F.マイケル

宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

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宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

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宗教や信仰についての雑記 #0

◯はじめに この投稿は宗教や信仰に関して、私が個人的に感じたり疑問に思ったりしたことを記すものです。 これはこのような話題について話し合う人がいないので、この場を借りて記しておきたいという個人的な理由で投稿するものです。 他の方々は宗教や信仰についてどのように考え、感じているかを知りたいと思いますので、そのような問いかけに対してコメントをいただければ嬉しいです。 私と同じように、このような話題について話し合いたいのに、そのような人が自分の周りにはいないという方はいらっ

    • 宗教や信仰についての雑記 #98

      ◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで③ この本では、人々に降りかかる不幸は様々な要因が重なって起きたことで、神がもたらしたものではないとしています。 ならばその不幸や苦悩には何の意味もないのか、という問に対して著者は、それらの不幸な出来事はその発生時には意味はないが、我々がそれに意味をもたせればいい、と答えています。 でも私個人の感覚では、人は意味の見いだせない苦悩には耐えられないと思います。 自らの力で意味を作り出すことにも多大な困難を伴うような気がします。 それに対

      • 宗教や信仰についての雑記 #97

        ◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで② この本にはまた、ユダヤ教の不適切な悪い祈りについても書かれています。それは、 ・自然の法則に反する不可能なことの祈り ・他者を傷つけるような復讐のための祈り ・己の勤めを神に代行してもらうめの無責任な祈り の3つの祈りだそうです。 自分の願いを叶えてもらうために無理なことを祈ったり、誰かを憎んで呪ったり、自分が努力して行うべきことを神に頼んだりするようなことはすべきではない、ということのようです。 それではどんな祈りがいいのか、祈りは

        • 宗教や信仰についての雑記 #96

          ◯「なぜ私だけが苦しむのか」を読んで① 先日、「なぜ私だけが苦しむのか」(H・S・クシュナー著 斎藤 武訳 岩波書店 同時代ライブラリー)という本を読みました。 この本は、アメリカに住むラビ(ユダヤ教の教師)である著者が、息子を早老症で亡くした悲しみを通して得たものを綴った本です。 この本の原題は、“WHEN BAD THINGS HAPPEN TO GOOD PEOPLE”(善良な人々に悪いことが起きるとき)で、その主題を扱った代表的な書物として「ヨブ記」を挙げています

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        宗教や信仰についての雑記 #0

          宗教や信仰についての雑記 #95

          ◯宗教や信仰に頼るということ 「宗教や信仰に頼らなければいられない人は、心の弱い人だ」という意見を何度か聞いたことがあります。 この意見はある面では正しいのでしょうが、必ずしもそうとは限らないようにも思えます。 たとえ宗教や信仰に頼っていなくても、様々な思想やイデオロギーに頼る人もいます。 他者とのふれあいや交流に頼る人もいます。趣味や娯楽、ボランティアなどに頼る人もいます。 ときには仕事への没頭に頼る人もいます。 医療や福祉に頼らざるを得ない人たちもいます。 そもそも、

          宗教や信仰についての雑記 #95

          宗教や信仰についての雑記 #94

          ◯「死は存在しない」を読んで 先日、「死は存在しないー最先端量子科学が示す新たな仮説 」(田坂広志著 光文社新書)という本を読みました。 この本では、ゼロポイントフィールド仮説という仮説のことが書かれていました。 その「ゼロポイントフィールド仮説」とは、宇宙の根底にある量子真空の中に存在する「ゼロポイントフィールド」と呼ばれる場が、宇宙の全ての出来事に関する情報を波動情報として記録しているという仮説です。 そして田坂氏は、人間の意識もまたゼロポイントフィールドと繋がってい

          宗教や信仰についての雑記 #94

          宗教や信仰についての雑記 #93

          ◯祈りについて③ 先日より祈りについていろいろと考えている内に、祈りに対する捉え方が徐々に変わっていました。「祈り」という言葉の意味を、もっと広く捉えるようになってきたのです。 手を合わせ目を閉じて心のなかで何かを願ったり、決められた文句を唱えたり、賛美歌や御詠歌を歌ったりすることだけが祈りの形ではないような気がしてきました。 神仏からのメッセージを感じ取り、それに応えることを意識しているならば、例えば、毎日仕事をしたり、炊事や洗濯や掃除をしたり、散歩に出たり知人に挨拶

          宗教や信仰についての雑記 #93

          宗教や信仰についての雑記 #92

          ◯世間虚仮② 先日の投稿(#65)で「世間虚仮」ということについて書きましたが、最近になって少し考えが変わってきました。 世の中には「虚仮」のようなことが非常に多いのですが、神仏(何か大いなるもの)はそんな世の中の人や物事を通して我々に働きかけてくるならば、世の中の「虚仮」は実は「虚仮」ではないのではないか、そんな気がしてきたのです。 世の中のいたるところにある、なんの意味もない虚仮のようなものにも、実は我々の気付かない大きな意味が隠されているのではないか、そんな感覚で

          宗教や信仰についての雑記 #92

          宗教や信仰についての雑記 #91

          ◯祈りについて② 前回、祈りには祈願する以外に他の面があると書きました。 それを一言で表せば、心の変容、ということになると思います。 以前の投稿(#28)でも書きましたが、信仰は視線の逆転をもたらします。自分が世界に働きかけるのではなく、世界から働きかけられている、という逆転です。 そしてこの場合の世界とは、超越者からの働きかけの媒介であり、まずそのような認識があって、世界の一部である自分もまた、その働きかけの媒介の一部として世界に働きかけるのだという視点を持つのです。

          宗教や信仰についての雑記 #91

          宗教や信仰についての雑記 #90

          ◯祈りについて① 先日、祈りについて考える機会がありました。 祈りとは何でしょう。 世の中には様々な祈りがありますが、それら祈りの型には、儀礼型・祈願型・対話型・黙想型といったものがあり、アメリカではそれらの内対話型が最も多いそうです。 一方日本ではどうかと考えたところ、これは私個人の印象なのですが、おそらく祈願型か儀礼方が最も多いのではないかと思います。そしてその次に多いのが黙想型、最も少ないのが対話型ではないでしょうか。 というのは、日本では祈りというと、即ち祈願で

          宗教や信仰についての雑記 #90

          宗教や信仰についての雑記 #89

          ◯己という牢獄 誰にでも経験があることなのでしょうが、いくら話し合ってもわかり合えない、そんな事態にこれまで何度か遭遇しました。 コミュニケーションや話し合いの重要性は人口に膾炙していますが、それも不完全な人間の営みである以上、限界があるのでしょう。 世界にはいまだ戦争や紛争や様々な対立が存在しています。それほど大きなことではなくとも、我々の身近なところにも様々な諍いがあります。 それらは皆わかり合えることの限界が引き起こしているように思います。 どうやら私達は、自分が

          宗教や信仰についての雑記 #89

          宗教や信仰についての雑記 #88

          ◯日々の祈りの言葉 先日、日々の心の平安のため、日常に聖なるものや永遠なるものを感じるにはどうしたらいいか、ということをAIに訊いてみました。 すると、瞑想することや祈ることなどといった答えが提示されました。 そこで私なりに、日々の祈りの言葉を考えてました。 私はいつも 護られています 聖なるものに 見守られています 私が出会う すべてのことに 意味があるから その意味を正しく 受け取れますように 愚痴をこぼすことも 嘆くこともなく 怒ることも 恨むこともなく

          宗教や信仰についての雑記 #88

          宗教や信仰についての雑記 #87

          ◯ヒューマニズムの中の宗教や信仰 前回、ヒューマニズムの視点から宗教や信仰を理解することについて言及しました。 ヒューマニズムとは、人間性を尊重し、さまざまな束縛や抑圧による非人間的状態から人間の解放を目指す思想のことで、「人間主義」とも呼ばれているものだそうです。 このヒューマニズムの思想は現代では主流、というよりも言うまでもない当然のものとなっています。そのためか、様々な宗教や信仰に関する記述の中に、ヒューマニズムの視点からの理解によると思われるものが散見されます。

          宗教や信仰についての雑記 #87

          宗教や信仰についての雑記 #86

          ◯科学技術と信仰 先日、科学技術と信仰とについて考える機会がありました。 信仰とか宗教とかいったものは、科学や技術が未発達だった時代のもので、現代においてはその存在意義は薄くなった、あるいは無くなったという意見をよく耳にします。 そのような意見はある面では正しいのでしょう。 様々な科学技術によって救われた人は膨大な数に上るでしょう。 ですからむやみに科学技術を否定して、神頼みばかりし、露骨な現世利益を謳う宗教には警戒感を覚えます。 でも科学技術も人の営みである以上、完全

          宗教や信仰についての雑記 #86

          宗教や信仰についての雑記 #85

          ◯慈悲の自覚 以前の投稿(#70)で、人間は宇宙が自らを認識するための眼であるという考え方があると書きました。もしそうであるなら、宇宙は人間という眼を通して己の姿を見て、どんなふうに感じ、何を思ったかなどと、宇宙をなかば擬人化して想像してみました。(ここから先は私の空想です。) まず宇宙は己の姿を見て、その広大さや精緻さ、あるいは美しさに驚嘆したことでしょう。 そして生命の稀有さ、生命が誕生することの難しさ、それに必要な条件の厳しさといったことを感じたのだと思います。

          宗教や信仰についての雑記 #85

          宗教や信仰についての雑記 #84

          ◯ペイフォワード 前回、「ペイフォワード」という映画があったことを思い出しましたと書きました。 この「ペイフォワード」という言葉は「ペイバック」(借りを返す)の反対の意味で「先へ渡す」ということだそうです。 この映画は、世界を良くするために、受けた恩を他の三人の人に渡すということを身近なところから始めた少年の話です。 この作品の考えに共感して「ペイフォワード」という言葉をその名前に用いたNPO団体などが、実際にいくつかあるようです。 自分の受けた恩を、様々な理由でなかな

          宗教や信仰についての雑記 #84