【散文】もうすぐ祖母が亡くなる
もうすぐ、大好きな祖母が亡くなる。
昨日の朝、母から急な電話があった。普段のやり取りはLINEばかりなので、父や母から急な着信があると俺はいつもドキドキしながら瞬時に最悪なニュースを想定してしまう。その最たるトピックは祖母の死だ。今回もそうだった。
いつもと違うのは、その想定がほとんど間違っていなかったこと(いつもは、帰省の予定を聞かれたり、Wi-Fiの再起動の方法を聞かれたりするだけ)。
母の話しによれば、祖母の命はもってあと1,2ヶ月。すでに意識はないらしい。87歳なのでそろそろかもとは思っていた。いつ何があってもいいように準備をしておくようにとのことだった。
今までも、身近な人の死を経験したことはあった。友人の葬儀にもすでに3回も出席している。
親族で言えば、祖父を2人亡くしている。ただ、一人の祖父は俺が幼すぎてあまり覚えていないし、もうひとりの祖父は一昨年亡くなったが血はつながっておらず、なんなら憎んでいた部分もあったので心底悲しいという気持ちもなかった。
でも祖母は違う。祖母は俺が子どもの頃からずっと近くに存在している。初孫である俺のことを、おそらく他の孫よりもずいぶんとかわいがってくれている。
祖母との一番の思い出は、俺が小学3、4年生くらいの頃に2人で一緒に鎌倉旅行に行ったこと。今はなき「鎌倉シネマワールド」に連れて行ってもらったり(俺が寅さん好きだったので)、鎌倉大仏を見たり、横浜の親戚の家に泊まったりした。
地元にいるときの祖母は、県外の人では聞き取れないレベルの方言の使い手だったが、横浜の親戚の前で喋る祖母は「私もね〜」「そうなのよ〜」みたいな都会的な話し方をしていて、子どもながらに「ばあちゃんが頑張ってカッコつけてるなぁ」と思っていた。祖母の知らない一面を見た瞬間だった。
他にも、もっと子どもの頃に祖母の職場まで母と一緒に祖母を迎えに行き、帰り道でリアルゴールドを買ってもらったことや、仏壇のご飯で一緒に塩おにぎりを作ったこと。高校生のときには、中越地震発生直後に当時一人暮らしだった祖母の家で1週間一緒に過ごし、布団を並べて寝ていたこと。大学時代、帰省する度に「新潟で就職したらいいのに」と俺に言い母に怒られていたこと。もうたくさんは歩けなくなってしまった祖母と一緒に10年前に家族みんなで最後の旅行に行ったこと。すごくたくさん思い出がある。こんなにたくさんの思い出を共有する人がこれから1,2ヶ月のうちに亡くなるということを、どう受け止めればいいのか。全然わからない。
5、6年前から、帰省する度に祖母は「もう死ぬと思うから会うのはこれが最後だ」と毎回言っていた。「そんなこと言って毎回生き延びてるじゃん」と俺も毎回言い返し笑い合っていた。でも、会う度に小さく細くなっていく祖母に対して、俺も心のなかで「これが最後かもしれない」と本当はここ最近ずっと思っていた。
今現在、祖母の意識はないという。もう祖母とは話せない。俺が祖母と最後に話したのは、祖母が俺の誕生日に電話をくれたときだ。会社の帰り道、銀座駅での乗り換え途中だった。もちろん最後だなんて思っていないから、歩きながら軽く近況を話して適当に通話を切り上げた。具体的にどんなことを話したのかも明確には覚えていない。
ここまで書いて、祖母との最後を明確に思い出せないことと、そんな最後にしてしまったことに対して、不甲斐なさや罪悪感を感じていた。でも、もしかしたら違うのかもしれない。
祖母の余命について母が電話してきたとき、取り乱す俺に対して母はとても落ち着いていた(書き忘れていたけれど、祖母は母方の祖母。母の母にあたる)。ここ数年、母は伯母と交代で毎日祖母の家に出向いて身の回りの世話をしていた。母はそれに対して昨日の電話の中で「最後にやれるだけの世話をしたから、全く後悔してない」と言い切っていた。
祖母は、ここ1、2ヶ月は認知症のような症状もあり、時折母や伯母に対する被害妄想を抱いては暴言を吐いたりしていたらしい。母もそれに対して「信じられない!」とキレ散らかしたりしていたが、それでもずっと世話し続けていた。
あんなに優しかった祖母が、と俺はショックを受けていた。それと同時に、祖母自身も、家族が抱く自分にまつわる最後の記憶がそんな風であることは不本意だろうなと思うと切なかった。認知症には、そういう悲しみの側面もあるのだと初めて実感した。
それに対して母は昨日の電話で「元気だった頃のおばあちゃんの記憶もちゃんと覚えていてね」と言っていた。きっと母もそうやって、昔の、自分が子どもの頃から積み重ねてきた祖母との記憶を思い出しながら、祖母の介護にあたり、余命を受け止め、俺に電話してきたのだろうと思う。
だからきっと、俺と祖母に重要なのは、俺と祖母の最後の瞬間のみではなく、俺が生まれてから祖母と一緒に経験したすべての時間なのだと、書いてみると当たり前のようなこの事実に気付いて、少し救われている。
祖母は近いうちに亡くなる。俺は初めて、生まれたときから一緒にいる家族の死を迎える。それが今この瞬間にもやってくるんじゃないかと思うととても怖い。亡くなったあとのことを考えるのも、祖母が死ぬのを肯定してしまうみたいで嫌だ(この文章も、祖母について不必要に過去形で書いている部分があって、慌てて修正した)。
今はただ、祖母のことを今一度ちゃんと思い出しながら、忘れないように、自分の記憶に縫い付けていきたいなと思う。
最後に、祖母とのエピソードでもうひとつ。祖母はずっと俺に(そしていとこに)「いつ結婚するんだ、いい人はいないのか」と会う度に言っていた。それについて「出会いがないからね〜」とずっと茶を濁してきていた。
しかし一昨年、祖母の誕生日に俺が電話したときのこと。俺はまた「結婚のこと言われるなぁ」と身構えていたのだが、祖母は「私はもう結婚のことは言わない。あんたが楽しく健康に生きれるなら、別に結婚なんてしなくてもいい」と急に言い始めた。
その時、すごく救われた気持ちでちょっと泣きそうだった。別に結婚について言及されるのが嫌だったわけじゃないけれど、結婚の話をされる度に自分が嘘をつき続けていることや祖母を残念な気持ちにさせていることを実感してしまうのがやるせなかった。
なぜ祖母が急にそんな風に思ったのかはわからないけど(母がなにか言ったのかな)、祖母は俺がもうアラフォーのおじさんになった今でも、そんな風に幸せを願ってくれているんだなと実感した。今でも時折俺のことを救って支えてくれている、すごく大切な思い出。
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