古代の薩摩940年 #1

第一部 不老不死の妙薬1
紀元前219年、一艘の大型難破船が吹上浜の海岸に打ち上げられた。今から2300年前、日本はちょうど縄文時代が終わり、弥生時代が夜明けを迎えようとしていた。
砂浜には、船から投げ出された50人もの中国人が助けを求めていた。これに最初に気付いたケンは釣りをやめ、村の長老(おさ)のもとへ走った。
さあ、まず50人分の食べ物をどうするか?住まいは?せいぜい10人前後しか住めない竪穴住居だ。魚はたくさん取れたが、大陸から伝わった米作りはここではまだうまくいっていなかった。火山灰の土壌は稲作には不向きだったのだ。
中国人の団長の名は徐福。その中には一人の可愛い11歳の女の子もいた。彼女の名はジンイェン。

長老(おさ)の治兵衛はそばにいた五郎を呼んで、隣村の王(わん)さんをすぐ連れてくるように急がせた。王さんは3年前、家族5人と1週間海に漂流していたところを隣村の漁師に助け出されて、今は隣村でコメ作りを教えていた。
しばらくして五郎と王さん、それに隣村の長老や若者20人が息を弾ませながら治兵衛のところにやってきた。
長老二人はどうするべきかを相談。すぐ、王さんに漂流民との話し合いを依頼。王、徐福会談がもたれた。とにかくまずは、食料、住まい、着る物が必要ということだった。2つの村だけでは足りないことがわかり、近くの7つの村に呼び掛け、協力してもらうことになった。
あっという間に食料調達班、着る物調達班、それに住まい建築班が結成された。
幸いにも難破船の中には、日本にはない建築用の道具がいろいろ残されていた。中国を出港する時には5隻の船に1000人近くが乗り組んでいたらしい。しかし他の4隻がどうなったかは不明。建築技師も10人程度はいるとのことで、明日から早速作業にかかることが決まった。山には木材が、それこそ山ほどあった。

日暮れが近づき、明日からの仕事の段取りもなんとか話し合いがついた。とりあえず50人を1~2人ずつ分宿することが決まった。
ケンの家では林(リン)ジンイェン(11歳)とその兄シシン(16歳)が暮らすことになった。
ケンの家は6人家族。おばばが60歳、父の三次郎は36歳、母の志乃は34歳、ケン15歳、妹の茜(あかね)10歳、それに去年生まれたキク。2人増えて8人で、これからしばらくは大家族である。子ども達は大喜び。言葉はわからないが楽しそうに遊んでいる。後でわかったことだが、林一家は新天地を求めて、徐福一行に参加。しかし嵐の中、揺れる船の上で両親は兄妹を助けようとして足を取られ、海に投げ出されて見えなくなってしまったという。生死不明であるという。徐福一家は、王さんの家でこれからのことを話し合うことになった。

この物語は、薩摩の古代の歴史をドキュメンタリー風にしてみました。
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いつか映像にしてくださる方がいると嬉しいです。 吉峯盾


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