宗教や信仰についての雑記 #205
◯社会の分断
先日テレビで、大統領選挙を前にしたアメリカ社会を特集した番組を見ました。
アメリカでは現在、政治的な主張の違いよる社会の分断が進んでいるそうです。
中道左派と中道右派がなくなり、左派と右派双方がより極端になりつつあるとのことです。
それぞれが鋭く対立していて、誰が大統領になっても、その分断はなくならないだろうと、多くのアメリカ国民がそう感じているそようです。
イエスは山上の説教で「柔和な人は幸いだ」「平和をつくり出す人は幸いだ」と説きました。それは我々にそのような者であってほしいという、イエスの願いが込められているとも思えます。
また、イエスは捕縛される前日に、弟子の足を洗うという行為をしています。やがて弟子たちは自分を見捨てることを知りながら、その足を下僕の如く洗ったのです。
アメリカの社会はキリスト教的な要素が色濃く反映されているそうです。彼らの中に、主張を異にする人たちに対しても、上記のようなイエスの教えを以て接する人はいるのだと思いたいです。
何故ならキリスト教では、人はみな原罪を持っているとされているからです。
人の脳には、他者に罰を与えることで報酬系の神経回路が活性化し、快感を伴うドーパミンの放出が引き起こされることがあるそうです。
もし脳がその快感に依存的になると、他者に対して過度に懲罰的・攻撃的になってしまう可能性もあるようです。
アメリカ社会に観られるような分断が、日本の社会に生じないとも限りません。我々はそのことを充分に警戒しなければならないと思います。
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