(二十二)「花香ある人は」を句頭にして詠んでみた

【古今夷曲集】に次の問答歌がある。
法眼紹巴に途中にて行き会い、何処へと問うに茶の湯にまかると言いければ詠める。
法印玄旨(げんし)
花香(はなが)ある 人は御茶にも 呼なれど 
こちやまた跡に 残る壺底

返し
法眼紹巴(じょうは)
残るこそ 猶も別儀に 花があれ
うじある人は ちやちやと呼ばれず

法印玄旨(1534-1610)の本名は細川藤孝と言い、武将、戦国大名、歌人である。雅号を幽斎と言い、法名を玄旨と言うのである。肥後細川家の祖である。その時代における粋人・茶人でもあった。
御茶に呼ばれたとなっているが、紹巴が「ちやちやと呼ばれず」と応じている事から、太閤秀吉の側室茶々から呼ばれたのであろう。本人は「跡に残る壺底」と謙遜している。

法眼紹巴(1525-1602)の本名は里村紹巴と言い、周桂(しゅうけい)に連歌を学びて連歌師となる。多くの武将と交流があった。
紹巴の歌の解釈は一つではないと思う。細川氏に対して、「うじある人はちやちやと呼ばれず」と述べているが、そのまま真に受けるよりは、歌の世界なので、軽く忠告する意味と受け取る程度がよかろう。

さて、本題に入ろう。「花香ある人」と、どんな人であろう。「花香」を広辞苑で引くと、次の様に出ている。
・匂い、色、つや
・茶の香気

「コトバンク」には次の解釈もある。
・人を引きつける美しさ
・花の香気

これらの事から考えると、「花香ある人」とは「人を引きつける美しさ」のある人という事になろう。私が思うに、歌を詠む者は皆、花香ある人であるべし!
花香ある 人は春秋 花に酔う
桜吹雪に 紅葉絨毯に

花香ある 人は冬にも 花を見る
霜に花有り雪には牡丹


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