名参謀がいないのは「穴」がないから

山本太郎氏には簫何のような名参謀がいない、という指摘を読んだ。なるほど、山本氏にはそうした名参謀はいなさそうな感じ。ではこれから現れるかというと、私は難しいように思う。山本氏は、簫何がサポートした劉邦のような人物ではなく、どちらかというと項羽の方が近いように感じるから。

劉邦をサポートしたのは簫何だけではない。張良、樊噲、韓信、叔孫通、酈食其など、多士済済。それら参謀達は、劉邦より人物がしっかりし、優れているように見える。簫何は食料、武器、兵士を調達させたら右に出る者はいない。張良は軍略をめぐらす軍師として優れる。韓信は大軍勢を意のままに操る。

樊噲は武の豪傑。酈食其は交渉上手。叔孫通はケンカだらけの宮廷に平和をもたらす知恵者。どれ一つとして、劉邦が勝てるものではない。かたや劉邦はガサツで礼儀知らず、学問はしてないし武術に優れているわけでもない。一見、何の取り柄もないように見える。その劉邦をみんなが支えた。

劉邦が抜けていたからこそ、その穴を参謀たちが必死に埋めていたと言える。誰の目にも劉邦は部下たちが優秀だから成り立っていた。劉邦のもとでは、部下たちはきらめいていた。
これに対し、ライバルの項羽は自分ひとりだけが目立っている。

項羽にも一応、范増という参謀がいた。しかし項羽が范増の策を採用しないものだから「小僧!(孺子!)」と罵り、項羽のもとを去ってしまう。しかし怒りのあまり、范増は悶死するように死んでしまう。この范増以外に、優れた部下っていたかなあ?って首を傾げざるを得ないくらい、部下が目立たない。

確かに項羽はずば抜けて優れていた。戦えば必ず勝つ。その自信があるから兵糧もろくに持たずに敵地に突っ込み、まさかと敵が戸惑ってる間に蹴散らして敵の食料を奪う、というやり方に終始した。これなら、簫何のような軍需物資を調達する人間は不要になる。

項羽は、まさか兵糧を持たずに突っ込んでくる無謀な奴はいない、という敵の常識、油断を利用して粉砕する戦法を得意とした。この作戦は、項羽が滅法強いことで初めて成り立つ。項羽という稀代の天才だからこそなし得た戦法だろう。

しかし項羽の戦法は、天下統一を果たした後で破綻し始める。反乱が起きたら叩き潰し、現地で物資を調達するわけだけど、それは地元の人間からしたら略奪。支配者のすることじゃない、と不満が蓄積する。だから反乱が一度治まってもまた反乱が起きる。これが全国各地で起きるから、どうにも治まらない。

他方、劉邦の側は、一体簫何がどんな魔法を使ったのか分からないが、食料、武器、兵士を調達して前線に送り出しても、劉邦の支配下にあるところから極端な反乱は起きていなかった様子。庶民の負担をなるべくかけずに済むような調達に簫何が腐心していた可能性がある。まあ項羽よりマシ、ってことが大きかったのかも。

項羽はみんなが不満を強め、敵に回っていく中、劉邦は着実に味方を増やし、支配地を安定して治めていく。これが結局、天下一強い項羽が天下を失い、部下たちより才能の劣るようにしか見えない劉邦が天下を最後に取った理由になっているように思う。

では本当に、劉邦は部下より劣ってるただのスカタンだったのだろうか?そうではない証拠に、劉邦が天下を統一して、一番の功績者として簫何を表彰したことに表れている。簫何は武器を持って前線で戦ったことは一度もない。ひたすら後方から食料と武器と人員を送った、自らは身の危険がない仕事。裏方。

しかしこの裏方の仕事こそが劉邦軍にある種の「強み」を生み出す理由になっていることを、劉邦はよく知っていたのだろう。何しろ、劉邦軍にいればメシが食えた。だから項羽軍に蹴散らされて負けても、またワラワラと人が集まった。勝てなくても、負けても復活する。それが劉邦軍の強み。

劉邦は、簫何が後方でこれらの仕事をそつなくこなしてくれているからこそ、心置きなく戦えるのだということを知っていたのだろう。鉄道で言えば保線、食品メーカーなら異物混入を防ぐ部所、こうした目立たない裏方を評価するからこそ、劉邦軍は最後に勝てた。

劉邦は、自分を支えてくれる部下の才能を称賛し、感謝することを臆面もなく行える人物だったのだろう。そのために自分を下げることも厭わなかったのだろう。だから才能あふれる部下たちの物語が今も語り継がれ、多士済々の観を示すのだろう。しかし項羽にそうした様子は見られない。

どうも項羽は目立ちたがり、負けず嫌いだったのだろう。このために部下達は遠慮して「項羽様の仰る通りです」とひれ伏して、項羽より目立たぬように気を遣っていたのではないか。だから項羽のもとでは部下が育たず、范増のような即戦力さえも根づかなかったのではないか。

山本氏の話に戻る。もちろん山本氏には、項羽のような残虐性はない。人に丁寧に接する人のようだ。しかしどうしたわけか山本氏だけが光り輝き、その周辺から「人物」が見えてこない。リーダーだけが目立つ。この点で山本氏は劉邦というより項羽に近い気がする。

もともと役者をやっておられたとかで、人目を惹くことに長けておられるのかもしれない。それは大変な長所だし、山本氏が政治活動を始めたとき、応援したいという人が私の周辺にも現れたのは事実。魅力ある人物なのだと思う。ただし。

リーダーは恐らく、目立つよりも、優れているよりも、部下たちを活躍させ、自分は少し抜けてるように振る舞うくらいがちょうどよいのかもしれない。
その点、薩摩の男たちは伝統的にそういう人間を輩出しやすい文化があったらしい。
西郷隆盛は若い頃、鼻に抜けるような才気走った男だったらしい。

しかし人の上に立つに従い、少し間の抜けたような風貌を身にまとうようになり、周囲を引き立て、動かす存在へと変わっていく。薩摩藩では下級武士に過ぎない西郷が薩摩軍を率いることになったのは、西郷のもとだと部下が働きやすくて仕方なかったかららしい。

同じことが大山巌にも言える。日露戦争でもっぱら指揮を執ったのは児玉源太郎だが、同じ長州出身の山縣有朋を上にいただくのは勘弁してくれ、と考えていたらしい。で、是非にも大山巌に将軍となって自分の上に立ち、そして軍の指揮権を自分に委ねてもらえるよう、運動したらしい。

大山巌は西郷と同じように、若い頃は才能あふれるカミソリのような人物だったようだが、年をとり、部下を持つようになってからヌーボーとした風貌を備えるようになった。日露戦争でもう敵軍に押し切られそうだ、という緊張で陣内が固まっていたとき、大山はさも昼寝から今起きてきたという感じで

「どこかでゆっさ(戦さ)が始まりもしたか」と、とぼけた事を言ったという。それで陣内の緊張が一気にほぐれ、思考が柔軟性を取り戻し、部下たちが躍動して、危機をなんとか克服した。

ありていにいえば、山本氏は才気走り過ぎなのだろう。恐らく、山本氏を超える目立ち方をみんなが避けてしまう何かがある。このために名参謀が生まれない、育たないのではないか。これでは「山本太郎とその仲間たち」は、「山本太郎とその他大勢」から脱し切れないだろう。

山本氏は恐らく、もっととぼける必要がある。部下たちが「俺たちがこの人の穴を埋めなければ」と思える「穴」を用意しなければならない。「穴」がなければ、部下はついていくだけになってしまう。活躍の場がなくなってしまう。「山本太郎についていきます」という群れに過ぎなくなってしまう。

劉邦は恐らくわざと「穴」を用意する人物だったのだろう。物資調達と支配地を治めることに関しては簫何が優れていると見れば、簫何に任せてしまう。自分から仕事を手放し、そこに「穴」を用意する。そして「穴」を見事埋める様子を見て驚き、感謝し、それを周りに公言することを憚らなかったのだろう。

自分を信じて仕事を任せてくれ、その仕事ぶりに驚き、感心し、周りにも「あいつは大したもんだ」と吹聴してくれる。こんな上司のもとでなら、やる気にならないはずがない。劉邦は部下のために「穴」を設け、そこを埋めてもらう天才だったのではないかと思う。

韓信が劉邦のこの才能に関して、次のような意味のことを言っている(私の意訳)。「私は兵隊ならいくらでもたくさん動かしてみせるけど、あなたはその点でさほどの才能はない。しかし将軍たちを操る(将に将たり)ことに関しては、人智を超えている」。

しかし私は思う。劉邦のこの部下たちを躍動させるコツは、「穴」を用意することだと考えている。決して項羽のように部下と張り合おうとすることなく、部下に思う存分、上司の「穴」を埋めてもらい、それに驚き、感謝し、周りに吹聴する。それがコツだと思う。

私はその仮説に基づき、自分で頑張ろうとするのをやめ、人に任せ、委ねるようにした。あたかもその分野では私は才能がなく、どうしたらよいのか分からない、といったふうに。すると、スタッフはそれを埋めようとしてくれ、適切な対処法を自ら考えてくれ、実際に着実に処理してくれるようになった。

私はその能動的な働きに驚き、感謝し、賞賛するとますますハッスルしてやってくれるように。こうして、私の職場には8人のスタッフがいるが、皆さん優秀。私の抜けたところを埋めてくれ、補ってくれるようになった。他の部所の人たちが「篠原さんとこはみんな優秀、働き者」と驚くほどに。

そして実際、私も驚かざるを得ない。皆さん手を抜かない。きっちり仕事を進めてくれる。もう感謝感激アメアラレ。私のもとには才能が溢れかえっている(私以外)と、自信を持って言える。これは、私に「穴」があるからだろう。まあ、私の場合は「素」で穴ボコだらけなのだが。

でも、そんな穴ボコだらけの私でも、もしスタッフの皆さんと張り合おうとしたり、自分の方が目立とうとしたとしたら、その人たちは遠慮し、引っ込んでしまうだろう。提案するのをやめ、補おうとするのをやめ、ひたすら指示を待つだけの指示待ち人間に変わってしまうだろう。この場合は、私の器が小さいからだ。

才能ある人を「大器」と呼ぶことがある。しかしこれは本来の用法としては間違っているように思う。本来の大器とは、「大きな穴」があるということ。大きな器は、大きな穴があるからこそ、中身(才能ある人たち)をたくさん抱えられる。大器とは、優れた人たちに「穴」を用意する人のこと。

「ここにオレが埋めるべき穴がある!」と、部下が燃える環境を用意すること。それが「大器」と呼ばれるリーダーの仕事なのだろう。
山本氏は大変才能に溢れていると思う。なかなかこれだけ勉強し、弁説巧みな人物は見当たらない。素晴らしい才能だと思う。しかし才能は、人を容れる「穴」ではない。

むしろ才能は突起物だ。人を容れることが難しい、と感じさせてしまう。この人を超える才能を示し、この人以上に目立ってはいけない、と遠慮させてしまうことが、才能ある人には起きやすい。
山本氏に簫何のような名参謀ができるかどうかは、名参謀になり得る人材がいないと嘆くことにあるのではなく、

山本氏がとぼけることができるか、「穴」を用意できるか、部下の活躍に驚き、周りにそれを吹聴して歩けるかどうか、そして自分を「うつろ(虚ろ)」、空虚にすることができるか、にカギがあるのだろう。山本氏が西郷や大山のように大器となれるかどうか。そこにかかっているように思う。

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