昼間の青空と夜の闇の中を行ったり来たり。それでも、陽のひかりを求めていく。思考が叶うと言うのなら、光を観る場所へ行き、そこに立つ自分で在りたい。
知識や鵜呑みや想像じゃなくて、実際に体感として知ってるなら、 《ひとつ》は至福でしかないのも知ってるはずなんだよね。 知らない自我が、勝手な妄想を話すんだ。 女の子を知らないひとが、妄想で事実じゃないこと話すみたいに😹 退屈はね、存在しないよ笑 それは、"する"の自我の側。
「有る」から「在る」へ。所有するという意味での「有る」の視点から、存在するという意味での「在る」に意識を変化させれば、欠乏の意識をなくすことができる。「有る」は外側の意識である反面、「在る」は内側の意識。私は在る。私は消えてなくならない。人は「在る」を認めたとき、幸せを得られる。
魂は未だ見ぬ輝きを求めて進もうとする。 肉体は命を保持しようと安定を求める。 その狭間で心は揺れ動き、ぶつかり、削られて、研ぎ澄まれていく。 もしくは丸みを帯びていく。 その過程のすべてが「私」であり その過程のすべてを許せたのなら、 全部ただ「在る」と優しさで満たされる。
そんなはず「在る」って 実は心の奥底で信じてるわたしを発見💡 逆転🌟🎯
「大いなる源」には善も悪も何でもあります。ここは悦びや感謝だけの次元ではありません。 わたしたちの中には大いなる源を感じられる「本質の自分」がいます。これは悦びとか感謝の存在です。 なので、「本質の自分」に気づけば「大いなる源」が悦びと感謝の現実を引き寄せ創造してくれます🤗🌸
というわけで、冥王星の水瓶座入り(プレ②)まであと数日。日々を心地よく、やることやって、私はとりあえず……小説『くちびるリビドー』の電子書籍化作業、再開させたいところ……だよな☆☺︎⤴︎⤴︎「世界のどこかに必ず一人、これを求めている人がいる。だからこの物語は、存在できているはずなんだ」