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小四の修了式でロバ先生の悪夢を免れた後、小五・小六は中澤先生のクラスになった。ロバ先生はどこかよその学校へ異動になった。離任式では正装をして、やっぱりロバのような面白くなさそうな顔で何か云っていたようだけれど、聞いてないから覚えていない。それぎり会っていない。年齢からして、多分もう二度と会えないところへいったろうと思う。 中澤先生はまだ若い男性教師だった。 「みんな、校庭でドッジボールをしよう」 クラス替えをしてから最初の昼休憩で、先生がみんなにそう呼びかけた。ロバ先
二十年ばかり以前、休日にはいつも友人らと一日ビリヤードをやって、みんなで近くのガストへ行っていた。大勢で長居をしたから、随分面倒な客だったろうと思う。 このメンバーの中に塚山さんという女性があった。元々名古屋の人なのが東京に住んでおり、二週に一度ぐらいのペースで帰って来て、集まりに参加していた。 塚山さんはガストでいつもパスタと小皿一品を注文した。そうして必ず、パスタを半分残すのである。自分は元パスタ屋のせいか、それがどうにも気になった。 ある時、あんまり気になるから
子供の頃、浅草寺の土産物屋で伯父に家紋キーホルダーを買ってもらった。黒地に金で家紋が入っていて、恰好が良い。早速ランドセルに着けて学校へ行った。 このキーホルダーをその後どうしたかは、さすがに覚えていない。いつの間にか、どこかへやってしまった。 それから二十年後、仕事の用件で浅草へ行った。 時間があったから浅草寺の土産物屋を覗いてみたら、全く同じ物がまだ売られていた。 大いに懐かしい心持ちになるのと同時に、土産物とは随分息の長い商品カテゴリーだと感心し、今度は自分で
毎朝職場へ行くのに、〇駅で電車を下りてバスに乗る。 始発バスだからいつも座れる。座る席は、必ず下り口の真横と決めてある。そうしないと下りる時が大変なのである。 高校時代のバス通学で、人混みに阻まれて下りられず、次の停留所まで連行されたことが二度ばかりあった。十代の若者だったらそれをネタに使って、好きな女子の前で殊更に「こんなお茶目な俺」をアピールできるが、五十を過ぎてそんなアピールは面倒くさい。やるのも面倒だが、聞かされる側も面倒くさいに違いない。どちらも面倒くさいでは
二十年ばかり前、仕事中に片目がおかしくなった。どうもはっきり見えないのである。 もしやと思って探ってみたら、果たしてコンタクトレンズを落としていた。これでは見えないのも道理である。何だか腹が立って、「眼鏡買って来ます」と宣言して近くの眼鏡屋へ行った。 当時はフチ無しタイプが流行っていて、店員もそれを勧めてきた。自分は勧められた中で一番恰好がいいのを選んでやった。 その場ですぐに用意してくれて、都合一時間ほどで新しい眼鏡をかけて職場へ戻れた。 「フチ無しにしたのかい
マッコイ君と榎坂さんと名駅で飲み、「細かいのがないから」と、マッコイ君が代表して支払うことになった。自分と榎坂さんはそれぞれ彼に金を渡し、「後は頼んだ」と言って出口へ向かった。 下駄箱係の店員さんから靴を受け取り、玄関でしばらく待ったけれど、どうもマッコイ君が現れない。 「遅いな」 「レジでもたついてるんじゃない?」 覗いてみたら、果たしてレジが随分混んでいる。マッコイ君の前に、支払い待ちのお客がまだ二人いる。これでは当分終わりそうにない。 急かしたってしようがないが
小学校の図書室で本を借りる時は、代本板に日付と書名を書いて本と差し換える決まりになっていた。返す時は逆に差し換えるので、本の場所はきっと正しいままである。大いにわかりやすいシステムだと思っていたけれど、近頃はこの代本板が廃止されているらしい。 管理運用に手間がかかることと、誰が何の本を借りているかという情報が筒抜けになるのがその理由と聞いて、なるほどそれは道理であると得心した。 娘は本が好きで、小学生の時からよく本を借りて来た。代本板について訊いたら、果たしてそんなもの
どういう弾みでそうなったものか知らないが、木寺が学科の友人らと鶴橋へ焼肉を食いに行くと聞いた。木寺とは学科もサークルも同じである。サークルで、同じ国文の者は3人きりしかいない。 「どうして俺を呼ばないんだ」 「何だ、行くのか」 「行くさ」 「一向構わないがね、恒平を励まして元気を出させる集まりだから、そのつもりでいなけれぁいけないぜ」 最近恒平が最近女子にふられて、随分凹んでいるらしいと木寺は云った。 恒平がふられたのは知っているけれど、励ましが必要なほどとは思われない
世の中が、有用な情報を含まない文章をネット上に公開するのはよろしくないという風潮にいつの間にかなっていたから、noteを始めてしばらくは何を書くか随分迷った。 それで最初は料理のことを書いたり、あしたのジョーの感想を書いたりしたけれど、元来そういうのはあんまり得意でない。 得意でないことを無理にやるのだからつまらない。書く当人がつまらなければ、読み手だってきっとつまらない。 こちらはそう思っているけれど、読む側はそんなことは知らないので、面白いかも知れないと思って読む
先日、運動会の話を書くのに須藤のことを考えていたら、よけいなことまで思い出した。 小2の時に自分は伊神と親しくなった。 お互い随分気が合って毎日のように一緒に遊んだけれど、3年生ではクラスが分かれた。それから自分は同じクラスの松岡と遊ぶようになり、伊神は須藤と仲良くなったようだった。 ある時、学校で伊神と須藤が寄って来た。何か用かと思ったが、伊神は何だかもじもじするばかりで何も云わない。 「返してくれって云うんじゃろ」と、須藤が先導すると、伊神は意を決したように「
20年ばかり前、趣味でビリヤードをやっていた。 休みの日にはいつもビリヤードサークルの友人らと集まって遊んだ。大体いつも20人ぐらいいたように思う。 日暮れまで遊んだ後、近くのガストで食事をしながら随分長く語り合って、日付が変わる頃に解散していた。ガストにとっては甚だ迷惑な客だったろう。 小川さんは、ガストへ行くとドリンクバーでいつも洒落たお茶を飲んでいた。どうも毎回違う種類の茶を淹れるらしかった。 以前に一度、彼の提唱で数人集まって、中国茶の教室へ行ったことがあ
娘が幼い頃、パズル遊びに没頭するのを見ていたので、幼稚園で課外講座のパズル教室に申し込んだ。果たして当人は毎週喜んで通った。先生からも気に入られ、随分よくしてもらったようである。 幼稚園の間だけで終わりかと思っていたが、講座は小学校卒業まで受講できると云うので、卒園後も続けて通わせた。 場所はずっと幼稚園の教室を使っていたから、担任だった先生と顔を合わせることも度々あったらしい。 今年の3月に小学校を卒業して、この講座も卒業した。最後に元担任の先生と写真を撮ったら、娘
就職で広島へ帰ったので、叔父と飲むつもりでウィスキーを買って、祖母の家を訪れた。 「こんばんは」と玄関を開けたら、祖母と叔母と中学生ぐらいの娘が出て来た。祖母は「あら」と少し驚いた様子だった。娘は一瞥するなり黙って奥へ消えた。どうも失礼なやつだ。全体、躾がなっていない。 叔母は「あらこんばんは」と言いながら、一瞬面倒くさそうな顔をした。きっと事前に連絡せず、いきなり訪れたせいだろうが、叔母にどんな顔をされようと、ここは自分にとって祖母の家である。祖母の家を訪問するのに、人
10年ばかり前、パソコンに向かって仕事をしていたらグスタフさんに「百さん」と呼ばれた。 「ん?」 「地震ですよ」 そう言って、グスタフさんは天井に目をやった。こちらもつられて見上げたけれど、天井には蛍光灯がしっかりネジ止めしてあるきりで、揺れるような物は何もない。だからどうして上を見たのか判然しないが、足元が揺れているのは間違いない。これまでに見知っている小刻みな揺れ方でなく、ユラーリユラーリと大きくゆっくり揺れているので、云われるまで一向気付かなかったのである。 周り