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残す女

 二十年ばかり以前、休日にはいつも友人らと一日ビリヤードをやって、みんなで近くのガストへ行っていた。大勢で長居をしたから、随分面倒な客だったろうと思う。
 このメンバーの中に塚山さんという女性があった。元々名古屋の人なのが東京に住んでおり、二週に一度ぐらいのペースで帰って来て、集まりに参加していた。
 塚山さんはガストでいつもパスタと小皿一品を注文した。そうして必ず、パスタを半分残すのである。自分は元パスタ屋のせいか、それがどうにも気になった。
 ある時、あんまり気になるから、残すぐらいなら最初から小皿は止して、パスタだけを注文すればいいだろうと云ってやった。
「食べられないわけじゃないけど、味に飽きるの」
「だったら、飽きる前にさっさと食べたらいいじゃないか」
「だって、ちゃんと味わって食べたいんですもの」
 ゆっくり味わって、途中で飽きるようではつまらない。どうも屁理屈だ。
 全体、料理を味わうこととゆっくり食べることとはイコールではない。例えば自分はパスタ屋時代に、一人前を二分で食べていた。その二分で必ず、ニンニクの香りがきちんと出ているか、塩加減はどうか、茹で具合はどうかと仔細なチェックを実施した。速く食べたって味わえないということは断じてない。
 それに、麺類はそもそも作りたてが一番美味いので、そこから後は劣化するばかりである。時間が経つほど冷めて伸びて不味くなる。それをわざわざゆっくり食って「味わっている」は、言行不一致も甚だしい。大いに不謹慎である。
 そのように説明したら、「えぇ」とか「だってぇ」とか、何だか煮えきらない。そうして次の時にも必ず残す。
 そういうやり取りを何度か繰り返した。その内に飽きてやめた。

 それと同じ頃、同僚の山谷さんとラーメンを食いに行った。珍しく昼時に山谷さんが事務所へ居合わせたから、美味いラーメン屋を知りませんかと訊いてみたのである。
「あるよ。行こう」
 事務所から少し離れた店へ山谷さんの軽トラで行った。
「こういう車が一番いいんだよ。荷物は積める、維持費もかからん。恰好の良い車で金ばっかりかかるのは、俺はあんまり良いとは思わんなぁ。嫁さん選びだって一緒だよ」
 運転しながら山谷さんはしみじみ語ったけれど、彼は独身である。ことによると女性関係で痛い目にあったのかも知れない。なお、恰好の良い車云々で、自分の頭の中には塚本さんが浮かんだ。
 
 案内されたのは店主と奥さんらしき女性が二人で回す小さな店だった。
 自分が大盛りを注文しようとすると、山谷さんが横から止めた。
「よっぽど腹が減ってるんじゃなければ、ここの大盛りはやめとけ」
「え?」
「二玉だからかなりきつい」
 改めてメニューを見ると、確かに二玉と小さく書いてある。
「じゃぁ中盛りで」
 どういうわけか、このラーメンはただ美味かったと思うばかりで、どんな味だったか覚えていない。
 それからじきに山谷さんは上司とケンカをして会社を辞めた。あの人が声を荒らげる所を見たのはその一度だけである。そうしてそれぎり会っていない。
 数年後、たまたま近くへ行く用事があり、昼に葛山を連れてこの店へ入った。
 自分は、山谷さんに止められたことなどすっかり忘れて大盛りを注文した。葛山もやっぱり大盛りにしたから、「お待ちどう!」と出て来た時には二人で大いに驚いた。そうして随分苦しい思いをしながら食べた。
 やっぱり美味かったのは覚えているけれど、どんな味だったかは忘れた。
 


よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。