続き。けれど私は落語作家になるつもりはない。私の本業は小説家であるし、なにより落語台本の執筆は割に合わない。なので頼まれたら書くという姿勢。とはいえギャラが発生するのだから、いい加減な仕事はしない。「残る」という意味では小説執筆と同じだし、自己表現の一手段でもあるのだから。
まとめ。自作の落語台本を世の中に出すことは可能。けれどそれを「業」にするのはお勧めしない。ただ才がある人は応援したい。以上が私の落語創作についての見解。それとこれは他のジャンルを含めて言えるが、食えません。表現と心中する覚悟のある者だけ出てきてほしいし、結局は残るはずです。
続き。「演者さんに直に会うのは難しいのでは?」と思うかもしれないが、そんなことはない。私は肩書がない頃から楽屋を訪ねたり出待ちをしたりし、演者に感想を伝えていた。弟子入り志願者などは自宅を探し出し会いにゆく。ともかく演者に会い気持ちを伝えるのはそう難しいことではない。熱意のみ。
続き。なので噺家は自分で作品を創って演じる。でもこれが一番の理想。けれど皆が創れるわけではない。そして自身にない作風を求める演者もいる。そこで必要とされるのが落語作家だろう。けれど相性も問われる。相性とは感性であり価値観。ここが合致すれば、作品を世の中に出すことは可能であろう。
続き。note内のクリエーターは玉石混交。落語作家しかり。けれど稀有な才能が散見される。そんな作者には世の中に出てきてほしいが、食えない世界なので積極的に背中は押せない。ただ、落語を書ける人は充分ストーリーテイラー。他のジャンルも書けるはず。この「複合」が踏台になる気がする。
続き。となるとおのずと道は見えてくる。公募入選などで実力をつけ(レベルが高いことは大前提である)、演じてもらいたい人に当てて書き、批評してもらえばよい。これを「あちら側」から金銭を伴う依頼が来るまで続けるのだ。当然だがその間は無収入である。いわば落語作家としての前座修行だろう。
続き。ところで、私はどのような経緯で落語を書くようになったのか。元々私の小説は落語的だったのだ。それを読んだ演芸関係者からオファーがあり、台本執筆を依頼されたのが始まりである。けれど事情により、その台本は日の目を見なかった。そして後に価値観の合う演者の手に渡り形になったのである。
シン・ウルトラマンと柳家喬太郎さんのウルトラマン落語の話を聞いて,私も以前シン・ウルトラマン的な落語台本を書いていたことを思い出しました。タイトルは「漆原虎男」です https://note.com/fujisawatrio/n/nea93a61006af