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愛は本来そばにいる あなたを傷つけたりしない

8月上旬、私は実家に帰省した。

元々帰る予定はなかったが、

母方の祖母の娘、私にとって
叔母のお見舞いにいく予定だった。

病院へ行くのが億劫になっている祖母を連れ、皆で向かおうと前々から計画していた。

帰省まであと2日
母から電話が掛かってきた。

嫌な予感がした。
<間に合わなかったか>と頭をよぎった。

電話に出てみると
感情をあまり感じない、表に出さないあの母が、珍しく乱れているのが分かる。
※と言っても冷静。


「落ち着いて聞いてね。
おばあちゃんが亡くなった。
ごめんなさい。」

驚いた。
でもどこか納得もした。
なぜなら数日前に祖母の顔がよぎったから。

「。。。おばあちゃんだったか。」
なんともいえない気持ちになる。


数日してお通夜とお葬式が行われた。
私はお葬式になんとか間に合った。


久々に顔を合わせた母は
もう冷静さを取り戻していた。


祖母が当時倒れた状況を聞いていると、
ちょっと切ない別れだったことが分かる。
母も不安だったことだろう。


お通夜を終えた夜のこと、
母は第六感が働き、祖母に

「娘(叔母)の所へ最後に寄りたい」

と言われた気がし、突然涙が溢れたそう。

あんなに感じない母が
そんなことを言うから、正直びっくりした。
この感覚は、一緒にいた母の姉にはなかったそう。

もしかしたら母は本来、感じる人なのかもしれない。感じすぎるから、感じないようにしていたか?
なんて、真実は分からないけれど


母が娘として、祖母の話をするのを見て、
母という役割のない
ただの女性としての彼女
をどこか受け止め、
理解した気がした。

立派な母だったこと
愛情いっぱいに育てられたこと 

そんな風におばあちゃんのことを思っていたなんて、知らなかったよ。


ー その後火葬へ。
亡くなってからはあっという間だな。

骨になるまでしばらく待つ。
やっとどこかホッとする。
なんだか愛おしい時間が流れる。

故人を皆で惜しむ。
「お母さんはあーだった、こうだった」と涙ながらに語る。

今まで聞いたことのない話が出てくる。
なぜ居なくなってから人は語るのだろう。

もっと話しておけばよかったな。
まぁ、失ってから語られることもあるか。
本当急だったな。


そんなことを思いつつ。
私がファッションやダンスが好きだったのは、知らぬ間に祖母のルーツを受け継いでいんだ!と感動したり、
祖母が私が生まれたことを、自分のことのように喜んでいたことも知った。


口うるさくて、ネガティブでわがままで。
女性性強めの祖母。
贅沢で、美味しいものが好きで、イケメンが好きな祖母。
家族の中で影響力の強い祖母。


私、あんまり好きじゃないと思っていた。
祖母もそうだと、どこかで思っていた。

でもちゃんと好きだった。
そしてどう抗っても、私は愛されていた。


居なくなってから気づくなんて、情けない話だが。こうして先祖から愛を教わり、受け取るのが
ここ数年の私の傾向だ。


どうせ愛されないなら
こんなにつらいなら
生まれてこなければよかったんだ。


そんなことをよく思っていたけれど、


そこに浸るのは
もう終わりだ。


浸りたいあの頃の私を、
愛を知る大人の私が
もうあなたを愛せるから。


全てを終えて東京へ戻った時、
私はふと、鏡の前でワンワン泣いた。

続く


自分を生きてアートとする
スタイルメイカー・安堂むう


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