創作落語台本「最期の鯛」

・あらすじ
 戦国時代、都のある京よりほど近いとある一帯を治めている将軍・淀永春康は、彼のかけがいのない腹心である武将・加藤義辰の兄による離反・逃亡に伴い、兄に代わって義辰に切腹を命じることになる。
 重宝していた戦力を失う口惜しさから、春康は義辰の最後に「何でも好きなことを叶えてやりたい」と申し出る。義辰は主君の好意をありがたく思い、自分の希望を伝える。
 しかし「食べたことのない鯛を食べてみたい」という希望を皮切りに、一つ叶えるとまた一つとお願い事が増えていく……

・登場人物
淀永春康…見栄っ張りで外面を気にする将軍。
加藤義辰…とぼけているが逞しい武将。


(大栄七年、今に言う戦国時代の頃。この時代において、不手際を戒める最大の罰は切腹だが、それを主が命じる以上、その舞台を整えるのは大変大掛かりなことであった)

春康「おいおい、そこの! そんな古い畳ではいかん。そこらの家人を罰するのとはワケが違うんだぞ! 垂れ幕もなんだ。シミがあるじゃないか。卸したてを用意しろと……何、乳母が赤子のむつき(おむつ)にした? だから主殿に入れぬよう伝えておったと言うに……侍大将たる義辰の詰腹に、中途半端な舞台は用意できんぞ。妙な噂が広まっては、こちらも立つ瀬がないんだからな」
  
(春康がやいのやいのと騒いでいるうちに中庭にて切腹の準備が整い、家臣である義辰が連れてこられる)

春康「義辰や、儂は無念でならん。そなたの武勲は語るに尽きぬ。まだまだ乱れてばかりの世において、そなたほどの男を失うなどというのは、主君としても口惜しうて仕方がない。そなたの兄の離反とはいえ、お主のしていないことで咎めるのはいささか気が引ける。そこでだ、詰腹の前にお主の望みを何でも聞いてやりたい。何か、やり残したこと、今のうちに果たしておきたいことなどあれば申せ」
 
(義辰ははっと顔を上げ、歓喜のあまりに咽び泣く)

義辰「淀永殿、某のような田舎侍を格別に取り立て、お側に置いていただいただけでも有難きことでございますのに、これ以上望むと罰が当たりそうでございます」
春康「何を言うか、儂にとってそなたは我が子も同然。さぁ、遠慮せず何でも望みを申してみよ」
義辰「ありがとうございます……ありがとうございます……何度御礼を申し上げても足りのうございます……では、少し申し上げにくいのですが、実は耳にしてからずっと食べてみたい、食べてみたいと思いつつ、ついぞ叶えられなかったものがございまして」
春康「食べてみたいもの?」
義辰「はっ、淀永殿のもとで務めを果たし、何不足ない生活を送って参りましたが、鯛と申す魚だけは口にしたことがございません。あ、いや、淀永殿からの処遇に不満があったわけではござらぬが、どうしても最期にそれだけは食べてみたくて……今生の最期に美味なるものを食せれば、某もまた巡り巡った縁の中で淀永殿にまたお仕えすることが叶いましょう」
春康「全くお主のような男を臣下に持つことが出来て、儂も心より嬉しく思うぞ。者共、義辰の忠義をよく見ておけ。自らの咎めではないもので処されるというのに、文句の一つも言わずこの姿だ。鯛くらい何だというのだ。望み通り用意させよう。初めて食すと言うのならば、刺し身が良かろうな(手を叩く)これ、そこなもの。鯛を捌いて持ってまいれ」

(春康に言われた通り、給仕の者がすぐに動いて立派な鯛を一匹捌いて持ってくる)

春康「おぉ、鯛が用意できたな。よしすぐ義辰の前へ……どうだ、義辰。尾頭付きでの刺し身は儂でもなかなか食べられぬぞ」
義辰「おぉ、コレが鯛! 赤い、赤いとは耳にしておりましたが、本当に赤いですな。なんと美しい……まさしく、淀永殿の御台所のごとき美しさ! 」
春康「それ……あまり褒め言葉にはならないと思うぞ」
義辰「しかし、この外側の色と異なり中の身は白く輝いておる……紅白の色合いで大変めでたい。できれば、こんな日でないときに食べたかったものですな」
春康「なんだと?」
義辰「いえいえ、お気になさらず。では、いただきます……(食べる)んん! なんと美味な……繊細な味の中に脂身が……この弾力もまた……んん、美味い! こんな美味いものはついぞ食べたことがござらん……」

(食べ続ける義辰、思わず喉が鳴る春康。義辰はあっという間に大きな鯛一匹を平らげてしまう)

春康「おぉ、さすが義辰。あっという間に平らげおったな。そなたが満足なら、儂も嬉しく思うぞ」
義辰「はい、誠に……こんな美味なるもの……最期に食べられて幸せでございます。淀永殿には何と御礼を申し上げればよいか……」
春康「いつ潰えるとも思えぬ命、それが悔いを残すことなく終えられる機会を得たのだ。それを、そなたのような誉れ高き武将に与えられるのならば主君として本望。とことん叶えるのが努めというものだろう。礼などよいのだ」
義辰「淀永殿ぉ! 某こそ、貴殿のような主を持ち、恐悦至極にございます」
春康「そうか、ならば何よりだ。さぁ、もう思い残すことはないか? 今のうちだ、叶えたい事があるなら早めに申せ」
義辰「では、主の言葉に甘んじる最後の機会として……その、鯛という魚は刺し身も美味と伺っておりましたが、塩焼きもまた格別とのこと。厚かましいとは存じますが、塩焼きを白飯と共にいただきとうございます!」
春康「……そんなに鯛が気に入ったのか? こんなことならもっと早くに食べさせてやるべきだったな……あい分かった。おい、大至急用意いたせ」

(給仕の者が急いで米を炊き、鯛の塩焼きを準備し始める。そろそろ日も暮れはじめ、春康だけでなく周りの家臣達も、台所から漂ってくる匂いにつれられて空腹を覚え始める)

春康「おい、鯛はまだか……お、焼き上がったか? 何? 毒味? いらんそんなものは! どうせこのあと……いや、良い、早く持っていけ」

(給仕係が義辰の前に塩焼きの鯛と白米を置く)

義辰「おぉ! 先程の刺し身とはまた異なり、なんとも芳しい香りですな……今か今かと待っているうちに、だいぶ腹もこなれたところ。さて、頂きましょう(鯛を一切れ取る)おっ、焼き立てだ、熱い熱い……(食べる)んん! これまたなんと美味な。口の中でホロホロと柔らかく崩れる……(白米をかきこむ)んん! 絶妙な塩加減で、白飯がまた進みますな……いやぁ、これはまた至上の美味! こんな良いものを最期に食べられるとは、某は誠に果報者だ」

(モリモリと食べ進めてあっという間に平らげる義辰)

義辰「はぁー、たいそう美味であった。あ、そういえばこの鯛の骨と昆布で出汁を取り、それで茶漬けにするのもたいそう美味と伺っておりましたが!」
春康「義辰よ……儂もできるだけ叶えてやりたいとは思うが、家臣たちもこうして長い時間待ち続けておってだな……」
義辰「そうでした……そもそも某の兄の咎めを受けるためにここにいるのでした……それにも関わらず、淀永殿のご厚意に甘えて、我儘ばかり言って……いくら淀永殿が寛大で! 聡明で! 御仏の化身と言われんばかりのお方とはいえ! 調子に乗りすぎました。武士として、己を恥じるばかりであります。では……鯛茶漬けだけが心残りではございますが(小刀を手に取る)某! ここに努めを果たさせて頂き……」
春康「待て待て待て! 分かった! 儂もそなたにそこまで言われて断るほど鬼ではないわ。おい、残った鯛の骨で出汁を取れ。米も用意するんだ(小声で)急げよ!」

(再び給仕の者が大急ぎで鯛茶漬けの準備をする。その甲斐もあってか、茶漬けが早めに出来上がった)

春康「お、出来たか。さぁ、義辰早く食べるが良い。さぁ、さぁ」
義辰「淀永殿、そう急かさなくても頂きますとも……(茶漬けをすする)んん! この出汁といい……んん! 美味い、あぁ、鯛という魚は誠に捨てるところがございませんな。さながらムダを省いて財を成す淀永殿の家臣が最期、食すものにふさわしい魚ですな! 」
春康「どうも褒められている気がしないのだが……さて、義辰」
義辰「はい、はい……もう、思い残すことはございません…ときに、鯛の昆布締めもかなりの美味と伺っておりますが……」
春康「よ、義辰。聞くところによると昆布締めは作るのに一晩もかかるそうだぞ」
義辰「えぇ、えぇ。もちろんそこまでは申しませんとも。冥土の土産としてこれ以上のものもありますまい」
春康「そうか、それならば儂も苦心した甲斐があるというものだ」
義辰「はい、本当に淀永殿のような主を持ち、某も誠に嬉しうございます……ただ、淀永殿。どうしても、一つ心残りができてしまいました」
春康「……なんだ?」
義辰「最期の最期に、こんな美味なるものを食べてしまうと、故郷のおっかぁ達にも食わせてやりたいと思いまして」
春康「分かった、お主の詰腹が終わればすぐに届けさせよう……何? さっきの鯛がもう最後? 魚屋を呼べば良いだろう……えぇ? こんな時間では捕まらないだと?」
義辰「いや、それは困ります! おっかぁは病がちで、それこそいつ潰えるかも分からぬ命。せっかくなら、同じ鯛を食べさせてやりとうございます。もし許されるのなら、某が明朝、鯛を買って故郷に届けに行きましょう」
春康「何を言うか、そなたの故郷は行って帰るだけで三日はかかるではないか。それに、今日このために、家臣共々こうして待っておったとゆうに」
義辰「淀永殿、某とその家族は忠義を持って主に尽くした身。兄のことがあったとはいえ、決して裏切ることなどございません。どうか、鯛を……鯛を故郷まで届けさせてくださいませ!」
春康「バカを言うな。たいがい(鯛以外)にしろ」


第19回 2020年度 新作落語台本募集に応募、二次選考まで残りました。

2023年10月6日公開
<こちらはpixivより引っ越ししてきた作品です>

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