古代の薩摩940年 #41

第二部 弥生時代 市松引退表明
鹿児島に建てられた会議場に19名の村長と19名の副官が大陸式で作られた机と椅子に並んで着席している。他にこの20年間いろいろな場所で活躍してきた30余名も静かに市松を待っている。正面の壁には羊皮紙に書かれた大きな薩摩の地図がはられている。

市松の発言
①私は今日を以て薩摩の中心の役割から身を引く。村長も全員役目を副官に譲ってほしい。
②水田耕作は順調に進み、国人(くにびと)全員に平等にコメを分配する制度もほぼ完成した。
③これからの課題を列挙すると、まだ村を造るほど整備されていない、字(あざ)が20余りある。ここの人々のために特産物作りを奨励し、1つ1つの字の人の数を50人くらいにする。例えば、竹林・土器作り・.温泉・砂糖キビ畑・果物栽培・鉄の農具作り・松や杉、くり、などからの木炭作り・イノシシの家畜化・まだまだ考えればいくらでもあると思う。そして20年後には村を50に増やしたい。
④今、港は鹿児島、川内、坊ノ津の3か所だがあと志布志と枕崎、阿久根を中型の船が停泊できるくらいの港にしたい。漢の国との
交易を活発にしたいからだ。
⑤鉄を薩摩の国で作れるようにしたい。今、魏応が色々ためしているが、実現には時間がかかりそうだ。鉄鉱石がみつからないから、砂鉄から作れないものかと苦闘している。実用化は私は百年後でいいと思う。
⑥隼軍団は現在まで出番はなかったが、それは本当にいいことで、しかしいつ戦に敗れた大陸の落ち武者がこないとも限らないので今後もさらなる充実をめざす。.馬も50頭に増えた。そこで史進にはまだまだ隊長を続けてもらいたい。健は参謀として若手育成に励んでほしい。
⑦「王様を倭の国ではどこもつくってはいけない。」という徐福殿の遺言を必ず、守り、後世に伝えていく。

市松の引退表明
最後に最も大切なことを今から話すから木簡にメモを取りながら聞いて、実行してほしい。それは貨幣を使い始めるということである。秦人(しんひと)はもちろん日常大陸ではそうしていたから、おわかりと思うが、我々倭にはそういう習慣がない。今までは物々交換で暮らしてきた。しかし薩摩の国が大きくなり、まだまだ発展すると思うので今が、貨幣を導入するいい機会だと思う。ここに3種類の硬貨がる。一番小さいのは1厘硬貨と名付ける。真ん中のが1銭硬貨、一番大きいのは1円硬貨と呼ぶ。1厘と1銭は銅でできている。1円は銀だ。100厘で1銭、100銭で1円に交換できる。魚1匹を1厘とする。つまり、硬貨と品物を交換するのだ。これを品物を「買う」とよぶことにする。村人全員に当座慣れるまで一人100厘と10銭を渡す。私は大陸との交易で菱刈や串木野から出る金でこれらの硬貨を10年間買い集めてきた。この習慣が身に付くと物の流れの速さが全く違ってくるはずだ。今後私自身は若者の教育に力を注ぐ。私の後継にはわたしを影で支え続けてきてくれた森田松蔵を指名する。村長の諸君は十分働いてくれたから、これから、みんなの休みの日の過ごし方や
釣り大会とか舟競走、温泉祭など楽しい企画を考えて新しい村長たちにどしどし提案してほしい。以上。<一同声もなし>

この物語は、薩摩の古代の歴史をドキュメンタリー風にしてみました。
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いつか映像にしてくださる方がいると嬉しいです。 吉峯盾

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