薩摩

夢のあとさき(第四章②)

天文十二年(一五四三年)八月二十五日朝である。前々日、西南諸島を台風が襲った。種子島は台風の常襲地帯である。毎年夏から秋にかけて、片手に余る台風が種子島を通り過ぎていく。この時も暴風雨が丸二日吹き荒れて、二十五日未明漸く静まった。
 「やれやら、凄まじい大風であったわい。」
 一歩も外に出られなかった西之村の住人某は、被災の程度を知ろうと家を飛び出した。爽やかな朝風である。土のにおいのする風を胸い

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夢のあとさき(第四章①)

禰寝氏にとって、琉球や明国との交易による莫大な利権は垂涎の的であった。種子島を手中に収めることは、それを独り占めする最大の近道であったのである。まさに時述は「飛んで火にいる夏の虫」であった。時述にその意図があったにせよなかったにせよ、禰寝重長は「この機を逃してなるものか。」と欣喜雀躍した。そういう状況を恵時が把握していたかどうかわからない。ただ恵時のその後の行動には謎が多い。あるいはすべて見通して

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夢のあとさき(第三章⑩)

大隅の反貴久勢力十三氏が連合して貴久父子に政権移譲を迫ったのは、天文十年(一五四一年)十一月である。勝久の子、益房丸を擁して異を唱えたのは、加治木の肝付兼演、国分の本田薫親、飫肥の豊州島津家、蒲生の蒲生茂清やこれと結ぶ渋谷一族などである。
 天文十一年(一五四二年)三月、周囲を囲まれ、孤立した、相州方の大隅唯一の拠点、小濱・生別府城の椛山喜久の救援要請を受けて、日新斎と貴久はまず加治木城を攻めた。

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夢のあとさき(第三章⑨)

天文八年(一五三九年)三月十三日、島津実久は川辺と谷山の軍兵を合わせて鹿児島奪還を策した。薩州方と相州方は、鹿児島の南陵、紫原で激突した。しかし貴久率いる相州方がついに薩州方を圧倒、実久は市来に逃れた。これにより谷山苦辛城の平田式部少輔も戦わずして降伏、神前の塁も伊集院山城守、谷山駿河守、松崎丹後守などがことごとく和睦を乞い、軍門に下った。
 同月二十八日、日新斎は軍を率いて田布施を進発、川辺古殿

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土佐藩の魅力

日本史に再挑戦中の筆者は、土佐藩に興味があります。
土佐は現在の高知県です。

土佐藩といえば、まず坂本龍馬が有名ですね。
幕府側の勝海舟に感化されたり、薩長の間を取り持ったりと、柔軟な人だったんだと思います。

あと、土佐勤王党を結成した武市半平太と、門下生の岡田以蔵との関係も興味深いです。
師匠のためにと暗殺にひた走る、以蔵の愚直さが泣けますね。

それから、「板垣死すとも自由は死せず」でお馴

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夢のあとさき(第三章⑧)

加世田城は平安末期、別府忠明が築いた平城で、別名別府城と呼ばれる。南さつま市の中心街にあり、現在は尼ヶ城公園となっている。加世田川に面した高台に石碑が建っているが、一見して近寄りがたい立地とは思えない。
 ただ周囲十キロにわたって支城・塁が配されており、数度の激烈な陣地戦を経なければ本城に到達できない縄張りとなっている。野崎城、平山城、勝目城、野首城は西と南からの侵入に備えている。東は海に面してい

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【食文化】薩摩芋焼酎にある歴史

2020年代は、人類史に残る局面を迎えそうです。そんな中、効能を注目されつつあるものがあります。

 それは酒によるコミニケーションです。飲みニケーションなんて過去のものになりつつあると言われていたものの、それが一気に消えてしまいかねない状況になりました。このインパクトは世界的なものであり、イギリスのパブも対策を迫られているとか。

 「オンライン飲み会」で満足できるの? 飲食産業はどうなる?

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夢のあとさき(第三章⑥)

亀ヶ城に帰った貴久は、ほどなく肝付兼興の娘を娶って正室とした。しかし享禄元年にはこの正室がわずか二十歳で急死、子どもはなかった。継室をどこから迎えるか、当面の日新斎・貴久父子が思い悩むところとなった。
 周りを実久方に取り囲まれている今、新たに取り結ぶ縁戚関係はより強力でなければならなかった。
 「どうであろう。渋谷一族なら相手に不足はなかろうと思うが…。」
 「父上の仰せのままに。」
 渋谷一族

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