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出さんことには はじまらない、という話。

旅行や体調不良(ぎっくり腰)でしばらくnoteを書かなかった。
書かなかった間にも、頭の中には色々な考えが浮かぶ。

大半はくだらない妄想。
または、目の前で起こっていることに対する、自分なりの「ツッコミ」。

妄想やツッコミは何かを書くときの格好のネタになる。いざ書くときに形にしやすいように、と、なるべく頭の中で解像度を上げて、構造的な考えにして、、、とやってみる。

が、結局のところ、いくら頭の中でその作業をしても「考え」を「構造的に」まとめあげて「伝わる」形にする、なんてことはできっこないのだ。

書いてみてはじめて、自分の考えがまとまってなかったかを知る。書くうちに、考えに輪郭が生まれ、自分でも気づかなかった視点や、なぜ自分がその考えに至ったのかという理由に気付く。

それが「書く」ことの醍醐味だと思う。

落語台本を書いてみて

私は趣味で落語をやっている。ずっといわゆる「古典落語」を覚えて演じてきたが、昨年、古典落語の1つをアレンジした「改作落語」を作って演じてみた。

自分が面白いと思ったストーリやフレーズがウケた時の快感は古典落語を上回るものだった。以来、落語台本を書きたいと思い始め、今、ある作家の先生にご指導いただいている。

古典落語にはいくつかのパターンがある。設定や登場人物、ボケとツッコミのやりとり。ある意味「こうすれば笑ってもらえる」というコツみたいなものが、それぞれの話に散りばめられている。

自分が知っている話を分析してみたり、先生の講義を受けたりして、頭では「こうすれば面白い!」という理屈は分かる。

けれど、自分が「面白い話」を書き上げるのはまったく別問題。どんなに面白いプロット(設定)を思いついても、登場人物のキャラを頭の中でありありと描けても、文字に起こして、誰かに伝えられる形にしないかぎり、その話は起こり得ない。「ひとり妄想の世界でグフグフ笑う、ヘンなオバサン」として完結してしまう。

先日、寝る前にふと、落語のプロットを思いついた。自分で考えてお腹を抱えて笑うくらい、思いついたのが夜中の12時でそのまま3時まで寝られなくなるくらい、笑える話だった。

が、朝起きて、書き起こすと、まったくもって面白くない。あんなに面白いと思ったのに。「何がオモロいねん!」と自分でツッコミまくった。

でもそこで「諦めたら試合終了」。あの脳内にあったおもしろ不思議ワールドを誰かに伝えて笑ってもらうため、書いては消し、並びを組み替え、言葉を選び、伝わる形に仕上げていく。

いつか自分で演じるか、誰かに演じてもらって、笑ってもらえたらと思う。
機が熟せばnoteで発表するのもいいかな。

まだまだ書き続けよう

頭の中では
みんな天才。
あなたも最高の落語台本作家。
だれでも極上の漫才師。

だとしても、そのアイデアを出さないことには伝わらない。
伝わらなければ、笑ってもらえない。
伝えなければ、世界は変わらない。
めっちゃしんどいし、思い通りにいかないし、キーっ!てストレスも溜まるけれど、「面白かったよ」「やってみよう」と言われるように。
ちょっとでも自分がこの世に生きた意味が残るように。
書くことも続けていきたいと思う。

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