晴耕雨読という言葉を考えてみる 自然に合わせて悠々自適に暮らすというのが本来の意味だが、能動的になるときは能動的になり受動的になるところは受動的になるというアウトプットとインプットのバランスが取れた言葉にも感じた 畑を耕すことが能動性に代表であり、本読むのが受動性の代表かと思う
食料や国土の危機がわかったからこそ、その危機に対してより能動的に対処ができる手立てが欲しいと思う 言論・情報発信に能動性を求めるのは限界がある 言葉だけでは土地は動かせないし食料も作れない。 効率が悪いとかそういうのをいったんわきに置いて、能動的にやれることやってみたい
言論は能動的な行いか?受動的な行いか? たくさんの人が情報発信をしているけど、情報発信は受け手がいなくては基本成立しない。そういう意味では言論は受動的な姿勢がどうしても強く出てくると思う かといって能動性を高めるために強烈な行動をとれば過剰な行為に結びついてしまうとも思う
主体性を持たず 受動性で生きていると いつまで経っても 自分のペースは作れない 常に他者からの言葉、 時間、気候、 メディアやネットからの 情報など、環境からの 先制攻撃(刺激)がある それによって感情や考えが 反射的に生まれ ペースが乱される だから 主体性を持つ事が大事