ア!!???!どっちが藤孝ですか!!?!?!??見なきゃ!!!!!!
元亀3年(1572)12月6日は細川藤孝が前大納言の三条西実枝に誓書を提出して古今伝授を受けた日。古今和歌集の読み方や解釈は秘伝とされ故実を師弟間で1対1で教える方法で歌道の奥義として重視された。4年後に藤孝は実枝から証状を与えられ、のちに実枝の子公国や、その子実条に伝授した。
永禄12年(1569)1月6日は将軍足利義昭の仮御所の本圀寺を囲んだ三好三人衆を撃退した日。前日から攻め寄せた敵を明智光秀らが防ぐと細川藤孝・池田勝正・荒木村重など畿内の諸将が駆け付け撃退した。岐阜の信長は大雪の中を僅かな供を連れ急ぎ出立すると到着したときには数人の凍死者が出た。
元亀3年(1572)12月6日は細川藤孝が三条西実枝から古今伝授を受けた日。古今和歌集の読み方や解釈は秘伝とされた。慶長5年(1600)西軍に藤孝は城を包囲されたが古今伝授が滅びないよう後陽成天皇が勅使を送り身柄保護のため開城させた。文化保護のため仲裁というのもあったのですね。