【落語】狸じゃあるまいし | 本編

八五郎：持ってきましたよご隠居。行きましょう一緒に
ご隠居：なんだい八っつぁん藪から棒に。行くってどこに？
八：さすがご隠居。察しがいい。薮から棒持ってきました
隠：え？
八：薮から棒ですよ。感謝の気持ち
隠：感謝の気持ち？その棒っ切れが？
八：嫌だな〜ご隠居。言ってたでしょ？｢死ぬまでに一度はやってみたい｣って
隠：何を？
八：ゴルフですよゴルフ。棒っ切れで球かっ飛ばす遊びなんでしょ？｢肝心の棒っ切れがないからできねぇ｣って言ってたから，よく行く森で拾ってきたんです
隠：それでその棒っ切れを？わざわざすまないねぇ八っつぁん。気持ちは嬉しんだが…，棒っ切れってのはそういうもんじゃあない。ゴルフクラブと言ってな…
八：どこに落ちてるんです？
隠：落ちてやしない。買うんだ
八：なら俺が買ってきますよ。最近値上がりしたみてぇだが大した値段じゃあねぇ。1本12円でしょ？
隠：そいつはうまい棒だ。ゴルフクラブは安いやつでも1万円はする
八：1万円!?随分高ぇな。でも俺〜ご隠居にどうしても恩返ししたいんですよ。俺が1万出せば，一緒にゴルフってやつできるんでしょ？
隠：嬉しいこと言ってくれるね。まさか八っつぁんからこんな言葉を聞けるとはね。ただな…，1万ってのはゴルフクラブ1本の値段だ
八：1本じゃ足りないんですか？あ〜そうか。二人で2本
隠：一人7本
八：一人7本!?なんなんですかその棒。ちょくちょく折れるんですか？棒屋の策略でしょ。定期的に折れるように細工してあんですよ。折れ線かなんか入れて
隠：そう簡単に折れるようなもんじゃあない
八：だったらなんで7本も必要なんです？
隠：ゴルフをやるゴルフ場ってのがやたらと広くてな。最初に使うクラブはできるだけ遠くに飛ばせるのがいいんだ。でな，最初にかっ飛ばした球ってのがだいたい草むらに入っちまう
八：草むら？ゴルフ場ってのは草むしりもしてねぇようなとこなんですか？
隠：そうじゃあない。わざと生やしてる
八：わざと!?髭みたいに？
隠：おしゃれで生やしてんじゃあねぇ。障害物みたいなもんだ。で，その草むらから球を出すためのクラブも必要だし，バンカーと言ってな，まぁ…砂場だ。そっから球を出すためのクラブも必要だ
八：最近のゴルフ場には砂場があるんですか？なかなか気が利くね〜
隠：なんだい｢気が利く｣って。あれは結構嫌なもんだぞ
八：大人にとってはでしょ？子供たちは大喜びだ
隠：｢砂場｣ったってキッズコーナーみてぇなもんじゃあない。こいつも障害物だ。そっから，球を入れる穴ぼこの周りはグリーンと言ってな，まずはそのグリーンに球を乗っけて，そっからコロコロ転がして穴ぼこに入れるんだが，その球をコロコロ転がす専用のクラブってのもある
八：なんだか面倒くせぇんだなゴルフってやつは。どうしてもやりたいんですか？
隠：え？
八：ご隠居が｢どうしても｣って言うんだったら，俺も覚悟決めますよ
隠：覚悟って…，さすがにゴルフクラブのセットを買ってもらうわけには…
八：そうじゃねんです。俺がなるんです
隠：え？
八：俺がゴルフクラブになるんです
隠：ゴルフクラブになる？八っつぁんが？
八：ご隠居のためなら俺は何にでもなりますよ。ご隠居はこれまで俺にそれだけのことをしてくれた。俺がそれに気づかなかっただけでね。それを｢あたりめぇだ｣なんて思っちまってた。やっと気づいたんですよ。ちゃんと感謝の気持ちを伝えないといけねぇって。俺だけじゃあないですよ。俺の家族もみーんなそう思ってる。だから今日はこうして家族を代表して，はるばるやって来たんです
隠：｢はるばる｣って…，お前さんの家斜向はすむかいじゃないか
八：いやあの〜そういう気持ちでやって来たってことですよ。で？どうやってなればいいんです？ゴルフクラブ
隠：知らないよそんなことは。だいたいお前さん狸じゃあるまいし，ゴルフクラブになるなんて無理に決まっ…
八：それだよご隠居！狸だ！
隠：狸？
八：狸に頼みましょう
隠：狸に頼むったって…
八：ご隠居前に｢山で狸助けた｣って言ってたでしょ？
隠：あ〜あの怪我した狸
八：子連れだったんでしょ？俺がその狸の家族探して，ゴルフクラブに化けてくれるよう頼んできますよ。家族みんなで化けりゃあ7本くらいになる。その狸どんな面つらしてました？
隠：どんな面って…，狸面だ
八：あたりめぇだ。狸はみんな狸面だ。なんかあんでしょ？美人とかイケメンとか。醤油顔とかソース顔とか
隠：ソース顔の狸なんていんのかい？あたしには区別がつかないがね
八：そうですか？俺はそういうの見分けくつんですよ
隠：見つけられたとしてもだ，あたしの道楽のために｢ゴルフクラブになってくれ｣なんてわがままは言えない
八：そんなことねぇよ。狸だって｢恩返ししてぇ｣って思ってんだ
隠：なんだい八っつぁん狸じゃあるまいし。狸の気持ち分かんのかい？それに，山ん中で元気に暮らしててくれれば，それが一番の恩返しだ
八：ご隠居結局そう言うでしょ？だから俺が｢ゴルフクラブになる｣って言いに来たんですよ
隠：八っつぁんの気持ちは嬉しんだよ。ただ…，お前さんゴルフクラブ見たことねぇから｢なれる｣と思ってんだろうけど，そう簡単になれるもんじゃあねぇんだ
八：そうかもしれねぇが，俺は見ての通りガリガリで，昔から｢棒みてぇな奴だ｣って言われてんだ。それでいて体力には自信がある。俺には学もねぇし金もねぇ。だから，俺がそのゴルフクラブってのになって，感謝の気持ちを伝えたいんですよ。試しにお願いしますよ。ね？一度だけ。ご隠居この通り
隠：八っつぁんがそこまで言うんだったら…，分かった。なってもらおう。あたしが八っつぁんの足を持って振り回すから，八っつぁんは手でボールをひっぱたく。これでどうだい？
八：そんなんでいいのかい？お安いご用だ

八：ゴルフ場って随分綺麗なとこなんですねぇご隠居。全然草ぼうぼうじゃねぇ
隠：おい八っつぁん！なんであたしと並んで歩いてんだい
八：駄目なんですか？
隠：ここに入ってくれ
八：なんです？これ
隠：ゴルフクラブを入れるバッグだ
八：こん中入るんですか？
隠：歩くゴルフクラブなんて前代未聞だ
八：分かりましたよ。よいしょっと。こんなかんじですか？
隠：たぶんそんなかんじだ。いいかい八っつぁん。ゴルフクラブには種類がある。遠くに飛ばす用，草むら用，砂場用，コロコロ転がす用だ。それぞれ形が違うから，それを手で表現してもらいたい。遠くに飛ばす用だったらグー，草むら用と砂場用はパーみてぇなかんじだ。バッグを開ける時にあたしが｢よ〜しこれから遠くに飛ばすぞ〜｣とかなんとかヒントを言うから，それに合わしてくれればいい。いくよ。｢よ〜し。第1打はとにかくできるだけ遠〜くに飛ばしてやるぞぉ〜｣…おい八っつぁん聞こえたか？
八：え？
熊五郎：ご隠居随分気合い入ってんなぁ〜
隠：え？いや自分に言い聞かせてんだ。｢できるだけ遠〜くに飛ばしてやるぞぉ〜｣と言うとその通りに打て…おい八っつぁん開けるぞ
八：ふ〜やっと外に出られる
熊：ご隠居のドライバー随分びしょびしょじゃねぇか？
隠：え？あ〜…今朝洗ってきた。まだ乾いてねんだな…八っつぁん汗かきすぎだ。そっから手はパーじゃなくてグー
八：なんでだよ。ボールひっぱたいて遠く飛ばすんだったらパーのほうが…
隠：ドライバーってのは昔からグーって決まってんだ。グーにしてくれ
八：ドライバーはグー？よく分かんねぇけど…，こうか？
熊：ご隠居のドライバーなんかしゃべんなかったか？
隠：え？熊さん聞こえた？今どきはなんだってしゃべんだ。カーナビだってスマホだって…
熊：さすがにゴルフクラブは…
隠：しゃべんだよこいつは。最新式だからな
熊：何を？
隠：何をって…，あれだよ。あの〜風向きを教えてくれたりするな。見てろよ。おいドライバー！風はどうだ？
八：……
隠：おいドライバー！
八：……
隠：八っつぁん！ドライバーってのはお前さんのことだ
八：え？俺？
隠：｢え？｣って言うんじゃねぇ。おいドライバー！風はどうだ？
八：風？心地いいね
隠：そういうこと聞いてんじゃあねんだよ
熊：ご隠居のドライバーおもしれぇな。冗談も言えんのか？
隠：え？そうなんだよ。最新式だからな。冗談も言える。まぁ冗談はこれくらいにして，打たせてもらいますよ。1打目はできるだけ遠くに。いくぞドライバー〜
八：あいよご隠居〜
隠：いち〜に〜の〜
八：さん！
熊：お〜!!!!ナイスショ〜ット!!
八：見たか俺の実力！
隠：いいからお前さんは黙ってこん中入れ。行くぞ。よいっしょっ…よいっしょっ…
熊：何やってんだよご隠居。重たいのかそれ？
隠：最新式のクラブはしゃべる分やたらと重い。熊さん先行っててくれるかい？あたしたちはぼちぼち行くから。よいっしょっ…よいっしょっ…
八：ご隠居。バッグの底抜けそうです
隠：え？
八：バッグの底から足出して，俺も一緒に歩けばいいんじゃないですか？
隠：そうか。足見えないようにうまいこと歩けるか？行くぞ。せ〜の…いちにいちに…
八：いちにいちに…
隠：いちにいちに…
八：いちにいちに…
熊：なんだよご隠居〜!!めちゃくちゃ足速ぇじゃねぇか。重くて大変なんじゃ…
隠：コツつかんだ。いちにいちに…
八：いちにいちに…
隠：いちにいちに…
熊：ご隠居すげぇな。このコースでワンオンなんて奇跡だ
隠：よ〜し。｢コロコロ転がして穴ぼこに入れちゃうよ〜｣
八：おぅ！まかしとけ
隠：よ〜しいくぞ。せ〜の
八：えい！
隠：よし行け
八：いいぞ
隠：そのまま
八：入れ！
隠：お〜入った！すごいぞ八っつぁん！
八：分かりましたよご隠居。ゴルフってやつが
隠：さすが八っつぁん！この調子で次のホールも頼むよ。とりあえずまたこん中入って…
八：待ってくれご隠居。ちょいと行ってくる
隠：どこに？
八：すぐそこに家族来てるんでね。少し話すだけです。準備できたら声掛けますんで
隠：おい八っつぁん待って…

八：あれ？ご隠居？
隠：お〜八っつぁん遅いじゃないか。話終わったのかい？家族と
八：家族？家族なんて来てないですよ
隠：え？だったら今何してたんだい？
八：何ってゴルフですよ。ちょうど回り終わって帰るとこです
隠：帰る!?何言ってんだい。お前さんに帰られたらあたしのクラブがなくなっちまうじゃないか
八：ご隠居こそ何言ってるんです？
隠：八っつぁんそれ何持ってんだい？
八：何って…，ゴルフクラブに決まってんじゃないですか
隠：八っつぁんのゴルフクラブ!?
八：貰い物ですけどね。古いやつ
隠：見してもらえるかい？は〜確かに古いが物はいい。これちょいと貸してもらうわけにはいかねぇか？
八：え？いいですけど，ご隠居のクラブそこにあるじゃないですか
隠：あれは…，バッグだ
八：そんなこと言って〜，どうせ俺のより新しいんでしょ？
隠：あれは〜…最新式だな。しゃべる奴だ。しゃべる奴がさっきまではいたんだが，今帰ろうとしている
八：何言ってるんです？｢ゴルフクラブが一人で歩いて帰る｣みてぇな言い方して。大丈夫ですか？ご隠居
隠：大丈夫ではない。緊急事態だ。とにかくこのクラブをあたしに貸してほしい
八：貸すのはいいですけどね，とりあえずご隠居のも見してくださいよ
隠：いやいやいやいや。あいつは見せられるような代物じゃあない
八：最新式なんでしょ？しゃべるやつ
隠：そう！めちゃくちゃしゃべる！しゃべるなんてもんじゃあない。マシンガントークだ。うるさくて仕方ねぇ。やめたほうがいい。罵倒されるよ
八：そんな柄の悪いゴルフクラブなんて…，なおさら見たいじゃないですか。これ貸しますから。ね？代わりに見してくださいよ。開けますよ
隠：あっ…
八：……。あれ？何にも言わないじゃないですか。こいつおしゃべりなんでしょ？おいクラブ！なんとか言え！なんだよ。うんともすんとも言わねぇ。にしてもご隠居，これ相当いいクラブでしょ。こういうのでやればうまく打てんだろうね。ドライバーにアイアンにパター。揃ってんね〜。ウッドだけで６本もある
隠：ウッドだけで６本も!?ウッドってそんなにあんのかい？
八：｢そんなにあんのかい？｣って…，自分で揃えたんでしょ？あ〜あれか。揃えすぎて何本買ったか分かんなくなっちまったんですか？景気のいい話だね。にしてもこれ，ご隠居の趣味なのかい？ゴルフクラブのカバーが全部，狸の尻尾しっぽそっくりだ