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肥後朝顔展@古今伝授の間

こんにちは。今日は熊本市の水前寺成趣園内にある古今伝授の間で開催された肥後朝顔展に行ってまいりました!今日は蒸し暑い日でしたが、古今伝授の間に並べられた色とりどりの肥後朝顔は凛として美しく、涼を感じました🎐本記事では、最初に熊本県の重要文化財である古今伝授の間についてご説明した後に、肥後朝顔展の朝顔を写真でご紹介していきたいと思います。

※菊池散策7回目の記事は今週末に間に合いませんでしたので来週末UP予定です🙇‍♀️

肥後六花と肥後朝顔について

まず最初に、肥後六花と肥後朝顔の説明をさせて頂きます。肥後六花(ひごろっか)は、肥後椿(ひごつばき)、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔(ひごあさがお)、肥後菊(ひごぎく)、肥後山茶花(ひごさざんか)の6種の花の総称になります。

【肥後六花について】

肥後六花の歴史は古く、いまから250年ほど前の、江戸時代までさかのぼります。熊本藩のお殿様、六代藩主・細川重賢公が、家臣(武士たち)の精神修養に園芸を奨励したことに始まったといわれています。
 六花に共通する特徴としては、「端正な一重咲きで優美な花芯、清らかな色」 であることです。
「花連」と称する肥後六花それぞれの保存団体の厳しい規律と武士の誇りのもと、苗と種は「門外不出」の宝として厳しく守り継がれてきています。肥後六花の栽培方法や鑑賞方法は、それぞれに独自の作法が伝わっています。「肥後六花」は、先人たちが守り伝えた美と修練の結晶です。季節ごとに美しく咲き誇る花々からは、昔の人たちの思いを感じることができます。

熊本県HPより

【肥後朝顔について】

朝顔の栽培は江戸時代後期に流行したがその後廃れ、明治時代に入って再び盛んになった。
熊本では1899年(明治32年)に涼花会が結成され、種子を門外不出として育成・保存に務めた。第二次大戦や1953年(昭和28年)の水害ののち、徳永据子が守り続けていた種子から再興し、涼花会を中心に守り続け、水前寺成趣園や、熊本城内で展示会を行なっている。

水前寺成趣園出水神社発行 肥後六花リーフレットより

県重要文化財・古今伝授の間

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古今伝授の間入り口↑ 外観が分かりづらくてスミマセン💦水前寺成趣園は回遊式庭園になっており、全体像は池の向こう側から撮るのが一番分かりやすくフォトジェニックなのですが、今回はその写真は撮っていません🙇‍♀️

古今伝授の間については、まず、現地の案内板を引用させて頂き、その後補足説明致します。

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      古今伝授之間の由来
この茅葺の古風な建物を古今伝授之間と申します。今から凡そ四百年程前、京都御所の中に建っていました後陽成天皇の皇弟桂宮智仁親王の書院を兼ねた茶室でございます。
この部屋で細川家初代の細川幽斎公が桂宮智仁親王に「古今和歌集」の解説の奥義を伝授された由緒深い建物でございます。
後に桂宮家に於て此の建物を永く保存せんが為にその御領地山城国乙訓郡開田村(現京都府長岡京市)に在る長岡天満宮の境内に移し、長岡茶屋と申されました。
その後明治初年に之を縁故ある細川家に賜り大正元年に水前寺公園正面の現在地に昔の型通り移築されました。
屋内の杉戸には狩野永徳の「雲竜」の墨絵(現在消滅)、正面の襖に永徳の門人海北友松の「竹林七賢人」(現存)の絵があります。
この建物が建っている場所は細川藩時代、藩主の「酔月亭」が在った場所です。

ここで少し補足説明させていただきます💡智仁親王に古今伝授した細川幽斎公とは、肥後細川家初代となる戦国武将・細川藤孝のことです。幽斎公は文武全般に秀で、朝廷からも頼りにされるほどの学識豊かな武将で、多くの人に慕われたといわれています。

幽斎公は武家でありながら、三条西実枝の息子・公国が幼少だったため「一時預かり」として三条西実枝より古今伝授を受けますが、公国は若くして亡くなり、智仁親王が後継者として選ばれます。親王への古今伝授の最中に関ヶ原の戦いが始まり、幽斎公は領地の田辺城で石田三成の軍勢に囲まれ籠城を余儀なくされます。死を覚悟した幽斎公は、古今伝授の一切の資料と修了証明を、「古へも 今もかはらぬ 世の中に 心のたねを のこす言の葉」の歌とともに智仁親王に送り届けます。智仁親王の報告を受けた後陽成天皇は、幽斎の死と古今伝授の断絶を恐れ、勅命を発して田辺城の囲みを解かせました。幽斎公はその後、智仁親王への古今伝授を無事完了されたそうです。

それではいよいよ、古今伝授の間の中で開催されている肥後朝顔展を鑑賞しに参りましょう❣️

肥後朝顔展

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古今伝授の間での肥後朝顔の展示は本日だけということもあり、たくさんの見物客で賑わっていました。古今伝授の間では、抹茶とお菓子も頂けますよ🍵

入り口から一目みただけで感動ものの雰囲気❗️↓

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床の間の前に並べてある鉢が一番出来がいい鉢だそうですので、そちらから見ていきましょう♪↓

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ここで、肥後朝顔特有の栽培方法と観賞方法をご紹介いたします💡肥後朝顔は本焼きの12㎝の小鉢を使い、茎の高さは鉢の高さの3倍に仕立て、第一花を四〜五節目につけるそう。鉢と茎葉と花との釣り合いと品位を重んじているそうです。展示会に開花を合わせて仕立てられています。比率が美しい一鉢の写真をまずは一枚↓

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「法衣」と名の付いた品種の紫色系の肥後朝顔。花の色、大きさ、高さ、絶妙なバランスで美しい立ち姿ですよね✨それでは以下に、古今伝授の間と肥後朝顔の鉢の写真を幾つか載せますね。雅な世界観をお楽しみ下さい。

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品種名 右が「藤衣」、左が「松風」
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「藤の川」
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「磯千鳥」
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正面の「竹林の七賢人」の襖絵の前に並べられた朝顔
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「磯打波」。茎は伸びていますが、個人的にこの淡い色が涼やかで好き。
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この襖は「五七の桐」の紋様の京唐紙で張られています。天然鉱物の雲母を材料とした絵の具が使われているそう。
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写真右手の松の切り株は、幽斎公が田辺城に籠城中に「古今伝授松」の札を掛けていた城の中の松とのこと。
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古今伝授の間から庭園を望む

あとがき

肥後朝顔は私も初めて観賞しましたが、全体の姿形の美しさもさることながら、品種ごとに異なる日本的な微妙な色合いがとても素晴らしいと感じました。古今伝授の間での肥後朝顔展は一年で一日だけ、朝顔が美しく咲く午前中のみの開催です。会場では涼花会の関係者の方々が今年の花の出来などについて見物客とお話しされていて、落ち着いた文化的な雰囲気に非日常を感じました✨

今週は心がざわついてちょっと落ち着かなかったのですが、古今伝授の間に飾られた美しい肥後朝顔を見て一気に心が落ち着きました笑 その後水前寺成趣園の美しい庭園を眺めて更に癒されて帰りました。美しい文化と自然とそれを愛でられる穏やかな日常があれば、他には何もいらないと思った休日でした。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

アクセス情報はこちらから↓

【引用資料・HP】

熊本県HP 熊本の貴重な宝「肥後六花」
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/64400.pdf

出水神社 肥後六花リーフレット

【参考資料】

出水神社 水前寺成趣園肥後朝顔展リーフレット

(株)古今伝授の間紅梅 県重要文化財 古今伝授の間リーフレット


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