わたしの祖父錦光山宗兵衛の評伝
わたしの曾祖父六代錦光山宗兵衛は京都粟田焼窯元で将軍家御用御茶碗師を勤めていました。それが明治維新で東京に都が遷都しますと、天皇家をはじめ公家、官僚などが新都に移ってしまい京都の街は火が消えたようになり、錦光山家も存亡の危機に立たされます。
そんなある日、一人の外国人が店にやってきます。英語が話せないので身振り手振りで壺を見せますと、その外国人はいきなり壺を足蹴にしたのです。宗兵衛は外国人がどうしてそんなことをするのだろうと悩みながら、苦心惨憺の末に雅で繊細な採画法「京