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牛おばさん

 にぎやかだと思ったら近所で祭りをやっていた。この土地に住み始めて10年になるが、こんな近くで祭りをやっているなんて知らなかった。ひょっとしたら今年から祭り会場が変わったのかもしれない。

 考えてみれば、地域の祭りなんて中学時代以来行っていない。ちょっと覗いてみようかと思ったけれど、たまたま長く住んでいるだけで自治会にも入っていない “よそ者” がふらりと現れて、「君ぃ、わた菓子を売ってくれたまえ。金ならあるぜ」とやった場合、「おい、あの見慣れない顔は一体どこのどいつだい?」「あぁ、あいつはきっとあれだよ、山口さん(仮名)のアパートに住んでるよそ者だよ」「なんだ、よそ者か。だったら足を踏んでもいいよな?」「いいだろう、よそ者だもの」となって足を踏まれたり、下手をすると腹を蹴られるかもしれない。そんな危険を冒してまでわざわざ行くことはないように思える。
 けれども、部屋にこもったまま、祭りの音だけ聴いているのも何かに負けたみたいで面白くない。
 結局、宵闇に紛れて覗いてみることにした。

 広場の中央に組まれた櫓をぐるりと囲んで老若男女が踊っていた。櫓の上には年配の女性が3人おり、2人は踊って1人は音頭を取っている。
 音頭を取っている女性は顔が牛だった。牛に似ているのではなく、牛そのものだった。白と黒の毛で覆われていた。
 牛おばさんはどういうわけかじっとこちらを凝視している。よそ者が来たと察知されたのかも知れないと思ったら、ちょっと怖くなった。
 牛おばさんは凝視したままマイクを握り締め、「次は『ダンシングヒーロー』です」と言った。
 すると荻野目洋子の歌う『ダンシングヒーロー』が流れ始め、みんな活き活きと踊り始めた。ヒューッ! とか言って飛び跳ねる人もある。
『ダンシングヒーロー』で盆踊りをする人たちは初めて見たから何だか驚いた。驚いている間もずっと牛おばさんはこちらを凝視していた。時折、光の加減で目がぴらぴらした。

 きっと自分はこれから『ダンシングヒーロー』を耳にするたび、このことを思い出すのだろう。しかしこの先『ダンシングヒーロー』を聴く機会がそんなにあるとも思えない。

初出:2009年08月24日『論貪日記』

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