吉峯 盾

1943年鹿児島生まれ、鹿児島県鹿児島市在住。古代の歴史に興味があります。フォローして…

吉峯 盾

1943年鹿児島生まれ、鹿児島県鹿児島市在住。古代の歴史に興味があります。フォローしていただくと励みになります。

最近の記事

古代の薩摩940年 #40

第二部 弥生時代 戸籍つくりの波紋 小太郎:「おい、健、いい姓がみつかったか?」 健:「孟先生と相談したら、俺が川魚の鮎とりがうまいから鮎川はどうだと言われた。家族に話すとみんな大賛成。だから、うちはおばばは鮎川亀、父は鮎川三次郎、母は鮎川信乃、妹は鮎川菊、妻は鮎川謹言、長男は鮎川剛、長女は鮎川絵里、そして俺様は鮎川健様だ。」 小太郎:おいおい、お前、何いばってるんだ。」 健 :「なんか、うれしくないか?お前んちはどうだ?」 小太郎:「うちは三丈の姓をもらって、俺様は徐小太郎

    • 古代の薩摩940年 #39

      第二部 弥生時代 市松の宣言=戸籍作成 突然で驚いている事だろうけど、幸吉や桑立さんや家づくりや土木の専門家を総動員して突貫工事でここ鹿児島の町を作り上げた。今後はここを薩摩の国の中心にしたい。今日みんなに集まってもらったのは薩摩の国の形が整い、米の収穫も軌道に乗ってきた今、さらに一歩前に進むには、是非とも戸籍が必要になってきたからだ。帰化してくれた秦人はお分かりの通り、かの国では全国民を把握して、租税を徴収している。どこに誰が住んでいるかを記録している。薩摩はもちろん税を徴

      • 古代の薩摩940年 #38

        第二部 弥生時代 段小五の戦さ自慢 それから2日後、お昼過ぎに馬軍団10名が凱旋した。先頭は段3兄弟の末弟小七、次は小五、長兄の小二、続くは馬好き5人衆、順に呼延譲(こえんじょう)、張麟(ちょうりん)、馬永(ばえい)、赫大堅(かくだいけん)、董雲(とううん)、それに定六、殿(しんがり=最後尾)が史進だ。広場では船で帰還した70人が待ち受け、多くの村人も歓迎に加わった。茜や八重、謹言など若い女たちはごちそう運びに大忙しだ。最近作られ始めた弥生土器の茶碗がみんなに配られ、男たちは

        • 古代の薩摩940年 #37

          第二部 弥生時代 隼(はやぶさ)軍団の凱旋(がいせん)! 魏応:「村長(むらおさ)諸君、無事にみんな帰ってきたぞ。」 健:「定六達がいないではないか?」 市松:「実は馬を10頭手に入れる事ができたんだ。だから10人は馬で帰ってくる。   後1~2日はかかるかもしれない。以前、定六は徐福殿と一緒に旅をしたから、道案内だ。」 魏応:「史進が段3兄弟と馬好き5人を道々鍛えながら、こちらに向かっているところだろう。着いたら、祝勝会といこうか!戦いの様(さま)はそのときまで、とっておく

        古代の薩摩940年 #40

          古代の薩摩940年 #36

          第二部 弥生時代 決戦の時来たる! 趙高:「市松、久しぶりだなあ。俺の味方にならないか?倭王にしてやってもいいぞ。」 市松:「王府では随分お世話になりました。感謝します。でも.その.お話しお断りします。徐福殿の遺言で倭の国には決して王をつくってはならないと念を押されました。」 趙高:「連れてきたお前の兵隊は実戦の経験はないだろうが。」 市松:「ええ、この国ではまだ誰も戦の経験はありません。」 趙高:「それで俺に対抗できるのか? 」 市松:「それでは陣立てをお見せします。史進や

          古代の薩摩940年 #36

          古代の薩摩940年 #35

          第二部 弥生時代 決戦前夜ー作戦会議― 史進:「小太郎よ、随分工夫したなあ。」 小太郎:「余計なものは一切そぎ落としたさ。速く走る事だけに特化した船だ。」 市松:「筑紫村の市兵衛さん、敵に馬がいますか?」 市兵衛:「ええ、私ども初めて見ました。走るのが速いです。」 市松:「何頭ぐらいいますか。」 市兵衛:「10頭だと思います。」 市松:「魏応よ、何とか3頭盗めないか?」 魏応:「倭国の若者は見たことないから、無理やな。よし、段3兄弟にやらせよう。段小二・小五・小七と言うんだ。

          古代の薩摩940年 #35

          古代の薩摩940年 #34

          第二部 弥生時代 風雲急を告げる!  市松の決断 筑紫村の使者が顔面蒼白にしてようよう薩摩にたどり着いた。趙高なる人物が筑紫の周りの村々を従えて倭国の王になると宣言しているという。やっぱり来たか。筑紫の村には以前、徐福団長が旅をしている途中で立ち寄り、よくしてもらった。帰りには大切なそして貴重な弥生土器作成に使う「ろくろ」一式と弥生土器3つも見本にもらっている。敵の軍勢100人だという。連絡のついた20人の村長に集まってもらい、報告。衆議一決あっという間に応援派遣決定。史進は

          古代の薩摩940年 #34

          古代の薩摩940年 #33

          第二部 弥生時代 趙高の誤算(1)項羽と劉邦 始皇帝の崩御以降、秦帝国は大混乱に陥っていた。2代皇帝になるはずだった太子扶蘇(ふそ)は趙高(ちょうこう)の謀略で自害していた。また名将蒙恬(もうてん)も冤罪(えんざい)で処刑されていた。そして末弟胡亥が2代皇帝にまつり上げられ、今や趙高の絶頂期を迎えていた。ところが一地方の陳勝。呉広の反乱をきっかけに秦打倒の機運が全国に満ち満ちてきていた。そんななかでも楚(そ)の出身項羽は南から勢力を広げ、秦打倒の一番手だった。一方劉邦は3人の

          古代の薩摩940年 #33

          古代の薩摩940年 #32

          第二部 弥生時代 史進の檄(げき)! 今日から、実戦の訓練に入る。剣は護身用だ。むやみに人を殺す道具ではない。 まず100人を10のグループに分ける。1グループに1名隊長を決める。毎日1回は全員隊長をやる。誰が隊長でも同じ動きが出来るようにするためだ。戦いの基本は相手を追い返すことだ。勝つことではない。そのために一番大切なことは素早く動くということだ。一瞬の遅れが仲間を殺されることになりかねない。 素早く、縦横無尽に動いて相手にこれはもうかなわないと思わせるのだ。色々な場面を

          古代の薩摩940年 #32

          古代の薩摩940年 #31

          第二部 弥生時代 小太郎と幸吉の活躍! 小太郎:「おい、幸吉やっとお前の番がまわってきたな。川内川河口に中型船10隻は停泊できる港を造ることが決まったのだからな。麻さんは連れて行ってくれ、工事場みんなの飯をつくってもらいたい。心配するな。お前んとこの子どもは茜ちゃんが面倒みるそうだ。」 幸吉 :「頑張るよ。お前もとりあえず20人乗り快速舟5隻だな。10人で漕ぐ櫓(ろ)と帆柱を立てるのだろう。そんなの作れるのか?今まで見たことないぞ。」 小太郎:「秦国で一年間もじっくり勉強して

          古代の薩摩940年 #31

          古代の薩摩940年 #30

          第二部 弥生時代 市松の危惧 今、もしも秦の国が乱れて戦乱が起こったら、敗れた側の一部が倭に逃げ込んでくる可能性はゼロではない。戦いを知らないここの村人をどうしたら救えるのか?対策は早い方が良いに決まっているのだが、何から手をつけるべきだろうか? そうだ!まず、村長(むらおさ)を30歳代にしてすばやく動ける体制づくり。副官には一番元気のよい20歳代、戦うための武器づくりも急がねば。 史進を総大将にして、あいつが鍛えている若者の中から10人を選ばせ、戦略・戦術を考えさせよう。色

          古代の薩摩940年 #30

          古代の薩摩940年 #29

          第二部 弥生時代 翔の米つくり計画 秦人(しんひと)の程信さんと葉敬さんの指導で水田つくりは着々と進んでいる。 川が近くにある万世、田布施、阿多、津貫、伊集院、姶良の各村や、海辺の笠沙、伊作、根占の各村の平地に水稲を、川辺、祁答院、加世田の山地や盆地には陸稲を、桜島村や肝付のような火山灰土では稲は無理なので、芋(いも)や粟(あわ)を栽培している。 この中でも水稲栽培は高度な技術と細やかな手入れを必要とする。春先まず、水田ではなく、狭い土地に種を蒔き、少量の水を与えながら掌の長

          古代の薩摩940年 #29

          古代の薩摩940年 #28

          第二部 弥生時代 嵐の前の静けさ 鉱山担当=魏応の決断! 我が祖国の始皇帝が亡くなったという。李斯殿からはもう銀は送らなくてよいという手紙が徐福殿に届いたという。銀を掘っているここ石見(いわみ)や隣の砂鉄が採れる出雲(いずも)と薩摩との距離が遠い。もし、戦いに敗れた秦の一部が倭国に流れ着いたら大変なことになるかもしれない。市松と相談してこの2ヶ所は埋めてしまい、しばらくは手をつけないことにした。お紺(おこん)も薩摩に帰れると喜んだ。 一緒に働いていた30人も全員引き上げた。薩

          古代の薩摩940年 #28

          古代の薩摩940年 #27

          第二部 弥生時代 プロローグ 孟達のつぶやき この国に来てまず驚いたのは、村の正式名称がないことだった。そこで村人達に自分達で名前を付けてもらい、私がそれを文字で書き表してしてやることになった。 そして出来上がったのが次の18か村である。北から菱刈(ひしかり)・祁答院(けどういん)・市来(いちき)・姶良(あいら)・隼人(はやと)・知覧(ちらん)・川辺(かわなべ)・伊作(いざく)・田布施(たぶせ)・阿多(あた)・加世田(かせだ)・万世(ばんせい)・笠沙(かささ)・津貫(つぬき)

          古代の薩摩940年 #27

          古代の薩摩940年 #26

          第一部 不老不死の妙薬 市松への徐福の遺言 私がこっちに来て10年が過ぎた。 伝え聞くところによると我が秦は滅び、新しく「漢」という国ができたそうだ。その間にまた多くの人の命が奪われたことだろう。 よく聞け、市松。もう私も長くない。お前達若者は、私が想像していた以上に成長した。安心してお前たちに託すぞ。これはお前の敬愛する李斯殿から私への遺言だったが、そのままお前に伝える。おまえも次代に譲る時は必ず、言い伝えよ。 「この国に決して王様をつくってはならない!」(残念だけど李斯殿

          古代の薩摩940年 #26

          古代の薩摩940年 #25

          第一部 不老不死の妙薬 李斯から徐福への最後の手紙 先月、巡幸の途中で始皇帝が亡くなった。今、後継問題で大混乱である。もう何も送らなくてよい。始皇帝に提出した報告書と地図は全部焼却した。あんな立派なものが宦官(かんがん)の趙高(ちょうこう)にでも見つかったら何をするかわからない。私もそちらに亡命するつもりだ。魚釣りでもして余生を送りたい。その時はよろしく。 徐福よ、決して王様になろうなどという野望をもってはいないだろうな。これが私の遺言と思ってくれ。 この物語は、薩摩の古代

          古代の薩摩940年 #25