あれよという間に五センチほども積もった。 それからシフトを終えて、帰る準備を整えても、雪が止まない。 暫くバックヤードでバイトと喋っていたら、坂田が「やばいです」と言って来た。 「もう十センチぐらい積もってますよ。店長、もう今日は店に泊まりませんか? 酒もあるし」 坂田は何だか楽しそうだった。 「絶対に帰る」 車はノーマルタイヤで、チェーンも持っていない。平坦な道を選んでゆっくり帰ったら、駐車場にもどっさり積もって
独身の頃に住んでいたアパートで、ある時玄関前にカブトムシを見つけた。 もうカブトムシで喜ぶ年ではないし、あんまり虫に触りたくもないのでそのまま放っておいたら、翌日もまだそこにいた。さらにその翌日もいた。 死にかけているのではないか知らと思ったが、別段弱っているようでもない。普通にのそのそ動いている。きっと夜にはどこかへ行って、食事を済ませて戻って来るのだろうと得心した。 一番奥の角部屋だったから、人に見つかる心配はあんまりない。カブトムシには比較的安全な環境ではあるけ
経理の婆さんが、最終出社日の夕方に、みんなに菓子を配り出した。 元来一癖ある人で、例えばこちらが電話中でもお構い無しに、書類を持って来て横から話しかける。相手にしていられないから他所を向いて電話を続けていると、その書類を置いて去って行く。電話を終えても再びやって来る様子はないから、仕方なくこちらが先方の席へ赴いて「これは何かね?」と訊ねると、「ここにハンコをください」と言う。 相手の様子を見て出直すなり、置いて行くなら付箋にでもそう書いて貼っておけば良さそうなものだが、
十九の夏、スーパーマーケットの衣料品売場で紫の鼻緒が付いた畳の雪駄を見付けた。それが随分格好良く見えたので、買って帰って早速履き始めた。 畳敷きだから履き心地が良い。おまけに鼻緒が紫で凄味がある。これはいいものを買ったと大いに満足し、毎日履いた。 その時分には学生寮住まいで、寮内(屋内)ではスリッパを履いていた。 スリッパは実家から持って来たものだった。家から持って来たものをいつまでも身に着けるのは、何だか弱い気がするから、じきに寮内でもこの雪駄を履くことにした。
まだ幼稚園に上がる前、海辺の雇用促進住宅に住んでいた頃に、母に連れられて何度か医者に通ったのを覚えている。何かの病気にかかったのか、怪我をしたのか、或いは予防接種だったのかも知れない。さすがにそれは覚えていない。 帰りにショッピングセンターへ寄ったら、おもちゃ売り場に大きなミクロマンが展示されていた。 ミクロマンは当時随分流行った玩具で、関節が可動式になった十センチほどの人形である。その店に飾られていたのは通常のミクロマンの倍ぐらいあったように思う。 「あ、大きいミク
横浜のパスタ屋で働いていた頃、時折、店を閉めた後でバイトのメンバーと食事に行った。 パスタ屋は午前二時閉店だったので、出かけるには随分遅い時間だけれど、街は割りに明るく、人通りもあったように思う。 そういう時代だったのか、あるいは横浜だからそうだったのか、今ではもう判然しない。 一緒に行くメンバーはいつも樋口と岩戸と小沢で、行き先は大体ラーメン屋か、近くのデニーズだった。 ある時デニーズで、樋口がコーヒーゼリーを注文した。じきにそれは出てきたが、樋口は皿を見ながら
怖い話というか不思議な話が好きで、移動中などはよくYouTubeで怪談を聴いている。近頃は実話怪談のあんまり生々しいのは避けて、朗読系を聴くことが多い。 先日もその流れで適当に選んだ朗読チャンネルを聴き出したら、イントネーションが名古屋弁だった。それがどうも気になって、そっちへ気が行ってしまう。 これはきっと、当人が訛に気付いていないパターンだろうと考えたら、愈々気になって、話が一向入って来ない。 その内に段々、同僚の愚痴を聞かされているような心持ちになったから、とう
小学生の時、隣に先生が住んでいたことがある。 女性の先生で、石田ゆり子に似ていたように思うが、随分昔のことだからあんまり判然しない。担任ではなく、受け持ちの学年も違っていたから、関わることはなかった。ただ隣に住んでいただけである。 隣は元々別の人の家で、暫く貸家にしていたらしい。先生は一年か二年ぐらいでよそへ引っ越したようだった。 やっぱり近所に、高校の世界史の先生が住んでいた。この先生は年輩の男性で、昔からそこに住んでいた人である。 三年生の時、この先生から教わ
新井の見舞いで、呉市の総合病院へ行った。彼には高校時代に随分世話になった。まさかこの年で病を得るとは思いもしなかったから、土居から聞いた時には驚いた。 驚いたと云えば、高校時代の新井は見るからに悪そうな面構えだったのに、土居から見せられた写真は何だか真っ当な男前になっていた。新井だと云われたからそんなふうに見えたので、黙って見せられたら知らない人だと思ったろう。事によると土居のやつが別人の写真を使って担ごうとしているのではないか知らとも思われたが、そんな事をしたって何の得