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宗教や信仰についての雑記 #162

◯座席

先日、電車の座席に座り、窓外に流れる景色をボーっと見でいたときにふと、今まで色々な座席に座ってきたなと、思いました。

新たな座席に座り、しばらくしてそこを立ってまた違う座席に座り、そんなことを幾度も繰り返してきました。

座席には社会の中の階層(ヒエラルキー)を表すことがあるそうですが、私が今まで(今も)座った座席はグリーン車やファーストクラスなどのものではなく、ごく普通の自由席やエコノミークラスのものでした。

座席にはまた、居場所や役割の象徴といった意味もあるそうですが、私の座席はいつも端のほうで、その役割も微々たるものだったような気がします。

そして電車の座席から見える窓外の景色は、ただ一方向へと流れるのみで、私は一切それに手出しができません。
電車がどこに向かい、どの駅に停まってどの駅を通過するかといったことにも、私は何もできません。
座席に座るとは、そんな受動性を暗示することもあるそうです。

でもその一方で、私は何かに導かれ、あるいは背中を押されて、窓外の景色に何らかの手を加え、電車の行先や停車駅に僅かながらも影響を与えたのかも知れない、そんな気もするのです。

この先いつの日か、この座席を立って下車する時が来るのでしょう。その後新たな座席が待っているのかどうか、あるとしたらどんな座席なのか、色々と想像してしまいます。

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